Saturday, August 31, 2019

今日のランチ〜エビのご馳走サラダ

たっぷり眠ってたっぷり食べて、寝食、そして霊、共に満足された良い土曜日となりました。
昨日、絵里さんにお祈りしてもらったおかげです。(がんばって行って良かった・・・)
毎日が、凄まじく盛りだくさんで、身体も心も霊もてんてこ舞いをとっくに通り越し、レッドゾーンも振り切って、示す針も180度に寝ちゃって見えなないほどの麻痺状態だったのかもしれません。
最もないがしろにされていた私の霊、最も後回しになっていた私の霊が喜び、私の身体も心も、ようやくあるべき状態に戻され、ほっと一息ついているようです。
★今日のランチ:ドレッシングがとっても美味しかった、風変わりなサラダ。
レタスの下は、クランチーな野菜のチョップが敷き詰められていて不思議な食感。
私、お皿の上のものを混ぜるのあまり好きじゃないけど、今日は、混ぜながら食べてみた。
レタスのバリバリとキャベツのコリコリって、意外と合うのでした。
そして、辛いランチドレッシングにもびっくりしたけど、これにはぴったりだった。

詩篇 81篇

しかし主は、最良の小麦を
イスラエルに食べさせる。
「わたしは岩の上にできる密で、
あなたを満ちたらせよう。」
詩篇 81篇
「しかし」、で始まるこのみことば、その「しかし」の前はこうなのです。
「我が民は、わたしの声を聞かず、イスラエルは、わたしに従わなかった。
それでわたしは、彼らをかたくなな心のままに任せ、自分たちのおもんばかりのままに歩かせた。
ああ、ただ、わが民がわたしに聞き従い、イスラエルがわたしの道を歩いたのだったら。
わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。」
そして、この「しかし」なのです。
こんなに自分中心で、こんなにわがままな私なのに、それでも主は私に最良の小麦を食べさせてくださいます。
昨日、久しぶりに、絵里さんを訪ねました。
今朝、このみことばを読みながら、彼女は私の最良の友だと思いました。
いつか、一緒に仕事がしたいね、と話し、祈り合い、帰路に着きました。
そして、ベッドの中で、神さまの愛にすっかり癒され、慰められ、励まされている自分に気づき、心から感謝しました。

Tuesday, August 27, 2019

詩篇74篇

昼はあなたのもの、
夜もまたあなたのもの。
あなたは月と太陽とを備えれらました。
あなたは地のすべての境を定め、夏と冬とを造られました。
主よ。どうか心に留めてください。
敵がそしり、愚かな民が御名を侮っていることを。
あなたの山鳩のいのちを獣に引き渡さないでください。
詩篇75:16~19
神さまのお造りになられた素晴らしい夏、楽しかった夏、川で泳いで、カヌーに乗って、畑で人参かじった夏がもうすぐ終わりそう。
そして、新しい季節が始まります。
新しい扉です。
今年の扉は特別に新しく、特別に大きく、そして特別に輝いて見えてきました。
私、そこをばーんと開いて、主の道の真ん中を、主にある平安と、主にある自信を持って、歩きはじめようと思う。
ばーんと、思い切り勢いよく扉を開いたはずみで、扉の周辺を、憂鬱な顔でウロウロ様子を伺い、暗い顔でコソコソエラーを捜し、ヒソヒソ人の批判ばかりしている霊を吹っ飛ばしてしまおうと思うのです。
ばーんと。
聖霊と共に。
キリストという御名の扉で。




Monday, August 26, 2019

詩篇73篇

私の心が苦しみ、
私の内なる思いが突き刺されたとき、
私は、愚かで、わきまえもなく、
あなたの前で獣のようでした。
しかし私は、絶えずあなたとともにいました。
あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。
詩篇 73:21~23
神の恵みはとこしえに変わらず、再び、新しい一週間が始まります。
誰の上にも、何の上にも、どこの上にも等しく。
平行して読んでいる民数記では23章で、主は、どんなことがあってもイスラエルを誰にも呪わせようとはしません。
神の子どもたちは、たとえ苦しみ、たとえ愚かで、たとえわきまえなく、たとえ獣のようであったとしても、神の子。
主は決して誰にも彼らを呪わせない。
主はその右の手をしっかりと握っておられる。
昨日の礼拝のメッセージでも力強く語られた。
聖霊があなたの内にいる。
どんなに激しく誘惑されたとしても、どんなにしつこくまとわりつくかれたとしても、聖霊は、決してあなたから出てゆくことはない。
アーメンです。

