Sunday, April 12, 2020

庭が教えてくれること

あなたは安らかに自分の道を歩み、
あなたの足はつまづかない。
あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。
休むとき、眠りは、ここちよい。
にわかに起こる恐怖におびえるな。
悪者どもが襲いかかってもおびえるな。
主があなたのわきにおられ、
あなたの足がわなにかからないように、
守ってくださるからだ。
箴言 4:24~26
セルフ・イメージが低く、自分の価値や自分が何かを達成するのに値する存在だということを疑えば、それは行動すべてに浸透していきます。
セルフイメージとは、自分にはどんな能力や価値があり、人生で何を受け取るにふさわしいと信じているか、心の目が映し出すものです。
低いセルフ・イメージから目をそむけたり、克服しようとして、仕事や人に尽くすことに没頭する人もいます。
時間や才能をささげ、他人の必要を考えていれば、自分自身を忘れられると思うのかもしれません。
けれども、それは無駄な努力に終わってしまい、虚しさを感じ、ついに燃え尽きてしまうことが多いのです。
私たちが幸せを感じられないのは、人生の中心に神様を据えずに、代わりのもので満たそうとするからです。
神様のもとに立ち返って初めて、私たちが持っている、満たされたい、認められたい、ほめられたい、すごいと思われたい、評価されたい、という欲求は収まるのです。
スー・オーガスティンの『埋もれている夢を掘り出す21日間』より
誰にも認められなくても、楽しいからやる、好きだからがんばる、私はそれで良いと思う。
楽しくなくても、好きじゃなくても、祈りながらがんばって、その結果を自分で「好き」と思ればそれでいいと思う。
その結果、新しい「楽しい」が発見できればそれでいいと思う。
それが、たとえ、もし、どれほど無価値で無意味で迷惑でさえあったと非難されたとしても、それは信じなくてもいいよ。
それが、健全な自己像というものだと私は思う。
お庭で額に汗して手や顔を泥だらけにして、植物たちとすごすのは、ただ、それが楽しいからなのと同じです。
もうすでに、「楽しい」というみかえりを神さまに受けているのだから、それでいい。