朝開けに、私の祈りはあなたのところに届きます。
詩篇88:13
共に祈り合うということは、互いに共通の土台で、神に対面することです。教会では、不調和や統一性が壊れそうな時、リーダーは、話し合うことをやめさせ、神に仕える人々を祈りに導くことがあります。
不和を続けて、傷つく人を増やし続けることをやめて、神に心を向けて、調和に務めるためです。
共に祈ることをはじめましょう。
共に祈ることで、相手を、もっともっと知り、大切にしたいと思うはずです。
愛情が深まるはずです。
夜寝る前に祈る習慣があると、二人の夜の過ごし方が変わります。
どんなに短くて簡潔な祈りであったとしても、お互い、自分の一日が、それに合わせて過ごす確かなものとなるでしょう。
これは、全てを変える大きなことです。
The Love Dare より
今朝の箇所、前半を読んでいて、聖書の中のある記事を思い出しました。
『使徒の働き』の15章、エルサレム会議と呼ばれる場面です。
私が大すきなフレーズはこうです。
26節、「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。」。
これを言うためには、議会はどれほど共に祈ったことだろうと思い、そして、私も、どこにいても、誰に対しても、正々堂々、神にある自信と平安の中で、いつもそんな風に何かを決めたいと憧れるわけです。
そして、ムードはころっと変わり、後半の夜の祈りについての文章にも、どうしようもない憧れの思いがふくらみます。
クリスチャンの友だちとだってなかなか、「じゃあ、祈ろうか」っと言うのは難しいのに、ノン・クリスチャンの夫と祈るのは、想像することすら難しいけどね。
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