Sunday, August 25, 2019

今日のランチ〜場末のマーケットのお惣菜

閑散とした淋しいマーケットだけど、お味はとっても良かった
おなかぺっこぺこの私と、そうでもないはな

民数記 18章

あなたは彼らの国で相続地を持ってはならない。
彼らのうちで何の割り当て地をも所有してはならない。
イスラエル人の中にあって、
わたしがあなたの割り当ての地であり、
あなたの相続地である。
民数記 18:20
ここ数日間、神が私の心に、くり返し語り続けてくださったことばです。
このことばの下に、静かに、ただ静かに耳をすましていました。
私が求めていた相続地が、例えば、人の理解であり、人の協力だったとして、それを持たずして、どうやって、この先に前に進もうか、主こそが私に与えられた唯一の理解者であり協力者であるなら、それは主に向かって開いた心たちの無限の理解であり協力であるはずなのに、なぜ。
ずっと考えていました。

おひさしぶり。
お元気でしたか?
どんな風に、話しはじめようかな。
昨日、観ていたビデオにこんなセリフがありました。
I have always tried to not look at the negative aspect of our life.
But focus all positive and beautiful things that the all happening each day around us.
彼女の our life とか around us が誰との人生、誰との周りなのかは、私にはわからなかったけど、私は、神さまと私の人生で、神さまと私の周りで起きるさまざまな出来事の中に、神さまがくださる、Beautiful things を見つめ続けていたいと思います。

今朝のBeautiful things





Tuesday, August 20, 2019

民数記16章

モーセは激しく怒った。
そして主に申し上げた。
「どうか、彼らのささげ物を顧みないでください。
私は彼らから、ろば一頭も取ったことはなく、
彼らのうちのだれをも傷つけたこともありません。」
民数記 16:15
レビ族の3人が250人のリーダーたちと共謀して(1節でこの言葉が確かに使われているのです)モーセとアロンと立ち向かってきます。
幕屋で仕える彼らは、祭司の職をも要求し、モーセに「あなた方は分を超えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」と。
「あなたはこれを、勝手に自分一人で決めたの?」と。
どっかで、聞いたことのある話ではないですか?
どこにでもある話だと思う。
毎日、どこかのグループで、チームで、教会で、会社で起きている、天災と呼びたくなる災害です。
そして、モーセ、ついに怒ります。
それが、上のみことばです。
そして、言います。
「あなたとあなたの仲間のすべては、一つになって主に逆らっているのだ。アロンが何だからといって、彼に対して不平を言うのか。」
モーセのポイントは、アロンや自分にはない。
だから言い訳もない。
そこが、モーセがモーセである所以があると思う。
これは、自分への攻撃ではない、この人たちは主に逆らっているのだと思うから、彼の話し方のトーンには、いつも、「我々感」が滲んでいるだと思う。
「我々感」「私たち感」
それはとてもとても大切な感性だと思う。
決して、神のサイドに立って、民を裁かないモーセの、特別な賜物というか感性。

Monday, August 19, 2019

夏の最終日

はなの夏休みが、今日、終わります。
バレエスクールの夏の集中レッスンに始まり、ガレージのペンキ塗り、ワシントン旅行、賢人の引っ越しのお手伝い、お友だちの泊まりがけのお誕生日会、OCフェア、夏祭り、そして、今日はダディとBack to School Shopping。
神さまの恵みで一杯の夏となりました。
何が一番、楽しかった?と聞いてみました。
スポケーン!カヌー!
そうね、ママも。
今度はソリ滑りだよ。
まいこちゃんちのバックヤードで。
まいこちゃ〜ん、ほんとに行くからね〜、よろしく〜!

祈りの手前の思い

神さまの大庭で、泣きそうになったり、喜んだり、とっても大忙しな1日だった。
詩篇の中で詩的に歌われている、「大庭」って、主のご臨済のことなのだと思った。
主のご臨済の中でなら、たとえ、泣きそうになっても、最後は必ずそれが喜びに変えられる。
私も詩篇の中で、そんな歌を作って歌いたいです。
今朝、書いたと思うけど、きちんとすっきり夏を終わりたい。
そして、わくわくと新たなる扉を開きたい。
その願いが、勝手に神さまに届いてしまった気がします。
祈ってもいないのに。
祈りって、その手前の、思い、の時の方が純粋で、神さまはそれを喜ばれるのだと思う。
多分、きっと、うん。

