Tuesday, May 31, 2016

Mary Poppins・カーテンコール

小学校の学年末発表会とは思えない、
くろうとじみたショーでした
舞台美術、大道具小道具
歌、ダンス、演技
みんな4年生と5年生
アートの学校ならではの充実ぶりでした

Mari Poppins 5

衣装も背景も地味だけど、このダンスが一番よかった
3人組の側転の真ん中がはな
Step in Time

Mary Poppins 4



まだ終わってないけどね

Mary Poppins 3

休憩時間にお祝いを選びます


Mary Poppins 2

開演1分前
ロビーに飾ってあった練習風景

Mary Poppins

開演3分前


創世記33章

その人は言った。
「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばない。
イスラエルだ。
あなたは神と戦い、人と戦って勝ったからだ。」
兄の復讐から逃げて、母の生まれ故郷に行き、母の親戚(たしかお兄さん)の家に20年を仕えたヤコブは、ふたりの妻を連れて、これまた逃げるように生まれ故郷に帰ろうとしています。
29章からずっといらいらしながら読んでいるけど、妻レアとラケルの父親のラバンって本当にねちねちとしつこいおっさんだ。
ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。
決定的な意地悪は決して口にせず、罪悪感をいだかせながら、ヤコブをコントロールしようとしている。
こういうやり口をなんて、いうんだっけ・・・・。
そう!モラル・ハラスメントだ。
いるんだね、いつの時代にも。
でも、31章の24節で夢に神が現れて言います。
「あなたはヤコブと、事の善悪を論じないように気をつけよ。」
やっぱりです。
昨日、洗濯物をたたみながら考えたのだけど、これはモーセの十戒以前の出来事なのだから、人々がそこに恐れがなくても、十戒以降の人とは感覚が違うのかもしれないなって。

Monday, May 30, 2016

これからのこと

★どんな連休でしたか?
「これをしました」というものは何もないけれど、身辺がちょっとすっきり片付いたような感じです。
何かを手放したとか、捨てたとかではないけど、すっきり、見通しがたったとでもいうのかな。
連休前には、とてもじゃないけど、考えられなかった夏のこと、そして夏以降のこと。
今は、あれはこういしよう、これはこうしようって思える。
・ピアノを練習する時間をたっぷりと取ること。
まずは、聖歌。
楽譜のまま4つの声部を両手を一杯に開いて。最初から順番に。
そして、クラッシック。
バッハのおさらいからはじめよう。
それから、即興の練習ビデオを買って基本からやり直したい。
自己流のワンパターンから、一歩を踏み出そう。
・少しづつ、仕事の的を小さくしてゆくこと。
神さまが、私に上手にさせてくださることに、ますます熱心になること。
努力すること。
・公開聖書通読のために、時間を割くこと。
たくさん読むのではなくて、じっくり読んで、じっくり書くこと。
誰も書かなかった文章を、私に書かせてくださって祈りながら。
・家族と時間をすごすこと。
幼稚園に長くいること、幼稚園でたくさんのことをすること、幼稚園での関係作りに積極的になることイコール仕事の質を上げること、とは、いろいろ言われた今になってもやっぱり思えない。
どうしても。
基本は幼稚園でも学校でも会社でも職場でもない。
もちろん教会でもない。
家にあると思う。
★私の拙いピアノや文章が愛され始めていることに、神への恐れを感じずにはいられません。

ふたりで一人前

このごろは再び、一人分をシェアする私とはな
何度もチャレンジしたけど、やっぱり、無理とわかった
中学生になるまでは、一緒でいいや
昨日は私がえぼしでちゃんぽんを選んだので、
今日ははながルビーズでフィシュ&チップスを所望
このでかいお魚フライ
最後のひとつはお互いに、「どうぞどうぞ」と譲り合い

創世記30章・おまけ

おはよう。
もうすぐ9時というのに誰も起きてきません。
それで、ちょっと片付けて、洗濯機をがらがらと回しながら、何か書こうと思って、もう一度ラップトップの前に座りました。
「前進せよ、ことばはその先々でわたしが与える」っていう、見えたような聞こえたような、いえただ感じただけかもしれない神さまの啓示の意味が、なんだか少しわかった気がしています。
聖書を創世記からめくっていて、毎日思うのは、正しいとか正しくないって、天国的には、大した問題ではないのよね。
神さまは、なさろうとすることをなさる。
人の様子を見ながら。
大洪水でノアの一家とつがいの生き物たちを除いて、全てを流す時、人々がきれいな女の子を選んで結婚しようとするのに幻滅したって、6章にあるのに、アブラハムもイサクもヤコブも、3代そろいもそろって面食いって、どういこと?
神さまは、ノアの子孫にも清く正しくあることは強制はせず、ただ、純粋に信じて従う心を求めておられるのだなと思うわけです。
社会的には「?」なことをやったり、言ったりしても、神さまの祝福をもらっている人は守られるし、ごもっともな意見や行動も、神さまの前で、沈黙しかもらえないこともあるのはそういうわけなのかもしれません。
創世記とはなんと、理不尽な人生のオンパレードでしょう。
夫に愛されたがゆえに神の沈黙を破って子を授かるラケルや、主人に愛されなかったがゆえにその忠実を神に憐れまれたハガルが象徴するように、大切なことは信じる気もち。
アーメンですか?

