しかし主は仰せられた。
「いや確かにあなたは笑った。」
創世記18:15
やめよ。わたしこそ神であるこを知れ。
詩篇46:10
やめよ。わたしこそ神であるこを知れ。
詩篇46:10
イスラエルの民はなぜ、神を信じたのか。
彼らが特別に優秀な民族であったからか、そうではない。
彼らが特別に優秀な民族であったからか、そうではない。
神が愛だからか、神が義だからか、そうではない。
彼らは紅海をふたつに分けた神を信じたのだ。
イエスの弟子たちはなぜ、イエスを信じたのか。
彼らが特別に聖い僕であったからか、そうではない。
彼らが特別に聖い僕であったからか、そうではない。
イエスが愛だからか、イエスが義だからか、そうではない。
イエスが全能だからだ。
彼らは復活したイエスを信じたのだ。
もしあなたがクリスチャンなら神の全能になんの反論もないであろう。
しかし、実は、これはそんな単純な告白ではない。
神の全能を信じたところで、それは所詮、あなたとは無関係である。
それを知るまでは、全能の神は例え全世界を支配しても、あなたには近づかない。
神が全能であることは、サタンでさえ告白している。
全能の神をどれほど信じたところで、あなたは自分の無力や罪深さを認めなければ、あなたと神の全能には何の関係もない。
神の、「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」という信仰の促しを真しに受けとめ、冷笑主義から解放されよ。
神の前にひれ伏し、神を礼拝しながら、皮肉な笑いを浮かべたサラとアブラハムは現代の私たちである。
使徒信条の藤本満の説教テープより
我は天地の造り主、全能なる神を信ず。
未来の古典として、説教集に編集されて残されてほしいメッセージです。
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