Tuesday, February 2, 2016

春よこい

今朝書いた記事について、いろいろと考えてみました。
私は、自分が何かを差し出せば、一番の心配事が好転するかもしれないと思っていたのでしょうか。
キリスト・イエスの十字架という一括払い的、使徒信条が告白するところの、ポンティオピラトのというくだりの歴史的事実抜きのキリスト者はあり得ないというのに。
そうじゃない。
神さまが私に求めておられることもそんなことじゃない。
このいてもたってもいられない気持ちは、もっと人間的なこの世界の感覚です。
ただ、ひたすら、もう一度、お兄ちゃんの笑顔が見たい。
父と母に、親になってよかった、人生はなかなか悪くなかった思ってもらいたい。
それだけ。
正直に言って死後の話しは全然好きじゃないし、実はそれほど興味もありません。
クリスチャンのくせにね。
届けたいのは、福音なんて大層なものではなく、ただ、そこらへんに転がっているありきたりで、普通な、私の愛。
そして、こんな私もクリスチャンなのです。
たぶん。
いえ、きっと。

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