創世記30章

神はラケルを覚えておられた。
神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。
彼女はみごもって男の子を産んだ。
創世記30:24
母リベカのいれ知恵によって、父を騙し、兄を陥れ、祝福をひとりじめした、ヤコブは、兄の復讐から逃げるように、母の実家を目指して旅に出ます。
ついでに母の兄たちのところから、結婚相手を探そうという作戦です。
読んでもらえばわかるけど、母の親戚の子、ラケルに一目ぼれしたヤコブは彼女の父のところで約束の7年仕え、めでたくラケルを妻として迎えたのはいいのだけど、お祝いの席で酔っ払って(たぶんね)、朝になって気づいたらそれがラケルじゃなくて、姉のレアであったなんて、洒落にもなりません。
でも、それが現実でした。
それでね、気づきました。
神さまは最初からレアを選んでおられた。
ヤコブの妻に。
ヤコブがラケルに一目ぼれしちゃったから、この家では上の子から嫁に出す習慣となっているから、なんて、姉妹の父親に言わせたりなんかして。
さらにもう7年仕えて、妹のラケルを手に入れても、神さまはラケルに子どもを生ませず、レアには祈っただけ、子どもを与えたのだと思います。
でも、そう、でも。
ここが、今朝の私の感動なのだけど、神さまの御心って、絶対的決定的デジタルチックなものではないのよね。
子どもがいなくても、ラケルから心がはなれなかったヤコブ。
神の祝福の約束の人。
ふぁいなりー、ラケルは私が敬愛するヨセフを生むのです。
ヤコブへの祝福のゆねにね。
いぇ~い!

Sunday, May 29, 2016

ひまわりのように

毎日、いろんなことがあります。
今日もありました。
明日もあるでしょう。
でも、だいじょうぶ。
だって、いつも最後は笑っているんだもん。
曇りのち、雨。
そしてまた晴れ。
そんなふうに、気づいたらいつも笑っているのです。

ありがとう!


創世記28章

そのうちに彼は夢を見た。
見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。
その頂は天に届き、見よ、
神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。
創世記25章
これは、父を騙し、兄を陥れた、ヤコブの旅の夜の夢です。
そして、主の幻が現れ、ヤコブに祝福のことばを与えます。
私は、この矛盾に満ちた事実が大すきです。
それは、私たちの人生そのものだもの。
きれいごとじゃない。
これがいずれ、人類の全ての葛藤や誘惑や罪の中にご自分を埋め込まれるように生まれてこられる方の家系図となってゆきます。
一緒に読んでくれていますか。
一緒に読みませんか。
聖書は清らなで美しい話、正しい生き方について書かれた書物ではありません。
一緒に読んでください。
創世記28章、わくわくどきどきの物語はまだ始まったばかりです。


Saturday, May 28, 2016

今夜のきもち


創世記24章・おまけ2

「われらの妹よ。
あなたは幾千万にもふえるように。
そして、あなたの子孫は、
敵の門を勝ち取るように。」
創世記24:60
リベカの旅立ちに、彼女の兄たちが、送ったことばです。
手帳に書き取りました。
クリスチャンの結婚のお祝いのカードに、ぴったりのことばだと思って。
そして、私は、「はな、あなたたは幾千万にもふえるように。そしてあなたの子孫は、敵の門を勝ち取るように。」って祈りはじめようと思いました。
何かを書こうと思って、聖書を読むのは、これが始めてです。
始めて読んだ時のわくわく感をもう一度、味わっています。
たった3章を読んだだけで、こんなに書きたい思いが、溢れちゃうって、これから先どうなっちゃうのだろう。
聖書は1日3章読めば、1年で読み終えるわけだけど、1年もやるのは飽きそうだから、ちょっとペースをあげようと考え中。
でもそうそうすると、思いもあふれまくりすぎて、書ききれるかしらと、ちょっと心配。
うれしいしんぱい。

創世記24章・おまけ

イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、
リベカをめとり、彼女は彼の妻となった。
彼は彼女を愛した。
イサクは、母のなきあと、慰めを得た。
創世記24:67
23章の1節にサラの一生は127年であったとあります。
アブラハムは、サラが亡くなったことを嘆き、悲しみ、広い土地を彼女の墓地として買取ります。
そして、24章の1節、"アブラハムは年を重ねて、老人になった。"  えっ?っていうかもう充分前から老人じゃないの?と思ういそうになり、でも考えた。
妻のサラを127歳で亡くし、100歳でもうけた息子の嫁さがしを始めたアブラハムはこの時、絶対127才以上。
今の私たちの齢(ざっと80として)をあてはめると、もしかして30パーセントぐらい長く生きていたのかもしれない。
だとして、サラが、アビレメク王に召されたのは人生80の生涯の中では50前後。
これなら、なんだか、ちょっとすっきりします。
まあ、若くはないけど、50代で再婚というのはそれほどめずらしくないしね。
この私のいい加減な仮説が正しければ、サラの懐妊にはそれほどびっくりする奇跡じゃないとも思うよ。
聖書を一緒に読むって楽しいです。(誰かが一緒に読んでいることを勝手に信じてる・・・。)