詩篇 65篇

幸いなことよ。
あなたが選び、近寄せられた人。
あなたの大庭に住むその人は。
私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の
良いもので満ち足りるでしょう。
詩篇 65:4
とても良い週末でした。
モーセのことを考えました。
モーセを愛した神さまのことも。
モーセが持っていた「謙遜」という賜物を求めることを始めました。
時々、自分がどこで、何をしているのかわからなくなることがあります。
私は、主の大庭に住み、いつも満ち足りていたい。
それが、神さまが私に願っておられることだとしたら・・・。
小さな人のための夏祭りに行って、思い出したことがたくさんあります。
大切なこと。大切にすべきこと。
ただひたむきに、ただ純粋に、子どもたちの未来を子どもたちと一緒に、わくわくと楽しみながら作ってゆく大人でいたいです。
その“未来”というふた文字に何を思い描くか、という主の問いに、私は、“天のみくに”と胸をはって答えます。
「謙遜」という賜物を求めながら、主の大庭に住み、いつも満ち足りていることは、それほど難しいことではないかもしれない。
今週で、夏の仕事が終わります。
きちんと終わって、すっきりと片付け、そして新しいドアを開きたいです。
心の中の話ね。

Sunday, August 18, 2019

UCLAツアー4

色々便利なカフェテリアの傘の芯
 電話をチャージしたり、ラップトップをつないだり
 ソーラパネルの傘のおかげ
 手すりの下の溝は自転車用

UCLAツアー3




UCLAツアー2


UCLA ツアー

カレーに肉じゃが、白い炊きたてごはん
お土産持って、行ってきました
UCLA


再会いろいろ

★昨日、久しぶりに再会した、ある姉妹に、「お兄さんは?」と聞かれ、私、とっさに、お兄ちゃんの今の状況をどんな風に説明して良いか分からず、「なんとか生きています」と言ったら、「毎日、祈っていますよ」と言われてびっくりした。
「“お兄さんが、お父さんお母さんのもとで神さまのことを知り、元気になりますように。3人で仲良く楽しく暮らせますように”と毎日毎日祈っています。」そう言われたのです。
私はこの3年ほど、彼女にお祈りを頼んだことすら忘れ、なにひとつ彼女のために祈っていないことを恥じたでしょうか。
いいえ。
ただただ、神さまに彼女を感謝しました。
★日本語学校時代の同僚にも再会し、電話番号を交換しました。
あの頃、本当の姉妹のように、とても近く、そして濃く、お付き合いしていたから、時間を超え、懐かしく、愛おしく、涙ぐんで抱き合いました。
私の仕事人生で最も悲惨なぐちゃぐちゃ期を共に走ってくれた人。
6月でその日本語学校を退職し、次のステップに向かって準備中だと言っていた。
「9月に賢人がこっちに戻ってくるんだ、送り迎えで、時々来るので連絡するね」と言って別れた。
社交辞令のあいさつじゃない。
私、きっと彼女にもう一度会ってお礼を言うと思う。
★一番大きな恵みは、小さな人を中心にした小さな人のための世界に、膝をかがめて、無心に奉仕(サービス)するその精神を私にくれた人の、相変わらずの働きっぷりを見れたこと。
相変わらずひたむきに、相変わらず真剣に、そして相変わらず楽しそうに。
夕べ、とても良い気分で、小さなメモのようなお礼をEメールに書いて送り、私は、安心してぐっすりと眠りました。
そしたら、今朝、小さなお返事が届いていました。
「いつでもどうぞ」と。
これも社交辞令のあいさつじゃない。
無駄なこと、何も言わないし、やらない人だったから。
私、きっとまた、相変わらずの働きっぷりを見にあそこに行くと思う。

民数記14章と詩篇61篇

それでも、彼らはかまわずに山地の峰のほうに登って行った。
しかし、主の契約の箱とモーセとは、宿営の中から動かなかった。
民数記 14:44
勇敢なカレブの証を信じず、彼を殺そうと大騒ぎする民を、モーセに代わって罰しようとする主に立ち向かい、モーセは徹底的に民の側に立ち、民を弁護します。
必死に民のためにとりなします。
自分に逆らい、自分に反抗し、なぜエジプトから自分たちを連れ出したのかとまでのたまう民のために神の前にひれ伏すモーセ。
19節「どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください」
そして、主は、そのモーセの願いを聞き入れます。
20節「わたしはあなたのことばどおりに赦そう。」
雲の上の人モーセから、憧れを持つことすらはばかれるような偉大なる彼のリーダーシップから、こんな私に、「本当に大切なことを学び取りなさい」と神さまは言ってくださるだろうか。
人間モーセは、決して、どんなことがあっても、どんなに文句を言われても、どんな裏切りにあっても、神の立場に立って、神と一緒に人を裁くことはしなかった。
彼は、徹底的に自分を民の側に置いて、いつも民のために、神にとりなした。
でも彼は、それを自分の「分」と決めているかのように、恵みを悟ることをしない民を追うことはなかった。
今朝の詩篇は、私にこう歌います。
私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、
御翼の陰に、身を避けたいのです。
詩篇 61:4

