Tuesday, January 31, 2017

新種の葛藤と戦い中

★聖書を開くことができなかった日。
こんな日は、すごく久しぶり。
どんなことがあっても、たとえ、朝、それができなかったとしても、どこかで必ず開いていた。
この数ヶ月。幼稚園を辞めて以来、毎日必ず。
でも、今日は、開けなかった。
一杯一杯なのです。
御心の啓示の洪水状態。
溢れて溢れて。
★溢れるものを整理したいのに、全然無理。
今夜は誰かとおしゃべりする必要、断然あり。
でも、日頃の行いが悪いので、こんな時に、誰もつかまらない。
でも聖書は開きたくない。
心に直接届いた啓示を今夜は大切に胸に抱いて眠りたい・・・、でも興奮を沈めるために、誰かとしゃべりたい。
平安がありすぎて興奮状態って、そんなのありでしょうか?
こんな葛藤、生まれて初めてです。

晴れの日

とても良い日だった。
良い日っていうより、晴れの日。晴れた日。
神さまのくださる平安って、何にも変えがたい。
本当に。
雨でもいい。嵐でもいい。雪でもいい。
神さまが共にいてくださり、私の霊が喜ぶなら、なんでもいい。
どんなであっても、それが晴れの日。
主が私を赦した。
私は主に赦された。
主が私に赦させた。
私は主に赦させてもらった。
だから、はじめよう。
最初から。
あれをしよう。
これもしよう。
主がさせてくださることは、みんなしよう。
主が開く扉はかったぱしから入ってみよう。
そして愛すること、愛されることを、一から学び直そう。
小さな人と共に。
大きな人と共に。

Monday, January 30, 2017

犬と彼らの階段問題

はなの見つけて送ってくれたビデオ

あんたっていったい・・・

教会のチャペルのエントランスホール
賛美のリハーサルの間に作ったらしいんだけど
朝っぱらからひとりで、こんなビデオ作るって、
やっぱ、ちょっと変わってるよね
このひと

オリーブの植樹と幸せな大洗濯

温かい一日でした。
あまりにも温かかったので、このまま、春になってしまうのではっと、焦ってオリーブも植えちゃった。
ローカルな植物なのでこれはきっと大丈夫だと思う。
思いついたその瞬間、がががが、と穴掘って、ぼすっと植えて、シャベルでぺんぺんっとたたいといた。
祈りもせず。
りんごの木とのえらい待遇の違い。
りんごの木は土がなかったばかりか、青森やバーモントのような温暖の差の激しいところの植物でしょ、きっとって、よく知らないんだけどさ。
それから枕カバーうやら、クッションやら、なんやかんやの大物もじゃぶじゃぶ洗って外にば~んと干して、とってもいい気持ち。
お日さまの匂いのする枕カバーほど、幸せを象徴するもの、他になし。
しあわせ~。

イザヤ書 57章

「わたしは、高く聖なる所に住み、
心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、
砕かれた人の心を生かすためである。
わたしはいつまでも争わず、
いつも怒ってはいない。
わたしから出る霊と、
わたしが造ったたましいが衰え果てるから。
わたしは、怒って彼を打ち、
顔を隠して怒った。
しかし、彼はなおそむいて、
自分の思う道を行った。
わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。
私は彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、
慰めを報いよう。
わたしは唇の実を創造した者。
平安あれ。
遠くの者にも近くの者にも平安あれ。
わたしは彼をいやそう。
イザヤ 57:15~19
「平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。
これほど大きな慰めは他にありません。
「平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼をいやそう。」
主の御手がお兄ちゃんの背中に触れている様子を思い浮かべています。
お兄ちゃんは、なおそむいて自分の道を行っているかもしれないけど、そして主はその道を見たかもしれないけど、でも、きっといやしてくださる。
主がお造りになった、お兄ちゃんの魂が衰え果てる前に、必ず。
イエスさまが、とりなしてくださる。
必ず。
「平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼をいやそう。」

Sunday, January 29, 2017

愛はあきらめない

てんこ盛りな、主の日、聖日。
主の祝福で一杯な日曜日でした。
温かなムードの賛美のリハーサルがあり、昨日のこのエリアの日本語教会が一同に会した聖会のインスピレーションに満ちたシェアリングがあり、聖霊によるアーメン嵐な礼拝があり、賛美チームのとりなしミーティングがあり、そしてえりさんの私への個人的なカウンセリングがあり。
霊も心もいっぱいいっぱい。
全ては、この最後のえりさんの私への個人的カウンセリング奉仕のおかげで、今本当にハレルヤと落着しております。