創世記24章

「このことは主から出たことですから、
私たちはあなたによしあしを言うことはできません。」
創世記24;50
アブラハムが自分の生まれ故郷に、息子、サラの生んだイサクお嫁さん探しに、僕を送り出し、彼が確信をもって見つけたリベカの親のことばです。
「このことは主から出たことですから、私たちによしあしを言うことはできません。」
大きくなった賢人と、これからまだまだ大きくなるはなの親として、このことばを言わなければならない場面を想像してみています。
今まで、神さまは本当に賢人にもはなにもよくしてくださった。
神が彼らに与えた進路は、いつも私たちが願った以上のものでした。
ハーバー・カレッジに進んだことも、今になってその意味がよくわかります。
彼が確信を得られないまま、莫大な借金と共に遠い町の大学に進んでいたなら、決して、あの日のデートは実現しなかったと思う。
彼女をバイオラに送ってくださったことにも、神の賢人への祝福だと、親バカ100%な視点で感謝しています。
だから、聖書のこの箇所に赤鉛筆でアンダー・ラインをくっきりといれました。

Friday, May 27, 2016

思い・ふたつ

おつかれさまです。
ふう~。
まあ、毎週のことではあるけれど、悲喜こもごも、あれこれてんこ盛りな1週間でした。
いろんな感情が複雑に入り乱れる中、ふたつほど、強く思うこと。
★大人って、やっぱり、私にとってどっか、信じるのが難しい。
すごくそう感じながら傷つきながら、50年も生きてきたわけだけど、ちょっと自信がついてきたかなって思っていた矢先、またしてもやられた~。
でも、めげずにいようと思う。
子ども期から、大人期をスキップして、おばば期に突入。
めげない。分析しない。反省もしない。
あははと笑ってながしちゃえ。
だって、どうせわからないだもん。
★夫がいて子どもがいて仕事ありな人の、それぞれの役割に対するその対象からのプレッシャー、つまり、妻として夫からのプレッシャー、ワーカーとしての雇い人からのプレッシャー、親としての子からのプレッシャー、そして、それをなんとかうまく回そうとして、一番重荷がかかる所って、もしかしたら、一番弱い子どもかもしれないなって思う。
でも、今日、思い切ってそれを、ある母親に言葉にしてみて、なんだか伝わった気がしました。
プレッシャーは感じる側の責任と思う。
でも重荷は神さまのもの。
だから、クリスチャンはどっか能天気に一途に努力しつつも、燃え尽きないのよね。

創世記21章

神が少年とともにおられたので、
彼は成長し、荒野に住んで、
弓を射る者となった。
創世記21:20
私のイシュマエルのイメージ
これは私が好きなハガルの子、イシュマエルのことです。
なぜかな、サラよりハガル、イサクよりイシュマエルに魅かれる私。
がんばれ、イシュマエル。
どうでもいい発見をしたのだけど、16章で女奴隷のハガルにイシュマエルが生まれた時、父アブラハムは86歳。
18章でサラにも子を与えると約束があったとき、サラはもう生理が終わっていました。
だから、神さまにひれ伏しながら冷笑してしまったのです。
ありえないでしょって。
21章でサラにイサクが与えられたとき、アブラハムは100歳。
これは全て聖書か記す事実なわけだけ、イサクを与えられるちょっと前の20章で、サラさん、すごくきれいだったからってゲラルの王さま、アビメレクに、召されちゃってるわけです。
100歳より少し前のアブラハムの妹と偽れるぐらいだから、90代とか80代とかでしょ。
若けりゃいいというわけではないいうのはわかるけど。
ちょっと、これ、すごいよね。

Thursday, May 26, 2016

アン・ハッピー・エンド

と思いきや、うっ!、私のささやかで慎ましい平和を打ち破る知らせが、Eメールにて届きました。
思わず、真の心のままに「うっ!」ってリプライしたい誘惑にかられたけど、でも一応大人だからがまんしてみています。
今、自分の心を治めようと必死。
どこまで、我慢できるか全く自信ないけどさ。
人生って、本当に、ちょっと先なんて、何もわからないものね。
約束のキャンセル。
予定の変更。
人生は私に何の相談もなく、私の計画を踏んで歩いて平気のへーよ。
でも、主は私に、約束を守り、予定を遂行する人であるべきと言っておられる。
しょぼん。

ハッピー・エンド

この街に戻ってくるだけで、この家に帰ってくるだけで、ほっとする。
幸せって思う。
いろんなことが一杯あった1日だったけど、最後はピアノに向って終わり、ハッピーなエンディング。
小さな仕事だけど、それが、とても楽しいのです。
昨日、日本の父と母と電話で話しました。
元気そうだった。
今朝、車の中で、父と母が集う教会に行くことを空想しながら、泣いてしまいました。
素敵すぎて。
それから、神さまに実現させてくださいって、祈りました。
大すきな街で暮らし、小さいけれど愛する家があるって、本当に幸せ・・・

