自分の神を知る人たちは、
堅く立って事を行う。
ダニエル 11:32
知識は信仰を強めると同様に、愛をも強くする。
知識が戸を開くので、そこを通して私たちは救い主を見る。
知識がイエスの肖像を描き、その肖像画を見て、私たちはイエスを愛する。
知識はまた希望に力を与える。
知識は忍耐すべき理由を与える。
「朝ごとに」C.H.スポルジョン
ダニエル書の11章をすべて読まなければ、良く意味のわからないみことばだけど、つまり、政略結婚とか裏切りとか欺瞞とかの中で勝ったり負けたりを繰り広げる世界でも、まことのキリスト者は、終わりの日に至るまで、自分が知った真実を伝えることをあきらめない、あきらめてはならない、という意味だと思う。
ここで、いっぱい神さまの言葉を読んでほしい |
今も未来も含めて。
アレクサンドロス大王によって建設されたギリシャ帝国の、(彼の死後の、南の王と呼ばれるエジプトと北の王と呼ばれるシリアについての)預言は帝国の200年前、それぞれの王がたつ400年前に書かれた文章ってことになるみたいだけど、起きてもいないのにやたら詳しいのには、きっとここを読んで、たくさんのクリスチャンが学ぶため。
そして、きっと学んだはず。
私も学びたい。
私も学びたい。
で、これを読んで思う事。
「一人でデボーションしてても成長はない。一人で祈っていてもダメだ。」ときっぱり自信たっぷりに書かれて、ブチ切れた話は何度も書いてきたけれど、そこから完全に癒されるために必死で一人でデボーションして必死で一人で祈り続けている。
これを、キリストの御身体である教会への反抗であると思いたければ、思っていただいて結構毛だらけ、猫灰だらけ。
私の教会への愛は教会が知っているからそれでいい。
私の教会への愛は教会が知っているからそれでいい。
でも、一つだけ、はっきりと、きっぱりと言えることは「知識は祈りの焦点をまさに点に絞る」と言うこと。
これは、本当です。
1億人が集まって祈るのと同じぐらい神さまはそのたった一人のたった一つの祈りを尊んでくださる。アーメン(ワタシ・そ〜と〜ストレス溜まってるかも)