★イザヤを読みながら、いろんなことを考えて、いろんなことを書いています。
読んでくれてありがとう。
初日は愛の菜食と食育、そして今日はルシファーにならない法則。
いつも考えているわけじゃないけど、聖書を読んで、祈りながら、考えてきたことを、整理して書いています。
自分が考えていることが明らかになって文章になっていくって、本当に楽しい。
終りたくない。
聖書の後半部分に入っているので、大切に読みすすめたいです。
★昨日の礼拝で、心の支配者聖霊に全ての部屋のドアが開く鍵を渡す、というイメージがモニターに映されました。
それを見て、感じたことを、ゆりかさんが礼拝の後にシェアしてくれました。
それは、私の過去にまつわること。
私には、心に大きな傷を持つ友だちがいました。
私は、彼女のことを親友だと思って大切にしていました。
でも、ある日、主は私から彼女を取り去ってしまわれました。
その時の開放感は、まるでメルセデスの鍵を神さまに返したような気分だった。
それを話したゆりかさんが、思い出して教えてくれました。
それを聞いて、思った。
つらい思い出のように思っていたけど、私は本当には自分の内側に招き入れて大切にしていたわけではなかったのかもしれない。
思い出って、すごく自分中心よね。