Saturday, August 17, 2019

南向きドライブでリフレッシュ

とっても良い日でした。
はなはお昼少し前から、お友だちのママのライドでモールにお出かけしてしまったので、ひとりで自分のペースで家事を済ませ、ひとりで家でお昼ご飯を食べ、それから、はなを迎えにモールへ。
それからとっても久しぶりにはなとふたり、南向きのドライブをして帰ってきました。
すごくリフレッシュしました。
心も、身体も。
でも、一番リフレッシュできたのは魂だった気がします。
魂のリフレッシュって、なんだろう。
性根が正されたっていうかさ・・・。
つべこべ言わずに、がんばろうって思えたわけですよ。
はい・・・(汗)。

今日のおやつ〜焼そばとラムネ



今日のランチ〜昨日、食べそこなったカレーライス

はなは、お友だちとモールへ
だから、今日もひとりランチ
カレーって、次の日の方がおいしいのよね

民数記14章と詩篇59篇

そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。
「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。
必ずそれができるから。」
民数記 14:30
どこにでも一人はいる、直感の冴えたポジティブで行動的な人。

しかし、彼といっしょに上って行った者たちは言った。
「私たちはあの民のところに攻め上れない。
あの民は私たちより強いから。」
31節
どこにでもいる、ネガティブでめんどくさがりな人たち。

彼らは探って来た地について、
イスラエル人に悪く言いふらして言った。
「私たちが行き巡って探った地は、
その住民を食い尽くす地だ。」
32節
どこにでもいる、おせっかいで騒動の大すきな人たち。

さて、誰になりたいですか。
私は、願わくは、この中の誰にもなりたくありません。
でも、もし、カレブみたいに思っちゃったとしたら・・・、
めんどくさがり屋たちがネガティブに盛り上がった時のパワーはそれはそれはじっとりと重く、それを喜びやワクワクに変えようと、こちらが力説すればするほど、かたくなになり、最後は野蛮な変人扱いされるから、モーセの前で民を静めて言うのだけはやめといた方がいいと思う。
大体、そう言う人たちは静められるのが大キライだから。
だから、とりあえず、一人でじっくり祈り、そして、民のいないところでモーセにこそっと相談するかな、私だったら。
カレブだって、おっちゃんになったら、きっとそうすると思うのよね〜。

詩篇は59篇を読みました。
見よ。彼らは自分の口で放言し、彼らの唇には剣がある。
そして、「だれが聞くものか」と言っている。
私の力、あなたを私は、見守ります。
神は私のとりでです。
私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。

アーメン







Friday, August 16, 2019

ヤケ酒

今夜も夫は不在
はなに「なに食べたい?」って聞いたら
カレーって言うから、丁寧にちまちまっと作って
 私は、ほとんどヤケ酒
「嫌われることを受け入れよ」
と言う主の御声を受け入れられますようにと願いながら

詩篇 57篇と民数記13章

主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、
国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。
詩篇 57:9
民数記は13章を読みました。
お姉さんのミリアムに、妻が外国人であることを、なぜか、今ごろ咎められるモーセ。
でも、謙遜すぎるモーセに代わって怒りを燃やしたのは神さまでした。
8節、「彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしない。
彼はまた、主の姿を仰ぎ見ている。なぜ、あながたがは、わたしのしもべモーセを恐れずに非難するのか。」
ヨナに共感することはあっても、ダニエルやパウロに憧れることはあっても、決して、モーセには憧れたりしないと思っていたけど、この件りだけは、「ああ、彼のその、主に愛された謙遜の一滴でも私にあったなら・・・」と思います。
でも、「謙遜」を欲しがる、動機が、まず、もって、まずいんだろうな〜と、わかっているから、やっぱりたとえ1滴でも憧れることすらおこがましい私。
咎められたくない、非難されたくない、という動機・・・。
妬まれているということにして無視してしまいたいという動機・・・。
なんという、不遜な者よ、私とは。
そこで、この詩篇のうたが心に響くのです。
私は私を非難する人の中にあって、あなたに感謝し、非難されながらも、あなたにほめ歌を歌いましょう。



