Saturday, December 31, 2016

2016年 My Best Photo



2016年 My Best Video

たっ・らあ~ん!

21017年の抱負・Theベスト10

2017年の抱負・Theベスト10
第10位 103パウンドになりたい
第9位 もっと仕事がしたい
第8位 ファミリールームを完成させたい
第7位 職場でもっと英語を不自由なく喋りたい
第6位 はなの小学校生活最後のイベントにことごとく参加したい
第5位 リズム・ワークショップを成功させたい
第 4位はなの小学校の卒業式に夫と賢人と私の3人で出席したい
第3位 はなの中学校生活のスタートにじっくり立会いたい
第2位 お兄ちゃんの救いのための祈りを積み上げたい
第1位 ピアノが上手になりたい

2016年 感謝なことTheベスト10

2016年
感謝なことベスト10
第10位 キッチンのカウンターが新しくなり、窓ができて家の中の灯台として完成したこと
第9位 よいお医者さんに出会ったこと
第8位 再就職したこと
第7位 賢人が仕事を得たこと
第6位 賢人が学費のファイナンシャルエイドを得られるようになったこと
第5位 無事故のまま遠距離通勤を終えたこと 
第4位 幼稚園で働いた10年にピリオドできたこと
第3位 新しい、信仰の女友だちに恵まれたこと
第2位 今まで積んできた、信仰と音楽と子ども教育が、賛美という形でひとつになりつつあること
第1位 父と母が信仰を告白したこと

クリスマスの片付けと泳ぎ納め

★クリスマス・ツリーやオーナメントって、出す時は、みんなでよってたかって、手伝ってくれちゃうのに、片付ける時は、なぜか気づかないふり。
それでも賢人だけは、手伝ってくれて、ようやくお片づけ完了。
供えもしないし、拝みもしないけど、鏡餅も飾ってみました。
★はなの冬のスイムレッスンのレジストレーションに行ってきました。
ついでにメンバー登録もしてしまいました。
メンバー登録した方がメンバー・フィーとレッスン・フィーを合せても、安いんだもん。
知ってたけど、春までだしと思って、ずるずる高い方のレッスン費を払っていました。
でも、今日はオフィスがすいていて、勧めてくれた人がとっても親切に丁寧でわかりやすくいろいろ教えてくれたのでがんばりました。
さっそくこれからはなを泳ぎに連れて行ってきます。

詩篇 150篇

角笛を吹き鳴らして、
神をほめたたえよ。
十弦の琴と立琴をかなで、
神をほめたたえよ。
タンバリンと踊りをもって、
神をほめたたえよ。
緒琴と笛とで、
神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで、
神をほめたたえよ。
鳴り響くシンバルで神をほめたたえよ。
息のあるものはみな、
主をほめたたえよ。
ハレルヤ
詩篇 150:3~6
全ての楽器をもって、主をほめたたえよ。
息あるものはみな、主をほめたたえよ。
今日で詩篇は終りです。
あっというまでした。
さあ、もういちど1篇から読みましょうと言われても、はい、と思えます。
でも、先に進むことにします。
そう、先に進まなければ。
でもその前に書いておこうかな・・・。
先に進む前に。
幼稚園を辞めても、今か今かと待ち構えていた欝は結局やってきませんでした。
でも、今だによく夢をみます。
寝ていても見るし、起きていても見ます。
何か、問題が起きて解決しなくちゃいけない時、「幼稚園だったら、こう対処するだろうなっ」と考えて、頭を振って目覚めようとします。
朝起きて、聖書を開く直前、「5時半までには読み終えて書き終えて、シャワーしよう」と思って、頭を振って目覚めようとします。
フリーウェイを運転していて、「幼稚園に間に合うかな」と思って、頭を振って目覚めようとします。
目覚めた時、毎回、ものすごい安堵を感じるのだけど、でもそろそろこの夢、終りたいな。
今から、シャワーをするから、シャワーの中で祈ってみよう。
幼稚園での10年をありがとう、退職もありがとう。
でももうこの夢から完全に起こしてください。
そして新しい夢を与えてください。
だってもうすぐ2017年だもの、って。

