Tuesday, March 15, 2016

Be a Person of Integrity

小さい事に忠実な人は、
大きいことにも忠実であり、
小さい事に不忠実な人は、
大きいことにも不忠実です。
ルカ16;9
神は私たちに誠実で、正直で、そして信頼される者であることを願っておられます。
そこには何の秘密の予定も、隠された動機もなく、法的契約など必要としない、心からのコミットメントだけがあります。
パブリックであろうがプライベートであろうが、同じように、正しく振る舞うこと。
誰が何をしたといてもしても、誰がなにをしなかったとしても、正しさを自分の生き方とすること。
もし、あなたが自分で誠実さにかけると思うなら、決して与えられている可能性の全てを生きることはできないでしょう。
Your Best Life Now より
この小さくてきれいな本でデボーションをしようと決めた日から、なぜか、毎日、ピンの先のような細かさで私の日々の必要を、「ここだ」と示すこの内容に、もう私はあまり驚かなくなっていたけど、さすがに今朝はびっくりしました。
この本を買って、一緒にページをめくってくれている人がいたら証明してくれると思うけど、まぎれもなく本当にそれが今日の箇所なのです。
自分で出口を見つけた気になっていたけど、結局、私は、四方から神に守られ、この真理にたどり着くよう、大いなる力で押され、引っ張られていたようです。
かなわないわ。
私が、夕べ、大興奮の中で書きなぐった文章は、まさにこの静かで淡々と語られるこのメッセージに集約されています。
幼児教育の本で学んだことを思い出します。
Social Referencing 
たしかこんな言葉でした。
幼い子が、始めて出会った新しいことに対して、「どうすればよいのかな」ってふり返った時、それを温かいまなざしで見つめている大人がそばにいること。
その視線を通して、人は人間的な感性や感情を育んでいくというものだったと思います。
はいはいをしていて、みつけたお昼寝中の猫を見て、ママをふり返ると、それをみつめるママがいること。
どろんこの水溜りの中に、ジャンプで飛び込んで泥だらけになった時、顔をあげると幼稚園の先生が見つめていて、一緒に笑ってくれた。
人はこんな経験を通して、社会的ルールを知らず知らずのうちに身につけ、判断する力をつけてゆくのだそうです。
これが、このルカ書の16章とどう関係があるのかは、またぼちぼち書いてみようと思うので、読んでください。

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