Thursday, August 15, 2019

詩篇 57篇と民数記 11章

あなたは、私のいのちを死から、
まことに私の足を、つまづきから、
救い出してくださいました。
それは、私が、いのちの光のうちに、
神の御前を歩むためでした。
詩篇 57:13
並行して読んでいる民数記は11章、民の不平に主の怒りが燃え、また、モーセの霊を分けて与えられた長老への、与えられていない人の妬みが起きます。
そして、私は、不平を言わず、そして、妬むことなく、主に私のいのちを死から、私の足をつまづきから救い出してくださった神に感謝しようと、あらためて思います。
今日もどうか、いのちの光のうちに、神の御前を歩くことができますように。
アーメン

Wednesday, August 14, 2019

詩篇55篇と民数記10章

あなたの重荷を主にゆだねよ。
主は、あなたのことを心配してくださる。
詩篇 55:22
民数記と詩篇を並行して読んでいます。
今朝、民数記の中で、心にとまった箇所はここでした。
10章35節、契約の箱が出発するときには、モーセはこう言った。
「主よ。立ち上がってください。
あなたの敵は散らされ、あなたを憎みものは、御前から逃げ去りますように。」
10章36節、またそれがとどまるときに、彼は言っていた。
「主よ。お帰りください。イスラエルの幾千万の民のもとに。」
重荷を契約の箱になぞらえたりしたり、聖書の研究家に叱られてしまうかもしれないけれど、でも、大切なミッション、大切な約束という意味で捉えるなら、それも許されると思う。
つまり、立ち上がる時、とどまる時、新しいことを始める時、それを理解してもらいたい時、何かを大きく変えたい時、それを受け入れてもらいたい時、私たちは、モーセに習って、こう祈るべきではないかなって。
私は、モーセのこの祈りを祈りながら、私の重荷を主にゆだねます。
主が、私のことを心配してくださるから。


Tuesday, August 13, 2019

民数記 9章

雲が天幕を離れて上ると、
すぐそのあとで、
イスラエル人は旅立った。
そして、雲が留まるその場所で、
イスラエル人は宿営していた。
民数記 9:17
18節、長い間、雲が幕屋の上にとどまるときには、イスラエル人は主の戒めを守って、旅立たなかった。
20節、また雲がわずかの間しか幕屋の上にとどまらないことがあっても、彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。
一見、自分で選んでいるようでも、主の強力な導きによって動かされているのが、クリスチャンの人生だと思う。
お兄ちゃんのための祈りもそうです。
自分の願いを、自分の意思で祈っていたけれど、神さまの御心は、もっと深く、もっと愛に根ざしていたから、今の私の祈りは、ただ、神さまの業に驚きながら、それを感謝するだけです。
これから、何を、どんな風に、なんて、願うことも祈ることもできなくなりました。
お兄ちゃんを、彼の妻が頻繁に訪問してくれ、そして、一緒に病院に付き添ってくれています。
お兄ちゃんの癌が再発して、それは手術の難しい場所にあって、そして、お兄ちゃんには治療の意思はなく、また体力もない、と、医師のお手紙で読んだ時、どうにかして、お兄ちゃんの胸に主ご自身が、キリストをねじ込んで、そして、痛みなく、静かに、終わらせて欲しいと思った。
お兄ちゃんが病院ではなく、自宅で訪問看護されながら、痛み止めの薬を徐々に強めてゆくと聞いた時、家に帰るのが怖かった。
両親の悲しみを思って、父や母に会うのさえ恐れた私。
そんな小さな小さな信仰の私の上に落ちてきた神さまの恵みは、お兄ちゃんの妻でした。
結婚して間もなかった可愛い奥さんです。
何時間もかけて、お兄ちゃんの治療のために、我が家に送られてくる天使。
お兄ちゃんの気持ちを変えてくれた天使。
神さまの使い。