イザヤ書 56章

幸いなことよ。
安息日を守ってこれを汚さず、
どんな悪事にもその手を出さない、
このように行う人、
それを堅く保つ人の子は。
イザヤ 56:2
私は、安息日は守るけれど、これを汚さず、どんな悪事にも手を出さなくはないと思う。
天国的には、悪事だらけかもしれない。
「人は、不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。」
今朝、 Tweet で読んだマザー・テレサの言葉です。
こんな風に愛されているから、私は、安息日を守れるのかもしれません。
かろうじて。
断じてその逆であるなどとは、間違っても考えるべきではないと身を小さくしています。
今日も良い日でありますように。
あなたと私の主の日、聖日に一杯の祝福がありますように。

Saturday, January 28, 2017

Eフラットと海老カレーとりんごの木のこと

★今日は、ほとんど一日、ピアノを弾いていました。
自分で選んだ新しい曲があるのだけど、聴くと演るとじゃ大違いな曲で、思ってもみない変な音が時々聴こえてきて、自分でびっくりしながら。
小指で何かをやろうとすると、必ずはずすの。ほとんど必ず。
変イ長調だからラとかシの黒鍵を弾く必要が一杯あるのに、小指で押さえようとすると、滑りまくって、焦りまくる私。
なんだろう。
ハノンを変イ長調で練習しなくてはいけないかもしれない。わたし・・・
★となりのおじちゃんが、ものすごく立派な海老をおすそ分けしてくれたのは、昨日のこと。
夕べはそれを湯豆腐に入れ、海老の夢をみそうなほどに満喫し、今日は残りの全てでカレーをつくりました。
10センチはある海老20尾と、ガーリックを2ふさ(2かけじゃないよ)、そしてしめじ。
こんなカレーを作ったのは生まれてはじめてです。
すごくさらさらしている。
豆腐でも入れてみたい誘惑と闘い中・
★りんこの木、ちゃんと生きています。
すごく元気に見える。
小枝の先の小さなな葉がピンとがんばって広がっています。
今はまだ、与える水を吸って生きているだけで、地に根を張って、そこから水を吸い上げているわけではないけれど、でもちゃんと生きている。
毎日、祈るような思いで、水を与えています。
なんで、ここまでって、自分でも不思議なぐらい愛情注いで。

イザヤ書 53章

それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、
彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、
そむいた人たちとともに数えられたからである。
彼は多くの人の罪を負い、
そむいた人たちのためにとりなしをする。
イザヤ 53:12
今週のはじめに、教会から、聖日礼拝賛美曲のために送られてきた聖書箇所は、ヨハネの17章でした。
ヨハネの17章を、そこだけを、じっくりと読んだのは、今週がはじめてだったかもしれません。
5節の、「今は、父よ、みそばでわたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょに持っていましたあの栄光で輝かせてください。」を読んだ時、朝の通読のこのイザヤの33章を読んで書いた、人は神さまに似せ創造されたから、自らの身体を汚すと違和感を覚えるのはやっぱり間違いないと思って、うれしかった。
イエスは世界の存在する前から創造主とそして神の霊と共におられた。
そして、三者会談で相談の上、人を神に似せて造られたのでした。
ヨハネの17章、6節ではイエスは、天におられる父なる神に、こう言われます。
「わたしは、あなたが世から取り出してわたしにくださった人々に、あなたの御名を明らかにしました。
彼らはあなたのものであって、あなたは彼らをわたしにくださいました。」
9節、「わたしは彼らのためにお願いします。
世のためにではなく、あなたがわたしにくださった者たちのためにです。
なぜなら彼らはあなたのものだからです。」
私が、何を書こうとしているのか、きっと誰もわからないと思うけど、私の感じたことは、こうです。
創造主であられ、子なる神と聖霊とを私に与えた父なる神は、世界の創造の御業の最後に人をお造りになった。神に似せて。この人類を主は愛しておられる。
でも、イエスがこれは自分のものと言っておられるのは、誰もかれもではない。
私なのだということ。
そして、誰もかれもではなく、イエスの所有された人に、聖霊が与えられた。
この超・シンプルで常識的な教義が、やっとわかった・・・。
おそいっちゅ~の。
平たくというと、自分の葛藤を人類の葛藤と重ねてはならないということを学んだと、そういうこと。
私の葛藤は私がこの世のものではないという意味だったのです。
そして、この世は私の葛藤を理解しない。
私のように葛藤を罪だと思っていた人が、ひとりでも減ればいいな。

