Friday, July 8, 2016

申命記3章

もう十分だ。
このことについては、
もう二度と私に言ってはならない。
申命記3:26
民数記の中でシナイの荒野からヨルダンまで、どのようにして、主がイスラエルの民を導いたのか。
いつも、必要な情報は全て、与えられた。
約束も守ってくださった。
湯布院の酒屋
夫のことを思いながらお酒を見て歩いた
そして、ここで、神さまはモーセに、たぶんはじめて、きっぱり、「NO」とおっしゃった。
もっともっと良いもののために。
神さまに無理矢理でも、従わせられる人は幸せな人だと思う。
私も含めて。
なんの咎めを感じずに、恐ろしい倫理観に従って笑って生きてるいるノン・クリスチャンを羨ましく思うとしたら、それは大間違い。
その行くへに待っているのは想像もしたくない世界。
日本に行って、実家の居間で、父と母と共に廣田牧師の福音にふれて、そして、座敷に座布団を敷いて正座で、日野原重明を読んで、私はこの問題に目を反らす続けていることは、もうできないって思った。