愛する者たち。
あなたがたを試みるために
あなたがたの間に燃えさかる火の試練を、
何か思いがけないことが起こったかのように
驚き怪しむことなく、むしろ
キリストの苦しみにあずかれるのですから
喜んでいなさい。
それは、キリストの栄光が現れるときにも、
喜びおどる者となるためです。
1ペテロ 4:12,13
困難への対処が人によって異なるのはなぜでしょう。
多くの場合、重要なのは何が起こったかではなく、何が現れてくるかです。
何かにぶつかったとき、あなたのなかに満ちているものがあふれ出るのです。
私たちは最悪の事態を想定しがちですし、大体その通りになります。
人生はなぜか、私たちが予想することを与えます。
ですから目をしっかり開き、日々期待をこめて、素晴らしいことが起こるのを求めましょう。
私たちは、見たいと期待しているものを見る傾向があるのです。
スー・オーガスティン『過去の傷がいやされるとき』より
「困難への対処が人によって異なるのはなぜでしょう」のスーの答えは、みごとにあっぱれだと思う。
「何かにぶつかったとき、あなたのなかに満ちているものがあふれ出るのです」
実際、二次災害というのはそういう原理原則のもとにある当然の結果なのかもしれません。
あるいは、不幸中の幸いなどもきっと同じ原則です。
問題の中で、自ら新しい問題を次々と作り出すことと、問題の中で、そこでしか見つけることのできない奇跡を発見することは、問題が過ぎた時、大きな違いとなって、その人の人生を左右するのかもしれません。
同じ問題の中にいたにも関わらず。
スーは「あなたはどちらを求めますか」と私たちに挑戦しているのです。
「何かにぶつかったとき、あなたのなかに満ちているものがあふれ出るのです」
実際、二次災害というのはそういう原理原則のもとにある当然の結果なのかもしれません。
あるいは、不幸中の幸いなどもきっと同じ原則です。
問題の中で、自ら新しい問題を次々と作り出すことと、問題の中で、そこでしか見つけることのできない奇跡を発見することは、問題が過ぎた時、大きな違いとなって、その人の人生を左右するのかもしれません。
同じ問題の中にいたにも関わらず。
スーは「あなたはどちらを求めますか」と私たちに挑戦しているのです。