Friday, January 27, 2017

揺れる女心と冬の寒空

寒い一日でした。
今夜は48度まで冷え込むようです。
東京の昼間と変わらない寒さかもしれません。
クリスマスプレゼントのウール(柄はカントリーっぽい青とシロのチェック)と毛足の長
いフリースがふくろになった軽いけど存在感のあるブランケットが、本当にありがたい。
サイズもほとんどキングで、取り合いになることなしだし。
バレエスクールの体操のクラスに、ケガ以来、初めて行きました。
先週は、山に行っていたので、お休みしたのです。
リスクの高いこのクラスはもうやめにして、その代わりに来月からプリ・ポイントというクラスを取ろうねって、話していたのだけど、今日は、「やっぱりやめたくない」って言います。
もしかしたらそうなるかもしれません。
予算は予算だけど、中身は本人の自由です。
出世の近道ためにプリ・ポイントを取るよりは、好きなことで、自分の身体をよく知って鍛えて踊ることを楽しむ方が聖書的でいいかもしれない。
でも、揺れる女(若干11歳)心。
もう数日あるので結論は延期です。

Y のことあれこれ

●すごくいろんなことを一杯したような、なんにもしていないような。
そんな一日です。
Y に行く時に、普通のサイズのシャンプーやソープやトナーをわらわらとバックに詰めて、大荷物になっていたし、はなと隣同士のシャワー・ルームでシャンプーどうぞとか、ソープいい?なんてやっていたので、旅行用の小さなボトルに2人分詰め替えたりしました。
近所のターゲットにも詰め替え用のボトルはあるけど、トーレンスのダイソーにまで行ってきちゃった。
それを入れる小さなバック(ホントは筆入れ)も買っちゃった。
●Y のロッカールームって全部で5種類あります。
mens、 woman、 boys、 girls、 そして family。
私とはなは Girls を使います。
それがきまりなの。
Woman の方がシャワールームが広いし、たくさんあるし、心なしかお湯もたくさん出る気がするのだけど、ここにはなをこっそり入れた時に、素っ裸のおばちゃんに、びしと怒られたので。
でも、Girls に時々小さな男の子が入ってきてびっくりします。
男の子とお母さんは、Family をつかわなければなりません。
女の子とお父さんも。
でも、お母さんは、どこかのおじさんと一緒になりたくないので、男の子を こっそり Girls に入れちゃうわけだけど、ここで、件(くだん)のおばちゃんみたいに、私はびしっと言えない。
あのおばちゃんを時々、Girls に借りてきたいよ。
● Y のジャグジーって、じいちゃんばっかりで、これもちょっとつらい。
話かけられないように、外側に体を向けて、目を閉じているのだけど、気づくと、まわりがぐるりとじいちゃんS で、(自意識過剰と言わないで、ホントなの、51歳だけど)目を開けてびっくりするのだ。
そんなに狭いわけじゃないから、分散してほしいのに。

イザヤ 51章

わたし、
このわたしが、あなたを慰める。
あなたは、何者なのか。
死ななければならない人間や、
草にも等しい人の子を恐れるとは。
天をひき延べ、地の基を定め、
あなたを造った主を、あなたは忘れ、
一日中、絶えず、しいだける者の憤りを恐れている。
まるで滅びに定められているかのようだ。
そのしいたげる者の憤りはどこにあるのか。
捕らわれた人は、すぐに解き放たれ、
死んで穴に下ることがなく、
パンにも事欠かない。
わたしは、あなたの神、主であって、
海をかき立て、波をとどろかせる。
その名は万軍の主。
わたしは、わたしのことばをあなたの口に置き、
わたしの手の陰にあなたをかばい、
天を引き延べ、地の基を定め、
「あなたはわたしの民だ」とシオンに言う。
イザヤ 51:12~16
昨日、サウナで祈ったことに似ていたので、今日は、ここに心を留めました。
「主よ、どうぞ、私の心と声を唇を取ってください。
それをあなたに、お奉げします。
あなたの思いを思わせてください。
その思いを私の声にして、この唇に上らせてください。
私の唇を通して、いつもあなたがお話ください。」
とこんな祈りでした。
私は、いつもかなり真っ直ぐに話す方なので、時々、それにびっくりした人が逆上したり、痛みで倒れたりします。(実際にパタリと倒れるわけじゃないけど、再び、その人に会うことはなかったという結果もありました)
多くの場合、それはとてもポジティブな結果となるのだけど、時々、そんなこともあります。
大人の白い嘘や、適当なごまかしが実はとても苦手なのです。
でも、せめて、正直な気もちもやさしく愛を込めて、話せる人になりたい。
だから、時々そうやって祈っています。