Friday, December 30, 2016

愛されている・私たち

★うっかり、なんの覚悟も祈りもないまま、マルカイ(日系グローサリー・ストア)に行ってしまったら、大変な大混雑でびっくり仰天。
そっか・・・。
日本人が世界の終りのように買いまくる日だったことをすっかり忘れていました。
でもここで口笛ふきながら出直すわけにはいかないので、お蕎麦と海老、鶏肉とお餅と三つ葉を命からがら買って帰りました。
これ、29日の仕事だった。
海老と鶏肉は冷凍しておけばいんだし。
幼稚園を辞めて以来、全てがじゃんけんの後出しみたいに、タインミング完璧ずれちゃってるワタシ。
★はなが夫からクリスマス・プレゼントに携帯電話をもらいました。
iPhone です。
私は、全然賛成できず、対抗するかのように鉛筆削りをプレゼントしたのだけど、でも、やっぱり持たせると安心ね。電話。
マルカイで、はぐれ、一瞬すごいパニックになりそうになったけど、「あのヒト電話を持ってきてたっけ?」と思って、後ろから迷惑がられながらも立ち止まって電話してみたら、でた。
これはすごい。
でも本人はまだその便利を知らず、昨年、サンタさんにもらった iPad のように外ではインターネットも使えないと思っているようです。
しめしめ、このまま3年ぐらい知らずにいてほしいものだわん。

1年365日、毎日がクリスマス

雨降りの朝です。
昨日、LAの西のはずれの街でたくさんのホームレスを見たので、夜中に風や雨の音が聞こえた気がする度に、彼らのために小さく祈りました。
風や雨の音はもしかしたら、夢の中聞いたのかもしれないけど。
今日は、ピアノの練習をします。
元旦の礼拝で奏楽をすることになっているので。
自分が選曲を担当していることを、うっかりミスしていて、夕べあわてて、聖書をめくり、楽譜を開き、選びました。
でも良い曲が与えられた。
(まだまだ、気持ちはクリスマスを味わっていたかったので、新しい年に歌う、新しい歌を選ぶの大変そうって、思ったけど)
我が家にはまだクリスマスツリーも、クリスマスのオーナーメントも、クリスマスカードも飾られています。
1年365日、この日をお祝いしていたい・・・。

詩篇 139篇

主よ。あなたは私を探り、
私を知っておられます。
あなたこそは私がすわるも、
立つのも知っておられ、
私の思いを遠くから読み取られます。
あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、
私の道をことごとく知っておられます。
ことばが私の舌にのぼる前に、
なんと主よ、
あなたをそれをことごとく知っておられます。
あなたは前からうしろか私を取り囲み、
御手を私の上に置かれました。
そのような知識は私にとってあまりにも不思議、
あまりにも高くて、及びもつきません。
詩篇 139:1~6
聖書のことばに、聖霊の導きに忠実に生きる人にとって、これ以上温かなことばはないで章しょう。
でも、その逆も然り。
聖書のことばを無視し、聖霊の導きに反抗して生きる人にとって、これ以上こわいことばはありません。
じっくりと考えて、私の中には両方の自分がいることを認めます。
こんなに好きなことばかりに囲まれて暮らせるようなっても、まだ、反抗があるとは、どこまで恵まれても罪人のアイデンティティとは縁が切れません。
でも、この頃よく思うのです。
私は、愛されている罪人。
罪に関わることが、すぐにピンとくる罪人。
罪に関わると、すぐに耳たぶなり襟元なりを神に
引っ張られる愛されている罪人。

Thursday, December 29, 2016

LAの穴場②

おもしろいものを発見
ジュースを入れて飲めそうな紙のコップと普通のひも
iCups という名の糸電話
ちゃんとした値段があって笑っちゃう
$12.95!

LAの穴場

知らない街を歩くの大好き
はなと気晴らしにおでかけしたのはいいけど、
とんだ大冒険となっちゃった・・・
ここは在住20年の穴場ね
だってワンブロック向こうはホームレスがふらふら
でもこっちはおっしゃれ~

詩篇 138篇

主は私にかかわるすべてのことを、
成し遂げてくださいます。
主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。
詩篇 138篇
「主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。」
「私」を「私」とは置き換えてしまうと、意味がなくなってしまう気がして、注意しながら、この違いを考えながら読んでみています。
私にかかわることは、主が定めておられること、主からのコーリング、主がくださるゆずりの地。
私がかかわることは、私のやりたいこと、私の好きなこと、私が選んだこと。
このふたつがひとつになる時、人はとんでもなく大きな力を発揮して、神と周囲と自分を喜ばせることができるのだと思います。