創世記19章

Then the LORD said.
"Shall I hide from Abraham what I am about to do?"
Genesis 18:17
主はこう考えられた。
「わたしがしようとしてることを、
アブラハムに隠しておくべきだろうか。
創世記18:17
これは、神さまが、ひとつの町を滅ぼそうかどうしようかを、アブラハムに相談しているってことよね。
そして、実際、アブラハムは、天と地とそこにある全てのいのちをお造りになった創造主であられる主を相手に、交渉を進め、全ての交渉に承諾を得るわけです。
全てはろくでもない甥のロトのためであったわけど、当のその彼は、叔父の交渉によって、天使が救いに現れたにも関わらず、この場におよんでさえ、ぐずぐずとわけのわからないことを口走り、逃げるのに消極的。
"しかし彼はためらった。
するとその人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。―主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。"
ばかちんめ。
でね、なんで、神さまはそんなにまでアブラハムの意見を尊重したのかなって思って、気になる箇所があったのを思い出して、ページを逆もどりして探しました。
15章の6節です。
"主は彼を信じた。主はそれを彼の義と認められた。"
神がいること、神が守ってくださること、神が祝福してくださることを、今日も信じることができますように。
アーメン
追記:一緒に聖書を読んでくれる人、大募集。

Wednesday, May 25, 2016

賢人の恋の行方

賢人の、バイオラの友だちは、あのデートを最後に帰省したとのことです。
この夏は、地元の幼稚園で、働くことになっていて忙しくなりそうとのこと。
障害児の先生になるのがゴールということなので、そのために修行なのね。
特に忙しくもない彼は、このことをどう受け止めているのだろう・・・。
っま、ひまなら、ひまでサマースクールで、ちょっとでも前に進むことを考えてほしいものです。
私だったら、会いに行くけどね~って、あっ聞いてない?
はい・・・、すんません。

大発見ふたつ

おつかれさま。
1週間も水曜日をすぎるとホッとします。
今日も、いろんなことがありました。
★まず、すごい発見。
私は、自分が、間に(ピアノと私のね)第三者が入らない限り、どんな状況でもピアノを弾けるし弾いてきたことを、これまで働いてきた職場の誰もが証言してくれるはずの事実だと信じてきたけど、でもそうじゃなかった。
実は鍵盤と自分の距離にかなりのこだわりがあったことを発見。
正座で弾く、これおっけー。
あぐらで弾く、これもおっけー。
暗いとこ、屋外、いろいろおっけー。
フロアに足なしで置いたキーボードを膝をついて弾く、これもおっけー。
でも、今日、テーブルとベンチの距離が固定されたテーブルにキーボードを置いてもらって、すごく困った。
えっ?
それはまるで右ハンドルから左ハンドルへのトランジットのように、ウィンカーを動かしたいのにワイパー動かしちゃうし、えっとえっとな、あの感じ。
いろいろやったけどどうしても弾ける気がしなくてすごく慌てたけど、ふっとキーボードを30センチぐらいに向こうに押しやってみて、やっとわかった。
腕を自由に動かすための鍵盤までの距離ってあったんだわね。
へえ~って。
★もう一つの大発見。
病気のお母さんのお世話のために日本に帰っていた、姉妹でありコ・ワーカーだった人が、ふらっと園舎に出没。
私は一瞬目を疑って、でも彼女だとわかって、叫びながら泣いちゃった。
主の栄光って、私たちクリスチャンはわりと、気軽に気楽に口にするけど、でも本当の主の栄光を見ちゃったら、目とかつぶれて、髪の毛とかも志村ケンみたいに爆発して、服もボロボロに焼け焦げて大変だよね。きっと。
そして、それを反射しながら歩いているクリスチャンに会ったら、きっと誰もが叫んだり、泣いたりすると思う。
私、今日、そうなちゃったもん。

創世記18章

Sarah was afraid,so she lied and said,
"I did not laugh"
But he said,
"Yes, you did laugh"
でた。
否定の肯定。
今だに、これで失敗しています。
「いるの?いらないの?いらないのね?」
「はい、いりません。」なんて。
ついね、つい。
私は、昔からサラの女奴隷ハガルとその子イシュマエルが好きです。
16章9節の、"そこで、主の使いが彼女に言った。
「あなたの女主人のもとに帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい。」"
を読むたびに、自分に言われている気がして、素直に「はい」っと思ってしまいます。
サラという女の子の名前はアメリカにも日本にも一杯いるけど、ハガルという名前の子に会ったことはありません。
ちらっとはなを生んだ時に、心をよぎったけれど、あまりの冒険な気がしたのでやめました。
でも、はな Hannah も苦労をした女性の名前です。
賢人が聖書からつけました。
なぜなら、彼が祈ってはじまった命だったからです。
まあ、そのことは、Ⅰサムエルの一章でのHannah さんがでてきたら、じっくり書きます。

Tuesday, May 24, 2016

演繹法?帰納法?