Thursday, January 26, 2017

真剣に生きている人

なんでもかんでも感嘆の気持ちのまくらことばのように F の言葉をくっつけちゃう、料理の人のビデオを、こっそり見ています。
ここのところ、ほとんど毎日、お皿を洗いをしながら、ひとつ。
すごく感動しちゃのうの。
なぜだろう。
性格悪いし、極端だし、口汚いのに。
天国では逢わない気がするのだけど。
でも、わかないわな、こればっかりは・・・
五感の犯す罪は、霊が犯す罪に比べれば、全く無邪気とC.S.ルイスは言うし、この人が F
すっかり悔い改めた、F クリスチャンではないとは限らない。

in and out

Y のサウナで、30分ほど、ぐぐっと集中して祈ってきました。
Y のサウナって、心と身体の老廃物が一緒に流れて出てくる一石二鳥な祈りの部屋です。
半年前までは、長距離ドライブの車の中が私の祈りの部屋だった。
そこでは、身体の老廃物は出ていかない代わりに、たくさんのインスピレーションが私の内に流れてきていた。
流れる景色の中にいると、なぜか、いろんなことを思いついていた。
今思えば、それはきっと、御声が聴こえてくるのを待つことだったのね。
絶え間なく、ずっと喋っているわけじゃなかったから。
気が済んだら黙って、音楽聴いて、そしてふっと思ってまた口を開いて祈り始めて、そして、黙って。
なにしろ、往復2時間半ぐらいかけていたから。
今は、「主をお語りください。僕は聞いております。」とまず、宣言しなければ待てない。
じっとしてるのすごく苦手だから。
何かいい方法はないかなって、考え中。

えっ!


イザヤ書 45章

主は、油そそがれた者クロスに、
こう仰せられた。
「わたしは彼の右手を握り、
彼の前に諸国を下らせ、
王たちの腰の帯を解き、
彼の前でとびらを開いて、
その扉を閉じさせないようにする。
わたしはあなたの前に進んで、
険しい地を平らにし、
青銅のとびらを打ち砕き、
鉄のかんぬきをへし折る。
イザヤ 45:1,2
王達の腰の帯がほどかれたら、王たちはさぞや恥ずかしいだろうな。
青銅のとびらが打ち砕かれ、鉄のかんぬきがへし折られらたら、側にいた人たちはさぞやびっくりするだろうな。
でも、こういうことって、時々、本当にある気がする。
そして、こういう時に一番びっくりして、一番主を恐れるのは、クロス本人だったりするんだよね・・・。

Wednesday, January 25, 2017

ありがたい道具

今さら、なんなんだけど、携帯電話って、本当に便利ね。
こんな発明品はドラえもんでさえも持っていませんでした。
クリスマスにはなが夫から iphone をもらったのだけど、このことで一番恩恵を受けているのは、何を隠そうこの私。
「ちゃんと宿題パックした?」とか「雨が降っているから、中で待っていて」とかのテキストに素早く返してくるし、山からも毎日連絡くれたし、写真も一杯送ってくれた。
賢人に最初の電話を与えたのは6年生の9月で、以来、今の電話も含めて全て、夫が買い与えているけど、一度もそんなテキストもらったことがなかったから、この便利さと安心に涙が出そうです。
5年生の12月に与えるのは、どう見積もっても半年は早いと思っていたけど、ちょうどよかった。
夫と神さまに感謝です。
でも会話がややこしくなると私たち、いつもこうなるの。
Hannah:Why?
Maki:Because \ij xguhl5479230nu[qvnf[das v;fias v[iasasd fhap5432 hi[ p=m9!!!!
Hannah: OK..Mama
Maki:Thanks

