今日はすっごいかんばった。
バスルームの大掃除。
新しいシャワーカーテンとカーテンポールを買いました。
ポールはとりよせなので、手もとに届くのに1週間かかります。
L字のやつね。
市販ではL字やU字のポールはなく、オーダーメイドになってしまいます。
今は父の手作りのL字がかかっているけど、ずいぶんくたびれ、ゆがんできているので、思い切って作ってもらうことにしました。
100年近い家で、オリジナルの猫足バスタブが小さな小さなバスルームの角っこに置かれていて、小さいけど、市販の直線ポールの72インチだと届かないのです・・・。
このタブは重すぎて、運ぶのにも、壊すのにも何千ドルもかかるということなので、がんばるほかありません。
今夜の晩ごはんは冷やし中華と魚と海草のスープ。
もうできているので、のんびり書いています。
今朝の記事の続きの気もちだけど、私は、家にいて、家事に全力を出すことに、わけのわからないギルティを感じていました。
気分転換のレクレーションとしてがんばれば楽しいし、家族に喜ばれるけど、プロのかじゃー(家事ER)、かじぇすと(家事IST)、なら、もっとすごい業がなければいけない、例えば、家族のヘアカットしちゃうとか、ハロウィンのコスチューム手作りしちゃうとか。私それないしって。
だから、外で何か役に立って、家に帰って、ミニマムの家事を精一杯やることで心の平和を保っていました。
でも、家事の中心事業って実はムード作りなのよね。
安らぎとか安心感みたいなさ。
どれだけ、どこまで、どう、何を造り出したか、進歩させたか、良くしたか、改善したか、解決したか、ではなくね。
帰ってくる人たちよりも1秒でもいいから、先に帰って、一滴でもいいから、ごくろうさまの気持ちで迎える。
ここだったんだね。
夫が、私が帰った日から三日連続で私の作ったごはんを食べてくれました。
作り方も味も変わっていないけど、でもちょっぴり安らぎという薬味がふりかけられているのよね、ってごめん、自画自賛の自己満足です。はい。