今日もずっと心の中で、神さまの「前進せよ、言葉は私がその先々でわたしが与える」、について思っていました。
具体的には、それは、一体どんなことなんだろうって。
聖書から直接語られながらデボーションをするって(それって何て言うんだけ、えっと演繹法、いえ帰納法、まっどっちでもよいけれど)、新鮮で楽しい。
聖書がまだ新しかった頃のわくわく感を取り戻しつつあります。
夢中でページをめくった、希望で胸がぱんぱんだったあの頃。
あんまり、1日何章とかって決めずに、満足すれは、すぐにやめるし、何章読んでも、何もピンとくるものがなければ、納得のいくところまでがんばって読んでみています。
そんな中で、その答えをみつけたいな。
前進って、どう意味なのだろう。
ますます技に精進しなさい、ってことだったらいいな。
あれをしよう、これもしよう、えとせとら。
もっと人々の中に入って行きなさいって、意味でなければよいな。
そこをどんどん小さくしていって、好きなことだけに、ちまちまと努力することを生活の中心にしたいって祈ってきたんだもの。
とまあ、いろいろ思うわけです。

創世記14章

But Abram said to the king of  Sodom.
"I have raised my hand to the LORD.
God Most High,Creator of heaven and earth,
and have taken an oath
that I will accept nothing belong to you.
not even a thread or the thong of a sandal,
so that you will never be able to say,
'I made Abram rich.'
Genesis 14:22
かっこいいな。
アブラハム。
高貴な精神の高貴な台詞です。
とりあえず、もらえるものはなんでも受けとっておいて、それが本当に自分のものかどうか後で判断しようと考えても、返したためしなど、1度もない気がします。
それが、受けるべきものかどうかは、本当は自分が一番よくわかるのかもしれません。
妻を妹と偽ったのに、妻も自分も守られたアブラハム。
ロトに先に、選ばせてあげたのに、安全な場所を与えられたアブラハム。
そんな中で得た神さまとの信頼関係で、はっきりと「いいえ、いらない」って言えるようになったのかな。
私と神さまとの関係はどうだろう。

Monday, May 23, 2016

車の中で聞いた声

今朝、通勤の車の中で、なんだかんだと長いことそれはそれはしつこく祈っていたら、言葉がイメージになって見えた気がしました。
変なヤツだと思わないで最後まで我慢して読んでほしいのだけど、
それは、声でもなくて、幻でもなくて、ただとても意味のある言葉、っていうか思い。
「前進せよ、ことばはその先々で私が与える。」というような。
それで私は、「神さま?あなたですか?」って声に出して聞いてみたの。
そしたら、私の心に、もう一度、「そうだ、私だ。前進せよ。」って、言葉のイメージが与えられました。
うわあ!モーセみたい!って超ミーハーに浮かれながら、幼稚園に着き、今日は1中、ふわふわと夢見心地な私でした。
長い祈りの中で、私が築こうとしてたバベルの塔は、主によって、無事に打ち壊され、私は主の「言葉」と「平安」を必死にを求めて祈っていたのでした。

創世記11章

The LORD said,
"If as one people speaking the same language 
they have begun to do this,
then nothing they plan to do will be impossible for them.
Come, let us go down and confuse their language 
so they will not understand each other.
Genesis 11:6,7
私たちの言葉がお互いになかなか通じにくいことの始まりには、ここに、神さまのはっきりとした意図がありました。
それでも、分かり合う必要がある時、求められるのが愛だと思います。
その愛は神さましか、持っておらず、私たちは、それを受けながら周囲とコミュニケーションしなければ、結局、分かり合えることはないのでしょう。
すごく難しいことだけどね。
幼稚園でも教会でも家庭の中でも、私はその問題から自由だったことなどありません。
わかってもらえていない時、バベルの塔をイメージし、「これは自分中心な理論かも」と気づくための印のように考えることもできるかもしれません。
話し方に愛がなかったり、誠意がなかったり、最初からわかってもらえるはずなどないって思いながら、一応言っとくけど、って感じで話したり。
恥ずかしいけど、これ、全部私の普段の話し方です。
あと4週間しかないとしたら、神さまからの愛を受けながら、わかってもらう努力、わかる努力をしなければと思います。
でも、Come, let us go down って神さまが三人称なのは、どういうわけだろうね。
三位一体だからかしらんね。
今日も良い日でありますように

Sunday, May 22, 2016

気分はフォト・デー ②

人生初のつけまつげに挑戦
 あんなにはりきっていたのに、
例によって直前になると、このもりさがり
 でも、大丈夫
カメラを向けられるとすばらしい笑顔で応えていました
じっさい、彼女が一番きれいだった
親ばかを隠そうともせずに、ごめんあそばせ
でも、ほんとう
一番ひかっていた