イザヤ 41章 ②

わたし、主は、彼らに答え、
イスラエルの神は、彼らを見捨てない。
わたしは、裸の丘に川を開き、
平地に水をわかせる。
荒野を水ある沢とし、
砂漠の地を水の源とする。
わたしは荒野の杉や、アカシヤ、ミストス、オリーブの木を植え、
荒地にもみの木、すずかけ、檜も共に植える。
イザヤ 41:17~19
この、主が荒地に植えられるという木のひとつひとつの種類について、植物の研究家や聖書の研究家にじっくり話しを聞いてみたいです。
杉や檜は日本でよくみかけます。
でも、オリーブはそうでもありません。
素敵なカフェの表玄関に大きなポットに植えられているような植物です。
昨日、りんごの木を植えた後、写真を撮って、日本のお兄ちゃんに送りました。
記念です。
りんごの木の根っこは袋に入っていたのだけど、なんとひょろひょろと伸びた根が濡れたおがくずに包まれているだけでした。
私は、袋に書かれた説明書をよく読まず、17ドルという安さに、思わず、一息の祈りを持って買ってしまったのです。(オリーブはその勢い、っていうかどさくさに紛れつい)
枝を切って、水栽培するとそうなる植物があるけど、そんな感じの状態でした。
これを根付かせるためには、そうとう深い穴を掘り、2人がかりで、木を支える人、根を広げて、その間に土を入れてゆく人の分担作業が必要だったと思う。
でも、私、ひとりでやっちゃった。
しかもすごく小さな穴の中に根っこをぐちゃぐちゃっとさせて。
もし、これで根づけば、奇跡だと思う。
でも、きっと根付く気がして、お兄ちゃんに写真を送ったのです。
このりんごの木が私の庭で、実をつけたら、それもお兄ちゃんに見せたくて。
もし実をつけてくれたら、私は、お兄ちゃんに私の主を誇ろうと思う。
そしてその実をお兄ちゃんにあげよう。

Tuesday, January 24, 2017

あんたっていったい・・・

これ、学校の西側
はなの向こうにあるの、下半分は雲じゃないの
海なの
あんた、いったいぜんたい、学校でなにやってんの?

とんでます・とんでます

トランポリンじゃなくて、緑の上でとぶおんな
カメラがいいの?
カメラマンがいいの?
被写体がいいの?
それともその三つの関係がいいの?
きっとそう
私には、絶対撮れないナイスなショットです

スケート・ボードの再利用&秘密の買い物

割れたスケートボードを小道にかざってみました
塗料を塗って、腐らないようにしよう
 まだまだ一杯ある割れたボード
裏のフェンスがかなり古いので、
腐った板だけはずしてさりげなく紛れ込ませたい
裏に続く小道も 完成させました
はなと1回一枚づつがんばったけど、途中で挫折
今日は、賢人をお供に7枚買って一挙に解決
りんごの木を衝動買い
木を衝動買いって、おそろしいやおそろしや
(実はオリーブの木も買っちゃった
夫がいっぺんに2本も木が植わっているのを
見たらびっくりすると思い、隠している・・・
秘密ね)

イザヤ書 41章

彼は彼らを追い、
まだ歩いて行ったことのない道を安全に通って行く。
だれが、これを成し遂げたのか。
初めから代々の人々に呼びかけた者ではないか。
わたし、主こそ初めであり、
また終りとともにある。
わたしがそれだ。
イザヤ 41:4
まだ歩いて行ったことのない道を安全に通って行く。
まさに、いつも、私の頭と心にあるイメージです。
それを、いつも、心の中で冒険と呼んでいます。書いています。
今日も、先週と同じワーカーと一緒に仕事をしました。
しばらく、彼女が私のパートナーのようです。
彼女は子どもと私とで、さりげなく輪を作ってくれます。
年齢が離れていても、違う活動をしていても、さりげなく。
「おしゃべりな人」ではないけれど、小さなことも全て相談してくれて、自分が思ったことも話してくれるし、私が見ていなかった子どものおもしろかった行動は、必ず、私に話してもう一度笑います。
子どもたちが落ち着いている時は、自分のことも話してくれる。
こんなに英語が下手なのに、こんなに普通にあたりまえに、こんなに長いこと会話が続いているのかすごく不思議。
それが、今の私の冒険、まだ歩いて行ったことのない道。
でも、安全で楽しい道。
初めであり、終りとともにある主が守ってくださっているから。

Monday, January 23, 2017

タンポポを虐待する超時代遅れな私

★寒い一日でした。
今夜はさらに気温が下がるみたい。
たくさん降った雨のおかげで、バック・ヤードのグランドがとってもきれいだけど、こんな日がチャンスと、かじかむ手で雑草を山のように抜きまくりました。
たらふく水を吸って、土が柔らかくなり、おもしろいように、素手でひょいひょいと抜けて、がんばった甲斐がありました。
3種類のカバー、芝生、三つ葉、そして夏にピンクのお花をつける名前のわからないかわいいカバーの植物、それ以外をものは基本的に雑草と勝手に呼んでいるだけど、今日はタンポポしかみつけられず(でもいろんな種類のタンポポあり)、ごめんよ、ごめんよ言いながらも、親の敵のように目ををさらのようにして探して抜きまくりました。
★かつてないほどの情報社会、そしてここはかつてないほどの大雨であったらしいにも関わらず、私の暮らす小さな世界はどうもそれから切り離されているみたい。
たくさんの人に、実はあんまり使い慣れていないLINEで、大雨と洪水のお見舞いを送ったのに、みなさん、雨と関係ないお返事ばかり。
なんだか狐につままれたよう。
でも、お元気でなりよりです。
結局、どんなに降って、どんなにすごかったのか知る間もなく、世界は次の問題に夢中というわけ。
★今夜は鍋。
肉団子とお豆腐と白菜のお鍋。
しょうがと大根をおろし入れたポン酢で食べます。