Wednesday, December 28, 2016

リスム・ワークショップに挑戦

どんな冬休みをおすごしですか?
私、今日は、ひさしぶりに、すっごく仕事しました。
どんっと、前に進んだ気がしています。
来年1月から予定している大人向けのリズム・ワークショップの全6回分のレッスンプランを仕上げました。
ばらっぱらに、散らかり放題だった、アイディアとテップを、整理整頓しただけの話なんだけど、でも、ずっとずっと激しく混乱していて、蓋したまま手をつけられない状態だったので、すごくすっきりしました。
気分転換にお庭に出たり、針仕事などやりながら、でも、その最中もずっとそのことを考え続けて、組み立て続けて、ようやく完成。
やった~!
ここまでやれば、後は楽しんでもらうための雰囲気作りに配慮するだけだけど、それは幼稚園の仕事と同じで、そこにいる個人との交わりだから、計画できない即興の部分。
だから後は、参加者を集めることをかんばるべし。
ここ、すごく重要なのよね、今回。
だってリズム遊びって、大勢いて、最初ばらばらなのがだんだん合ってくる感じが感動的なんだもん。

今後の予定

★おはよう。
のんびりのんびりな冬休み。
ゆっくり流れています。
起きたら、なぜかはなが横に寝ていました。
クリスマスと翌日の26日は自分のベッドで寝たんだけどな。
夕べも、「おやすみなさ~い」と言いながら自分のベッドに行ったはずだけど。
★昨日、モールの帰りに、ちょこっと日系のマーケットに寄ったら、お正月っぽいものがいろいろありました。
我が家は、おせち料理に誰も興味なく、ニューイヤ・イブにお蕎麦を食べて、港の霧笛で一瞬、起きて、「ハッピー・ニュー・イヤ」と心で思い、翌朝、お雑煮でお祝い。
元旦の夜は、お刺身やかまぼこやハムなど食べておしまい。
(お赤飯を炊くことをちょと考えてみているけど、どうだろう。
私、時々食べたくなるけど、私以外の誰もお赤飯にも興味がありません。)
2日にはクリスマスツリーも片付けます。
★さて、今日は本当に何もないので、庭に出て庭仕事に精を出そう。
洗いすぎて、ほつれてきた大好きな座布団カバーを繕おう。
このゆっくりな時間、冬休み、夫のおかげ、ありがたいな。

詩篇 127篇

主が家を建てるのでなければ、
建てる者の働きはむなしい。
主が町を守るのでなければ、
守る者の見張りはむなしい。
詩篇 127:1
むなしさ、苦しみ、混乱、不安、渇き、悲しみ、喪失感、全ておなじだと思う。
主が建てるのでなければ、どんな努力も良い行いも、なぜかむなしい、なぜか苦しい。
主が守るのでなければ、どんな絆も関係も、なぜか不安、なぜか悲しい。

Tuesday, December 27, 2016

昭和のおっさんはつかれたビ~

★今日ははなとDel Amo のモールに行ってきました。
すごく広くなっていて、すごく新しくなっていて、びっくりしました。
はなは、クリスマスプレゼントにもらったお小遣いをお財布に入れて、楽しくウィンドー・ショッピング。
買うことが目的じゃなくて、買えるかもしれない気持ちでモールを歩くことで満足していました。
お目当てのお店の場所がタッチするだけで探せる地図
私の脳は、そういうところがかなりおっさんなので、「ふ~ん」って言いながらも、正直「なんで?」って思う。
ちっちゃい頃、母のお買い物に付き合って、結局何も買わないという結論に、ヘトヘトになったことを思い出して、「あれだ」って、わけのわかんない納得しました。
それはつまり、名付けて「The・どんだけ生きても絶対わかんない世界」。
★でも最後は、私の提案で夕ごはんを 買って帰っちゃおうということになり、私も満足を得ることが’できました。
お稲荷さんと太巻き、大きなサラダ、から揚げ2種類、&枝豆。
お買い物に行ったからには、お金と引き換えにそれに等しくうれしい価値をゲットしなければ。
仕事に行ったからには、誰かを喜ばせる何かを提供するなり制作するなり生産するなり解決するなり教育するなりお世話するなりしなくちゃ、何にしきたんだろ?って思うのと同じです。
こういうとこ、私、かなり昭和のおっさんなのよね。
あ~、疲れた。

