Saturday, April 25, 2020

運命をなげくべからず

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
マタイ 24:13
おそれるものはもうなにもありません。
どのような未来もこわくはありません。
未来がないように思われても、こわくはありません。
もう、現在がすべてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。
私たちは、人生が出した問いに答えることによって、その瞬間の意味を実現することができます。
大切なのは、その活動範囲において最善を尽くしているか、生活がどれだけ「まっとうされて」いるかだけなのです。
運命はまさに、私たちの生の全体にそっくり属しています。
そして、運命によって定められたことはどんな小さなことでも、この全体から抜きとられてしまうと、私たちの生の全部、私たちの生の形がこわれしまうでしょう。
V.E. フランクルの『それでも人生にイエスという』より
港から霧笛の音で目が覚めました。
昨日とは一変してひんやりと冷たい床。
カーテンを開けて、外を見なくても、朝靄があるのがわかります。
おはよう。
フランクルの言うとおりです。
お天気の変化を「運命のいたずら」と言って嘆く人がいないように、毎日のように起こる、あんなこと、こんなこと、全て今日の私の一部です。
そして、それはなかなか悪くない。
いいえ、とても良い。
今日は、賢人が帰ってきます。
晩ご飯はひさしぶりに焼肉かな。
どうぞ良い日をおすごしください。
映像:笹田絵里