大雨洪水と猿の知恵

LA の空は隙あらば、晴れようとする、根性のない空だとちらりと書いたら、昨日は、大変な雨だったらしい・・・。
私、そのピークの間、礼拝の終わった後の静かで温かなチャペルに座って、はなを待っていたから、幸せなことに何にも知らずにすみました。
バスは、なぜかその影響を全く受けず、ぴったり予定通りに到着したし、その時は小雨で、テレビは、昨日、賢人が録画した映画を観ていたので、ローカル・ニュースもちらりとも見ていません。(賢人が映画を観ていなくても、私、テレビでローカルニュースを見る方法、実は知らなかった)。
電話に送ってもらっているニュースは、National Geographic からのなので、こんな時、なんの役に立たず。
(ちなみに、本日のここから送られてきたトップ・ニュースは、北海道のイサハヤでニホンザルが雪の玉を作って投げているという話 Read the full story ↓
http://news.nationalgeographic.com/2017/01/animals-winter-snow-climate/
大丈夫だったのかしら、私のご近所、友人、知人、知らない人たちは。
神さま、ごめんなさい。もう言いません。
だからどうぞ、ダメージを受けた街と道と家をあなたが癒してください。
アーメン

イザヤ書 40章

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
イザヤ 40:31
昨日、父と母とスカイプでおしゃべりしました。
父も母も顔色もとてもよく、穏やかな笑顔が輝いていたけど、80代の父の身体が新しいステージにやってきたようで、そのことの報告を受けました。
父は、教会で牧師や牧師夫人に近況を聞かれ、正直に話し、祈ってもらったと笑顔で話してくれました。
父と母のつながる教会のシニア・パスターは、高齢者伝道に重荷を持ち、また、彼自身がお寺のお坊さんの息子ということもあって、先祖や仏さんを拝む田舎の高齢者に、聖書の話をするのがとても上手な伝道者でもあります。
その彼と、父と母が心でつながっていることを、夕べは泣きたいほど、感謝しました。
同じく昨日、礼拝の後で、親や親戚のいない海外で子育てをする若いお母さんを、聖書の教えに基づいて、補助したいという、マミー&ミー・グループ、『ぶどうの木』のミーティングがありました。
父が守られているように、私たちが出会う、若いお母さんもきっと守られる。
そう信じています。

Sunday, January 22, 2017

賢人の証

今日は、賢人は彼の教会で、キャンプで働かせてもらった証をさせてもらったようです。
朝、車の中で、証らしき原稿に、超あせった顔で、メモを取り続けていて、笑っちゃった。
行くのは安し、やるのも安し、されど、語るのは難しい重たい口の男・石島賢人。
そこで、母はニヤニヤしながら、それをたたんでポケットに入れさせて、聞きました。
「なにを新しく知った?たくさんあると思うけど、みっつだけ教えて」
①忍耐ないこと
②自分がまだまだ足りないこと
③スピカーのメッセージから、神さまの御声はいろなん方法で聞こえるってこと
「へえ~、そうなんだ、それを知って、どんな風に変わりたいと思った?
①はなの勉強をみてあげる時に大きな声を出さない
②威張らない、大きく見せよとするのをやめる
③神さまの御声が聞こえるまで、勝手にトランスファーする学校を自分で選ばない
「そっか、じゃ、それを話せば? ①には①、②には②、③には③の決心を添えて」
そこでちょうど、教会に着き、あの子はめずらしくにっこり笑って「ありがとう、そうする」って言いながら車を降りました。
私もあの子の証が聞けてうれしかった・・・。