減量作戦

体重、107パウンドでした。
思わず、着ていた重たい毛糸のカーディガン脱いでもう一度、量ったけど、やっぱり107パウンド。
これはどういうことかと言うと、4パウンドほど増えたということ。
確かにそれは4パウンドな感じがしていた。
小さめの猫一匹程度、ナルニア物語の『魔女とライオン』と『カスピアン王子のつのぶえ』のハードカバー程度。
これはかなり深刻な増加傾向、あじゃなくて増加状況です。
9月から一月1パウンドということは、このままいくと来年の今ごろは、119パウンドにまで成長していしまう計算。
よし、節制です。
とりあえず幼稚園時代に戻って、「朝は食べずに働く」を守ろう。
何が一番、変わったかというと、朝ごはんを子どもたちと一緒に食べるようになってしまっていたのでした。
しかも、ベーコンとエッグとベーグルだ、スパムとご飯と味噌汁だ、とシリアルと牛乳ですませてもらっていた10年の罪滅ぼしに、そんなリクエストに応えつつ、一緒になって食べていたので。

詩篇 121篇

主は、あなたを守る方。
主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日があなたを打つことがなく、
夜も、月があなたを打つことはない。
主はすべてのわざわいからあなたを守り、
あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、
今よりとこしえまでも守られる。
詩篇 121:5~8
このあたたかいことばに励まされて、今日という日が始まることがうれしい。
母が送ってくれたクリスマスのおたのしみ箱に入れてくれていた魔法のように書きやすいペンで、このことばを手帳を書き取りました。
もうじき、私をこの地に残して、旅立つ人がいるので、彼女へのおはなむけににしようと思って。
「主はすべてのわざわいからあなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」
子どもたちもいずれは、この家を離れてゆくでしょう。
最初もひとりだったけど、最後もだんだんひとりになってゆくようで、淋しいです。
自分で飛行機のチケットを買って、旅行なんてしたことのない私には、アラスカだろうが、日本だろうが、チベットだろうが、車で行けないところは、みんな同じ。
遠いところです。

Monday, December 26, 2016

もう成長しなくていんだけど、からだ

★信じたくないけど、なんだか、随分と太った気がする。
おなかのあたり、特に。
しゃがんた時、なぜか抱っこしていないはずの猫をおなかに感じる。
運転していて、バックしようと後ろを向く時、なぜか前と違う角度までしか身体がねじれていない気がする。
ブーツを履こうとする時、なぜか抱えていないはずの2冊ぐらいの本がじゃまして、履きづらい。
気のせいであることを願うけど、でもきっとそう。
明日、体重量ってみよう。(ってこの2週間毎晩そう思ってるのに量っていないずるい私)
★母が、私たちへのクリスマス・プレゼントのいろんなものが入ったお楽しみ箱に、お箸を4膳入れてくれていました。
昨日の、クリスマス・ディナーで、さっそくそれを出して使いました。
箸ってとっても個人的な道具なのよね、日本では。
母は、夫用、賢人用、はな用、私用に、それぞれ誰が見てもわかるデザインや大きさ、太さの違いで選んでくれていて、食べている最中に、みんな自分の箸を、一瞬じっと見ていた。
「これは自分の箸」だ、と思っていたのだと思います。
親ってありがたい・・・。
★幼稚園の退職以来、4ヶ月、いつ来るか、いつ来るかと待ち構えている欝もこず、更年期の症状も現れず、何の喪失感もないまま、お正月を向かえそうだけど、太っていく不安はどうにもこうにも、気のせいではすまされないものがあります。
明日は必ず体重を量ろう。
ここに、こうやって書いちゃえば、大丈夫。
しらばっくれられない。

詩篇 120篇

苦しみのうちに、
私が主に呼ばわると、
主は私に答えられた。
主よ。私を偽りのくちびる、
欺きの舌から、救い出してください。
詩篇 120:1,2
昨日の礼拝で、アドベントの真ん中の蝋燭に火が灯りました。
5本目の蝋燭に火が灯るのを始めて見ました。
これも、次は7年後ということになります。
メッセージはイザヤの9章からでした。
2節、やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
6節、ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
イザヤへの救いの預言の箇所です。
牧師は、ヨブもダビデも、神が、世界を贖い、人類を救うために、人として生まれるということのアイディアもイメージも全くなかったと、メッセージの中で語りました。
なるほど・・・。
私は、そんな風に考えたことがありませんでした。
確かにヨブ記や詩篇の中を命がけで生き抜いた人は、神が身体を持つなど、想像もしていなかったに違いありません。
オムツをつけた神、学ぶ神、笑う神、歌う神、洗礼を受ける神、髭にパンくずをつけて喋る神、罵倒される神、唾は吐きかけられる神、十字架につけられる神。
それを全く想像できなかったダビデが、でも必死に世界の誘惑から守られるようにと神に叫び、神もそれに答えるやりとりが、新しい契約の中に生きる私たちを励まさないはずがありません。
詩篇の持つ力はそこにあると思いました。