Monday, August 12, 2019

賢人の近況



今日の晩御飯〜突然「ご自由にお取りください」

準備中に、夫から、遅くなるコール
急に出し方が雑になる私
魚フライとタルタルソース

野菜の棒と味噌&サワークリーム

ご自由にトーストしてださい

ご自由によそい、辛さを調整ください
名付けて、「The ご自由にお取りください」


詩篇 51篇

神へのいけにえは、砕かれた霊。
砕かれた、悔いた心。
神よ。あなたは、それをさげすまれません。
詩篇 52:17
新しい1週間が始まりました。
先週は重いマンデー・ブルーで、やっとの思いだったけど、今朝は、いつものように「ハロー・ブランニューデイ」とぱちっと目覚めることができました。
庭しごとに始まり、そして庭しごとに終わった週末でした。
庭しごとを終えて、ホースの先の回転するスプリンクラーから降り注ぐ水を気持ちよさそうに浴びる植物を眺めながら、私の渇きもいつの間にか癒されていることに気づきました。
家庭にも職場にも教会にも、災いや不幸は何一つありません。
私は、そこに自分の場所があり、やるべきことがあり、そして愛されてきた。
愛されている。
難しい仕事や難しい関係は、数えるべき困難じゃなくて、神さまから私への贈り物、庭しごとと同じです。
そして、私を悲しませていたものはただひとつ。
愛せない自分。
庭は私にそのことを思い出させてくれました。




Sunday, August 11, 2019

自堕落と紙一重サンデー

とても静かで、とてものんびりな、聖なる安息の日曜日でした。
はなは昨日の午後から泊まりでお友だちのお誕生日会に行っていて、まだ帰ってきていま
せん。
来週の私のお弁当
長い長いお誕生日会です。
それで、私は、礼拝の後、家に戻って、ひとりでご飯を作って、ひとりで食べました。
「チキンと野菜のスープかけご飯チーズのせ」
あまりにもおいしそうで、トロッと溶けるチーズを早く口に運びたくて、写真を撮りそこなってしまいました。
それから冷蔵庫とパントリーの在庫をチェックして、お買い物に出かけました。
いつもはながカートを押したり、お買い物カゴを持ってくれるのに、今日はひとりだから大変だった、
はなのランチ
買うのをとめてくれる人もいないので、買いたい放題で、シビックのトランクが一杯になってしまいました。
それで、帰って早速、お料理開始。
来週の私のお弁当のサラダと、そしてはなのランチのお豆と野菜のスープを作りました。
今夜のディナーはそのどちらでもなく、ひとりでチーズかじりながらビールを飲んで、それから、パンを温めて食べよ。
すごい自堕落に見えるかもしれないけど、かなり幸せな日曜日でした。
そして多分、今夜の私のディナー

詩篇 50篇

あなたの全焼のいけには、
いつも、わたしの前にある。
わたしは、あなたの家から、
若い雄牛を取り上げはしない。
あなたの囲いから、雄ヤギをも。
森のすべての獣は、わたしのもの、
千の丘の家畜らも。
わたしは、山の鳥も残らず知っている。
野に群がるものもわたしのものだ。
わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。
世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。
わたしが雄牛の肉を食べ、
雄やぎの血を飲むだろうか。
感謝のいけにえを神にささげよ。
あなたの誓いをいと高き方に果たせ。
苦難の日にはわたしを呼び求めよ。
わたしはあなたを助け出そう。
あなたは私をあがめよう。
詩篇 50:8~15
神さまが私のために、私から引き出そうとされている思いは、感謝のいけにえ。
昨日、庭で、ひとり、せっせと枯れた花殻を摘み、伸びすぎた木の枝を切り、絡み合う草
木を整理しながら、神さまが私に任せてくださっている領域のひとつにこの庭があることを心から感謝した。
何かに囲まれ、出口に向かって祈ろうとする時、私は、いつも庭にいる。
庭はとても正直に私に反応してくれるから、安心して思った通りに、自分が信じるように私は手を動かします。
庭と私はいつも平等。
お互いの弱さや強さを共有しあって、心を痛めたり、喜んだりしている。
柔らかく肥えたところ、堅くて砂利だらけで何を植えてもうまくいかないところ。
そんな庭で考えたこと。
これから少しづつ書くから、読んでね。
どうか、良い聖日を、良い礼拝を、、、、いえ、良い聖日に、良い礼拝にしてください。
(私、やっと、自分の心のイニシアティブを取り戻せた、かもしれない)

Saturday, August 10, 2019

週末ガーデナー

今日は庭仕事をがんばりました
 境目がなくなりそうになっていた草木を分けてあげる作業
 枯れかけていた鉢植えにたっぷりと水
 横に伸びようとするアイビーを塀にくっつける
がんばって上に伸びてくれ
 水を欲しがらないはずのオリーブだって、
水がなければ大きくなれない・・・
箒で積もった枯葉のお掃除
獣道をきれいに整備
うん、なかなかいい