帰ってきました

どしゃぶりの中、元気に帰ってきました
はらへり女・ラーメンたべ中
うわ、こんなに最後まで食べてる
おうちのごはん、おいし~

今日の宝

静かな静かな日曜日の朝、雨の音だけが聴こえてきます。
昨日の『おうちで温泉』という一大イベントのおかげか、夕べはものすごく深く、そしてたくさん眠ることができました。
起きても世界は、何一つ変わってないかのように見えることが毎朝の感謝です。
私の毎日は、本当にいろんなことが起きます。
傷つくこともあるし、傷つけることもあります。
でも、私は、毎日、赦され、癒され、励まされています。
昨日は昨日の宝があり、今日は今日の宝があるようです。
世界中のキリストの教会と礼拝に、一杯の祝福がありますように。

イザヤ 38章

ああ、私の苦しんだ苦しみは
平安のためでした。
あなたは、滅びの穴から、
私のたましいを引き戻されました。
あなたは私のすべての罪を、
あなたのうしろに投げやられました。
よみはあなたをほめたたえず、
死はあなたを賛美せず、
穴に下る者たちは、
あなたのまことを待ち望みません、
生きている者、ただ生きている者だけが、
今日の私のように、
あなたをほめたたえるのです。
父は子らにまことについて知らせます。
主は、私を救ってくださる。
私たちの生きている日々の間、
主の宮で琴をかなでよう。
イザヤ 38:17~20
私が生きている日々の間、主の宮でピアノを弾き、主を賛美しよう。
今朝の私の気もちに、本当にぴったりのみことば。
心からアーメンといいます。
盛んに花を咲かせ、喜ぶ荒地には大路があり、その道は聖なる道と呼ばれ、そこは購われた者の道と35章にありました。
その道は、決して、平らで広くてまっすぐなわけではないと思う。
でも、喜ぶ荒地の名の通り、そこを選んだ人には、主のガイド、主のガードがあり、何にも変え難い平安があるに違いありません。
この箇所を読む前の昨日、まさにそのようなことを、ある愛する姉妹に言ってみました。
そして、一緒に祈りました。
ただ主に購われた者たちだけが帰ってゆくために歩む道、楽しみと喜びが後を追ってくる道、獅子も猛獣も上ってこれないこの道を共に歩めますようにと。

Saturday, January 21, 2017

僕(しもべ)は感謝で一杯です

お風呂に入っている間にひとつの電話がありました。
あつ~いお湯の中で、電話をくれた人と彼女のミニストリーのために、一生懸命に祈っていたので、ちょっとドッキリしました。
でも、これはきっと神さまのお返事っと信じ、小さく祈ってコールバックしました。
そして、それは本当にそうだった。すごくそうだった。
思った以上に。
信じた以上に。
だから、神さまはすばらしい。
だから、信じることはやめられない。
ハレルヤ!

山だより

持たせなかった、スェター着てる
元気そう
電話も健在ね(心配、つねにここ)

ちょっと和歌山まで行ってきた

じゃじゃん
この中からひとつを選ぶって、すごく難しい
それで目を閉じてこれにした
お湯はまさにこのピンク色
はなの ipad で音楽をききながら
のんびり、ゆっくり
いい、湯でございました

僕(しもべ)はこれからひとりで悪いことを一杯します

★隙あらば、晴れようとする LA の空。
あんのじょう、晴天です。
でも、根性ね~な、なんてそんなことは言わない。
だって、雪山の上に広がった青空のおかげで、バイブル・キャンプの子どもたち、本当に楽しそうなんだもん。
よかったよかった。
静かな静かな土曜日の朝です。
★夫は仕事、賢人は車でおでかけ、はなは山。
そんなこととは知らずに炊飯器が一生懸命にごはんを炊いてくれているわ。
3合も。
一人で、熱いお茶を飲みながら、梅干かじりつつ、光かがやくぴかぴかのごはんをお醤油をつけた海苔で巻いて食べよう。
おかわりもしよう。
好きなだけ食べよう。
★この前、日曜日に、暑がりのえりさんが寒がりの私に温泉の素を一杯くれたので、今日こそ、あれを試さねば。
絶好のチャンスです。
お風呂の中でお祈りしよう。
これまでのことに感謝して、これからのことを神さまに相談しよう。
「僕は聞いております。主よお語りください。」という間のある祈りをしよう。
そうだ、蝋燭灯して、音楽も流そう。
やっぱ、バッハのチェロだわね、そういう時は。
賢人のスピーカーを勝手に借りて大きな音で聴こう。

Having Fun !

