山での3日間は、まるで夢の中の出来事のようです。
現実感がなく、本当に行ってきたのかなっと思いながら、山で撮った写真をアルバムに振り分けようとして、はなの『くるみ割り人形』が出てきたけど、これがほんの2週間前に撮ったとは思えません。
不思議です。
山では、ずっと、あるひとつのことを祈り続けていました。
それは、賢人のこと。
翔司を連れて行ったことは、とても大きな意味がありました。
私にとっての大きな意味です。
賢人のことを祈りながら、主の答えの見本が翔司を通して見える思いでした。
荒野は人を変える。
荒野が人を変える。
荒野で人は主に出会う。
荒野で主に出会って人は変えられる。
固い殻の中にいる賢人のことを祈っている私に、殻を破って出てきた翔司が、やさしく、だいじょうぶ、全てうまくいく、信じて、人生はそんなに悪くない、それはとてもBeautiful 、と、主の使いになって教えに来てくれたようだと思いました。
あの子はずっと、静かにに楽しそうだった。
そっと、そこにいて、周囲を静かに見つめていました。
それは、世界のよい面、信じるべきこと、美しさ。
夫が、クルマを交換してくれたので、荷物載せ放題なのを良いことに、素敵な絵と椅子を買いました。
それは、この家を買った18年前からずっとここにあるみたいに、今ここにあります。
だから、雪山はやっぱり夢じゃなかったのでしょう。
この絵と椅子を買って、本当によかった。
そうでなければ、この3日間を私は、到底信じることができなかったと思います。
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