気分はフォト・デー

日曜学校でお花を二輪いただきました
 写真に撮ってって言うから、
カメラを向けるとこんなポーズ
気分はすっかりフォト・デーです

天国を夢みながら

あなたがたの宝のあるところに、
あなたがたの心もあるからです。
腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。
ルカ 12:34,35
腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。
天国を訪れた日、あまりの素晴らしさに、この世界でもっと、そのために働けばよかったっと後悔しないために。
そんなメッセージでした。
この世界で、イエスさまに直接仕えたいって、思い始めていた矢先だったので、とても心に沁みました。
この世のイエスさまとは教会のことです。
なにを、どうやって、どんなふうに。
ピアノを弾くこと。
話しをしながら。笑いながら。
心をこめて
楽しまなくちゃね。
もう、若くはないのだから、泣いたり怒ったりしているのはもったいない。
アーメン

創世記4章

The LORD said,
"What have you done?
Listen!
Your brother's blood cries out to me from the ground.
Genesis 4:10
新しい発見を期待して、英語で1日3章を音読しようとしているけど、けっこう大変です。
でも、大変なだけあって、新しい発見、一杯あります。
このりんごはちょっと大きすぎるよね
何かの象徴だと思うけど
わずかひとつの章の中にもそれはそれはたくさん。
今朝は、神さまの神格というか、まあ人格のようなものとても感じられるこのことばに目を留めました。
Listen,そしてエクスクラメーションマーク。
ついでに英単語もいくつか覚えました。
家畜:livestock ~なるほど生きた蓄えね
蛇:serpent ~念のために辞書をひくと大蛇とありました 
ミケランジェロの絵の蛇は象徴的に大きく描いているのだとと思っていたけど、本当に大蛇だったことを、今ごろ知った私。
ちょろんと長い蛇をイメージしていたので、へえ~とうなっちゃった。
英語で読めば子どもでも知っていた事実なのね。
いつまで続けられるかわからないけど、でも、テキストを使ったデーボーションとデボーションの間の楽しい習慣になればよいなと思います。
それもできない日はスポルジョンの『朝ごとに』が登場すると思うけどね。

Saturday, May 21, 2016

メイキャップ・レッスン

本番に向けてメイキャップの練習
私は仕事のため、
本番は開幕時間にしかこれません
親がこんなことをくり返すうち、
子どもってなんでも自分でできるようになっちゃうのね
写真ではそうでもないけど、
実物はかなり上手にできています
はなが自分ひとりでやりました

分離と秩序の前に


創世記1章

God made two great lights 
and greater light to govern the night.
He also made the star.
God set them in the expanse of the sky to give light on the earth,
to govern the day and night, 
and separate light from darkness.
Genesis 1:16-18
創造主が、創造のはじめに造られたものは、光。
創造主が、創造のはじめにされた業は、それを闇と分けること。
夜がどこで終わって、朝がどこではじまったのかわからないけど、起きたら、はっきり、きっぱり、新しい1日が始まっていました。
おはよう。
昨日のミーティングで、順番が守れず、割り込みが常習になっている4歳児のことがあげられました。
話しを聞きながら、生まれたての赤ちゃんのように世界と自分、母親と自分がまだひとつで、分離の行程がうまくいっていない気がしました。
そのことをぼんやりとした頭で思い出しながら、創世記の最初の2章を音読しました。
取り組みたい本がみつかるまで、聖書から直接デボーションをしてみようと思います。

Friday, May 20, 2016

あと4週間 その②

さっき書いた記事の続きです。
もし、読んでいなかったら、そっちから読んでね。
そうでないと意味がわからないと思う。
私は、誰かに好かれる努力っていうのがすごく苦手。
もしかしたら、今まで1度もやらなかったかもしれない。
仕事じゃななかったら、今回だって絶対にしない努力だったと思う。
これがどんな風に天国と関係あるのか、私には全くわからない。
だから、とっても苦しいです。
笑顔や、冗談や、軽口が、少しづつ身についてきている気がするけど、それが一番悲しい。
今までがとても幸せだったから。

あと4週間

週末の始まりの夜、ほっと一息ついていることと思います。
はっぴー・ふらいでー、おつかれさま。
どんな1週間でしたか?
私の火曜日と木曜日は、(この9ヶ月毎週のことだけど)神さまからの祝福で一杯でした。
マミー&ミーでは若いお母さんたちと一緒に、古くからある日本の唱歌を小さな子ども歌ってきかせ、お母さんたちは子どもたちに対する継承の責任と喜びを口々に表現し、子どもたちは、歌うママに大喜び。
アフター・キンダーでは、世界で一番おいしいって、本人たちが感動するカレーを作ることができました。
月曜日と水曜日と金曜日は、この1ヶ月間、毎週のことだけど、自分がうまくやれているのかそうでないのかよくわかりません。
わかるのは子どもたちの反応だけ。
それには私も大満足。
幼稚園ってそれだけでいいと思っていたけど、そうじゃないらしいことを最近学びました。
それで、がんばって、大人にも気を配っているけど、大人の反応って、見た目と中身が違うことが時々あるし、私のパートナーの先生は、私を9月からずっと嫌悪し続けているにも関わらす、いつもすごい笑顔なので、本当に苦しいです。
早く終わってほしいけど、あと4週間もある・・・。
この緊張状態があと4週ももつか自分では全く自信がないけど、とにかくがんばるほかありません。