Sunday, December 25, 2016

メリー・クリスマス 2016 ②

★夫も私もそれぞれお互いにブランケットをプレゼントしてしまったので、ひとつははなにあげることにしました。
これで、彼女が自分のベッドで寝るようになることを願っているけど、どうかな。
昨夜なんて、一旦は自分のベッドに入った後で、夜中になって戻ってきたので、3人でクィーンサイズのベッドに寝ることになってしまって、本当に疲れちゃった。
寒くはないけど、狭いし、動けないし。
★はな画伯はサンタクロースにアクリル絵の具と筆、キャンパスをにもらって、さっそく創作活動に集中しています。
アクリル絵の具って油と水の間の感じで、色同士が混ざりにくく、溶けにくくでも油絵の具のように固定的でもなく、水彩のように繊細すぎないので、描きやすいみたい。
最初からこれを与えればよかったわね、サンタさん。
作品ができあがるのが楽しみです。
★賢人は、レゴを完成させ、ベッドで誰かからプレゼントされた本を読んでいます。
彼は今年、夫と私とはなのそれぞれに簡単じゃないプレゼントをしてくれました。
つまりそれは、一箇所で買えないもの。
親密で相手のことを良く知らないと買えないもの。
夫はそれを本当にうれしそうにしていた。
賢人の信仰がにじんたプレゼントに、夫の心が、また少し、キリストに向いたと思う。
たったの19歳の賢人の愛を受ける時、後ろにあるキリストの愛について考えずにはいられないと思う。

メリー・クリスマス 2016

★どんなクリスマスをおすごしですか?
私は、礼拝から戻ってきて、大騒ぎしながらプレゼントを開けて、チキンをオーブンに入れて、賢人がらのプレゼントの DVDを観終わったところ。
ムービーは、なんとピーナッツ。
毎年、毎年、かわいいプレゼントで私を喜ばせてくれる賢人です。
みんな心のどこかにチャリー・ブラウンを住まわせていると私は信じているけど、もしかしたら、賢人の小学校時代ってチャリーそのものだったのかもしれないな。
地味で不器用でようりょう最悪だけど、でもやさしくて、努力家で、勇敢で、正直なチャーリー・ブラウン。
彼の初恋は99%の失敗の末、ハッピー・エンドでした。
きっと賢人もそんな恋をしてくれると、夢を与えてくれる素敵な映画だった。
★オーブンからチキンの焼けるいい匂いがしてきました。
家族みんながこの家の中にいて、「家族っていいな」って思っている気がします。
賢人は教会の幼なじみの女の子のからもらったレゴを組み立てていて、はなはジニーちゃんのママからもらった、ジンジャーブレッドのおうちを作っています。
夫ははなにプレゼントした携帯電話の設定中。
誰も、イエス・キリストの話をしないし、誰も証しない。
でも、みんな知っている。
夫も知っている。
この家はこの家族は確かに神さまに守られている。

詩篇 119篇 その②

あなたの御手が私を造り、
私を形造りました。
どうか私に、悟りを与えてください。
私があなたの仰せを学ぶようにしてください。
詩篇119:73
私は、神さまが造ってくださった、自分の人生が好きです。
毎年、どんどん好きになってゆきます。
身体は老い、人生の残りがわずかになってゆくにもかかわらず。
私の後ろに私の失敗が積まれてゆくにもかかわらず。
希望だけが、そんなことと全く関係なく、大きくなり、輝いてゆく。
世界が暗ければ暗いほど、自分の醜くさ、小ささを知れば、知るほど輝く希望の光。
それがイエスの誕生と贖い、約束。
素敵なカードももらいました。
私の祈った祈りのことが書いてありました。
私の祈った祈りが成就した証が書いてありました。
こんな小さな信仰者の祈りを聞いてくださる、人類の救い主。
その名はインマヌエル、イエス・キリスト。