後ろのおうち、すごく素敵
こんなところに泊っているのかしらん
手袋はずして自撮りね
気をつけておくれ
電話を、こわさぬよう・・・

イザヤ書 33章

耳を閉じて血なまぐさいことを聞かない者、
目を閉じて悪いことを見ない者、
このような人は、高いところに住み、
そのとりでは岩の上の要塞である。
イザヤ 33:15
大好きなみことばです。
クリスチャンになってすぐに読んだ本、私に大きな影響をくれた本に、A.B.シンプソンの『聖められた生涯』というのがあります。
何もわからず手当たり次第だったにも関わらず、今振り返ると、あの頃貪るように読みまくった本が、ことごとく古典的なベストセラーなのは本当に不思議です。
その中の霊とたましいに続く「からだの聖め」という章に掲げられてたみことばがこれでした。
物質宇宙のすべてを造られた神は、人の身体を形造る前に、三位一体による厳かな審議の末、「われわれに似るように、われわれのかたちに」人を造りました。
私たちの身体は神さまのに(それが何かは天国に行ってみないとわかんないけど)そっくりなのです。
だから、私たちは、聖霊を受け取ったら最後、みこころに反するものに対して、わけのわからないモヤモヤとした嫌悪を感じるのだと思います。
聖霊と調和しないものに対して不快感を感じるのだと思います。
最近、こういうことを考えました。
例えば、カエルの解剖の連続写真は充分血なまぐさいし、ナチスの強制収容所の悲惨な現状を書き記した記事は充分すぎるほど、人類の犯した最悪でしょ。
でも、それは、その情報は、ある人たちにとってはとても大切で尊くてかけがえのないものだったりします。
それは、作る人の愛と、受けとる人の愛が聖霊の愛と調和しているからだと思ったのです。
つまり、情報はそのソースがとても重要。
正確さはもちろんだけど、愛があるかないか。
その違いが、私たちの耳や目を汚すのだと思う。

Friday, January 20, 2017

僕(しもべ)の晩ごはん

というわけで、今日はラーメン
ふう~

僕(しもべ)の昼寝

★今日のマミー&ミーのために、今週ずっと探していて、でも見つからなくて、買うには時間がなさすぎて、あきらめて自分で作ることを考えようとした瞬間、神さまからのピンポンで家の中にあったのを見つけたいくつかのイエスさまとザアカイさん。
滑り込みだったけど無事にグループに届けることができて心からほっとしました。
ふう~。
超スローな中でのものすごい綱渡り、このギャップに疲れ果て、帰って、ご飯を食べて、するつもりじゃなかったお昼寝をしてしまいました。
★昨日サウナの中で祈っていて思ったこと。
神さまがくださっている愛や時間、経験や証を、配る先については、充分な導きを待つこと、それが、私が書いた、『そおっとそおっと』の意味の半分です。
神さまが行きなさいというところに行って、あげなさいという人に惜しみなくあげられる人になりたい。
勝手に行っても、残念ながら祝福はないのです。

Have Fun !

★はなはどしゃぶりの祝福の中、山へと旅立ちました。
クリスマスにもらった電話を持ってでかけたので、バスに乗って間もなくからいろいろテキストしてきてくれました。
賢人からは一度ももらったことがなかったし、これからももらえそうにないけど、こういうのって、この順番だから、とってもうれしい。
山はものすごい雪らしい。
たくさんの雪に恵まれて幸せそうです。
★バスに乗り込む直前、はなと、キャンプで知り合って、年に2度だけ会えるお友達のレイラちゃんと3人で祈りました。
2人の女の子たちを両手で包んで日本語で祈って、顔をあげると、あっちでもこっちでも人々が丸くなって手をつないだり、スクラムを組んだり、あるいは親子2人だけで両手をつないで、祈っていた。
祈った後、Have Fun! という声があっちからもこっちからも聞こえてきました。
なんだか、胸があつ~くなって、泣きそうになっちゃった。
キャンプの集合場所で、よくある光景だけど、今日はどしゃぶりで、建物の中の狭いところでのチェック・インだったから、それがよ~く見えて、聞こえて、感動的だった。
★はなを見送って、今年最初のマミー&ミーに行って、帰ってきたら、ひっちゃかめっちゃかだったキッチンがきれいに片付いていました。
お昼用にお米まで研いでくれていて。
テキストくれなくて、写真くれなくても、どうやら山から帰ってきたばかりの子にも一杯の祝福があったようです。

どしゃぶりの祝福 ②

はなから送られたきた最初の1枚
上空ねっと思って、
はっ気づく
飛行機じゃなかった
バスで行っんだった・・・

どしゃぶりの祝福

再会の喜びひとしお
そんな中、無事に出発しました
 すごい雨
 どしゃぶりの祝福です