Never Stop Dreaming

昨日、幼稚園の方の学年末発表会のミーティングがあって、夜の8時に園舎を出たにも関わらず、その後、はなの学校の発表会の衣装のことを相談するために、ゆりかさんのおうちに寄りました。
さすがです。
はなが必要なものを、途中の電話一本で、用意してくれて、今日は、無事それを学校に持って行くことができます。
帰りは9時をたっぷりまわっていたのに、はなは眠らずに待っていて、衣装をとても気に入ってくれました。
衣装を抱きしめゆりかせんせいこと、アンティゆりかに感謝しながら、ベッドにはいりました。
「はなはダンスが大好きで、学校でも、そしてバレエ・スクールでも一杯踊れていいね。幸せだね。、ママも、もっとピアノを一杯弾きたいな。はなが踊るぐらい。」と言いながら頭まですっぽりとブランケットをかぶせてしまいました。
やっと、そう思えるようになりました。
「おやすみ」って言って、お部屋を出た私にはながブランケットの下から、i pad で送ってくれた写真です。

Thursday, May 19, 2016

ちょっとばかりやることが一杯な今日この頃

あれこれ、いろいろ、いっぱいいっぱいな学年末の真っ只中です。
一番大変なのは、はなのバレエの発表会と、学校の発表会のリハーサルだの、衣装だのチケットだの、ライドだの、メイクアップだの、その他もろもろのスケジュールの管理やアレンジ。
次にややこしいのは、教会のワーシップ・チームのこと。
こちらも年度末を迎え、夏休み前ってことも手伝っていろんな小さな決心を一杯迫られ、かなり、大雑把で捨て身な結論を投げるように出し続けているけど仕方ない。
今は、これがが私に言える、できる精一杯です。
幼稚園の方は、一応、今年度で仕事を大幅に整理することが決定。
このおかげで生まれるはずの余裕に期待し、はなの母としても教会のピアニストとしても、今よりは、もう少しばかり、余分にふんばれることを、自分で自分に期待しているわけだけど、どうかな。


幼稚園のお昼ごはん#29

ふわふわミートボール
ブロッコリーとツナのサラダ、枝豆
さくらんぼ
卒園式まであと一個は絶対いくね
うんわ!
10ヶ月、週に1度の幼稚園のお昼ごはん、
30の献立突破確実
幼稚園の内部では、
全然普通にこのチャレンジを受けとめ、
流しておりますが・・・
私の中ではかなりなクス玉的セレブレート状態です

Wednesday, May 18, 2016

本日のおやつ②

たしか、『本日のおやつ』ってタイトルで記事を書いたっけ
と思って探したらありました
3月のマンゴーのケーキ
5月にもコ・ワーカーのお誕生日があって、
ケーキがふるまわれたのだけど、
それはミスしちゃった、
あっ、ケーキじゃなくて、
写真をね

After その②

今朝起きて、2度めのThe Love Dare が終わったことを思い出しました。
40の課題の内、半分はがんばったけど、でもなんだか、もの足りない。
もっとがんばりたい気がする。
最後の章にもあったけど、チャレンジングは生涯を通して続けるべきことってことね。
さて、何をしよう。
5月、6月は、ひとつ、またひとつ、何かが終わる。
そして、始まりの準備が始まる。

Tuesday, May 17, 2016

Before

そして、今、再びBefore。
たくさんのテンプテーションに囲まれている気もするし、天国に向かって、まっすぐな道の真ん中にいる気もする。
ひとつだけ確かなことは、新しいステージが私を待っているってこと。
主が備えてくださっている新しい場所。
幼稚園に残る残らない。
賛美チームに残る残らない。
何を残して何を手放す。
何を手放し、何をつかむ。
何を差出し、何を受け取る。
私の何気ない決断の先に待っているのは、確かな主のご計画。
それだけは、確かにそうと思えるの。

After

どっぷりと幼稚園に漬け込まれて、何が変わったかって、自分に自信が持てるようになった。
小さな人が純粋にわかるようになった。
小さな人を純粋に楽しめるようになった。
どっぷり幼稚園に漬け込まれても、何が変わらなかったって、自分のプロフェッションが確認できた。
それが純粋にわかるようになった。
それを純粋に楽しめるようになった。

The Love Dare Day 40 Love is covenant

ルツは言った。
「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、
私をしむけないでください。
あなたの行くところに私も行き、
あなたの住まれる所に私も住みます。
ルツⅠ:16
おめでとうございます。
ついに40日のDareの最後に到達しました。
でも、これは終わりのないチャレンジです。
なぜなら、結婚はContract ではなくCovenantだからです。
Your life together is before you.
Choose to take hold of it and never let go.
We dare you.
Today's Dare
新しい誓約を、神に書き出してみましょう。
フォーマルに証人をたて、家族を集めて誓うこともよいでしょう。
The Love Dare より
時間がかかるかもしれないけど、必ずやろう。
えりさんがくれた『The Love Dare』はもうぼろぼろです。
でも、もっともっと読みたい。
もう一度読みたい。
40日を何度も何度もくり返したい。
そうしてさえいれば、なんとかがんばれる気がするのです。


