ヨセフは実を結ぶ若枝、
泉のほとりの実を結ぶ若枝、
その枝は垣を超える。
弓を射る者は彼を激しく攻め、
彼を射て、悩ました。
しかし、彼の弓はたるむことなく、
彼の腕はすばやい。
これはヤコブの全能者の手により、
それはイスラエルの岩なる牧者による。
創世記49:22~24
神がその子どもたちに与えられる力は、真実の力である。
なぜヨセフは誘惑に勝てたのだどうか。
神が助けてくださったからである。
この力は「ヤコブの全能者」から来る約束の力である。
あなたが聖書の中でヤコブの神のことを読むなら、神がヤコブに約束されたことを必ず記憶せよ。
光と熱が太陽から来るように、すべての恵みは約束から来るのである。
『朝ごとに』より C.H.スポルジョン
キリスト教は宗教ではなく、契約だと言った人がいたけど、それはこんな考え方から来てくるのだと思います。
これほどありがたり約束が他にあるでしょうか。
この契約はCovenantって言って、Contract とは意味が違うと、前にえりさんが『素顔のロスアンゼルス』に書いていました。
しかも神との契約には文書による署名はいらない、それは口頭による、告白によるのものだって。
ヤコブの全能の神が、何か違うものに据え変えられ、信頼し、拝んだり、頼んだりすることってないかしら。
その場合、書面による契約書がないから、天国の入り口で、あなたの名前はないって言われて、「えっ?」って。
今夜は、ベッドで、創世記からヤコブへの神の約束をじっくりと読んでみようと思います。
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