Monday, May 16, 2016

いいニュースとわるいニュース

ニュースとわるいニュース。
★はなのバレエの発表会のドレス・リハーサルと学校の発表会の4回の本番の内1回が重なっていてどうしたもんだかねって思っていました。
4回もあるんだし、はなは大勢のダンサーの中のひとりだから、ドレスリハーサルに出そうかと考えていた矢先、今日、レッスンの時にオフィスの女性に相談したら、「それ、キャンセルになったの、1週間くりあがるわ。これから一斉メールを出すところよ」とのこと。
すばらしすぎる。
きっと、同じ学校のダンサーたちで、リハーサルにこれない子がたくさんいたのね。
卒業生の5年生なんて、きっと、4回とも踊りたかったはず。
演目は『メアリー・ポピンズ』。
歌って喋るキャラクターも、ダンサーも、美術も音楽もみんな4年生と5年生の子どもたち。
楽しみです。
★賢人のデートのお相手は来週から夏休みで、お家に帰ってしまうそう。
今週、もう一度、会っておきたくて、誘ったみたいだけど、ファイナルで忙しすぎるから、かなわないらしい・・・。
本人はけろっとしているけど、私は大ショック。
原因がサリーのマグカップにないことを願うばかり。
そんでもって、夏が終わったら、また逢えますようにと。
私だったら、地元まで逢いに行っちゃうけどね。
あっ、これ、私じゃなくて、賢人の恋ね。
はい・・・。すんません。

The Love Dare Day 39 ~Love endures

愛は決して絶えることがありません。
Ⅰコリント13:8
たとえ、嵐が吹き荒れたとしても、愛は決して絶えることがありません。
愛は愛することをやめず、愛は挑戦し続け、愛は前進し、愛はあきらめません。
相手が何をしたとしても、何をしなかったとしてもです。
なぜなら、キリスト・イエスがそうだからです。
Today's Dare
黙想しましょう。
そして、手紙を書いてください。
あなたが死に至るまで、愛することをやめないこと、また、どうしてそうするのか。
これは、福音。
そして手紙を書くことは伝道。
結局、全てはイエスが私のために十字架に架かったことから始まっている。
私は、結婚をしてから、それを知ったから、少し話しがややこしくなっちゃったけど、でも結局そこに戻ってきました。

Sunday, May 15, 2016

我が家のセキュリティー・システム

★5月も半ばというのに、なんだか肌寒い夕暮れです。
先週の日曜日がマザーズ・デイだったのがウソのよう。
あれから何週間も何ヶ月も経ったような感じがするの。
今気づいた。
ごちそう食べそこなっちゃった!
ピアノの蓋事件の大パニックで、一刻も早く神さまとふたりきりになる必要があり、祝祷の後、そそくさと会堂を後にしたんだった。
★今日は夫が、犬小屋の屋根を直してくれました。
築18年の犬小屋。
誰も1度も寝たことのない犬小屋。
これは我が家の二大セキュリティー・システムのその1で、庭に大きな犬小屋をおいて、すごい野蛮な犬がいるふり。
犬小屋にははなのスクーターやロラー・ブレード、バトミントンセット、なんでも入ります。
その2は、身長2メートルぐらいの人が履くような大きなクロックスをなにげなく、バックドアのあたりに置いて大男が住んでいるふり。
おかげでこの18年、泥棒さんに会ったことは一度もありません。
★思えば、この犬小屋、ふたりで作ったのよね。
まるで人が住む家を建てるかのように丈夫に。
ペットショップに行けば、いくらでも丈夫なプラスティックの小屋が手ごろな値段であったのだけど、私たちの家にはなんだかマッチしないねって、手作りしたのです。
でも、犬は家の中で寝るし、昼間は庭の自分の好きな場所で道行く人を眺めてすごし、結局その小屋は今日までどの犬も入ったことがありません。
でも、修理しました。
なんだか、よくわからない記念碑のような気がして。(泥棒よけ以外のね)

空き瓶活用

最近、幼稚園での制作で、
空き瓶をつかい、以来、
なんだか空き瓶が愛おしい
レモネードの空き瓶に増え続けるポトスをさらに増やす
オリジナルとストロベリー風味
お庭の植物を摘んでかざってみました
手前はジャム、奥はビネガーの空き瓶
これはアンティーク・マーケットで買った薬瓶
ジャスミンの葉っぱ
これも水栽培すると根が出てきます
遠目にみるとこんな感じ
下の右はじは最近もらった日本唱歌の楽譜集
これは共に自家製ジャムをもらった時の瓶
鮭フレークの瓶に9歳の時のろうそくを入れてみた
ここは物置
こちらは蜂蜜の瓶
蓋には釘を

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