Saturday, December 24, 2016

若草物語なクリスマス・イブ

★今日は、ピアノ弾いて、ごはん作って、ピアノ弾いて、ごはん食べて、ピアノ弾いて、ごはん作って、ピアノ弾いて、と大体こんな一日。
まあ、ほとんと一日、ピアノを弾いていたような、ごはんを作っていたような。
クリスマス・イブに、ピアノ弾きながら、ごはんばっか作ってるなんて、なんかぱっとしな~い、と思っていたけど、でも意外とそうでもなかった。
それはそれで、なかなか良い日でした。
クリスマスが日曜日なんて、7年に1回のことだし、その日に朝から教会行って、リハーサルして賛美の奉仕するっていうのも、7年ごとに毎回というわけでもないしね。
そんなクリスマス・イブも経験してみれば、それほど悪くありません。
なんだか、若草物語みたいで楽しかった。
★はなも夕方、若草物語みたいに、なけなしのお小遣いをにぎって、ダウンジャケット着て、一番近くのグローサリー・ストアに走りました。
サンタクロースにあげるクッキーはとうの前から用意してたけど、ミルクがきれてると大慌て。
はなの信じているサンタは、コーヒーやお茶は飲まないらしく、自腹のキャッシュを握って買いに走ったはな。
おませね、っといつも思っているけど、中身は普通の10歳。
いえ、もっと若いかも。
★賢人が、ユースのための冬のバイブルキャンプで奉仕をさせてもらうことは、その最初のミーティングのところから書いてきました。
夕べそのキャンプのことをねほりはほりあれこれ、質問していたら、あの子、怒って「散歩してくる」と言って小雨まじりの夜空の中に出て行ってしまいました。
賢人って本当に気難しい。
どんどんそうなちゃう気がして、心配せずにはいられない。
Video 作りに夢中の Motoki くんのお母さんが、彼の才能にあまり関心がないのを、Motoki くんがなんとか彼女を心を自分に向けようとがんばっているのが、うちとは対照的すぎてちょっと悲しい。
自分の才能を表現したくてがんばる子の親の、見当違いな理想の高さを思うと妬みさえ覚える私です。

はなの Mug Brownie

Mug Brownie

はながはまった Mug Brownie
私、半信半疑だったけど、
ちょっと食べさせてもらって
びっくり
うまい!
温かいブラウニーと冷たいアイスクリームの
組み合わせは、まるでサンマと大根おろし
っていうか
えっと、暖炉のお部屋から見る雪景色
うんそれ
試して試して

人生いろいろ・おまけ

私、この子の質問に全部すっごくくわしく答えたい
賢人にね
かる~くきいてるけど、
でも、それは、
この子がホントに知りたいことな気がする

人生いろいろ

再生、止める前に、3曲目のマライヤ・キャリーまでがんばって見て~。
私なんかもう5回もみちゃって、まだ笑っている。
この子の他のビデオを見てわかったんだけど、
ロスアンゼルス在住。
19歳。
運転しているお母さん、日本人。
妹あり。
思わず、このビデオ、賢人にEメールで送っちゃった。
息子がこんな子だったら、どんな人生だったかな。
でも私、こんなに無表情で運転している演技、絶対できない。
だからこれでいい。
賢人でいい。
賢人がいい。

詩篇 119篇

幸いなことよ、
全き道を行く人々、
主のみおしえによって歩む人々。
幸いなことよ。
主のさとしを守り、
心を尽くして主を求める人々。
詩篇 119:1,2
昨日、サンペドロのVONS(グローサリーストア)を2軒梯子した話は書きました。
駐車場からして、いつもと全く違う込み具合だったので、はなと一緒に、お祈りしました。
こういう時の私の祈りはいつも、「災いから遠ざけておいてください」、というもの。
もう一歩積極的に祈ったとしても、せいぜい、「周り中で何が起こったとしても、それが決して、はなと私にふりかかることがありませんように」です。
人類の平和も買い物客の平和はもちろん、「良いターキーをゲットできますように」という気もちも、この時点ではなぜかどうでもよくなっているのだけど、でも祈りは必ず聞かれます。
昨日も、たくさんの人でショッピング・カートも思うように進めることのできないほどなのに、たくさんの人たちが微笑みながら、私とはなが通るために端によけてくれました。
私たちは、ずっと、それが魔よけでもあるかのようにお互いだけに聞こえる小さな声でクリスマスソングを口ずさんでいた。(マライヤ・キャリーだけど)
私が彼女と一緒と歌おうとすると、彼女が "excuse me,it is my solo."
と言い、じゃあって私が次ぎのフレーズからひきついで歌おうとすると、彼女が邪魔して、今度は私が "excuse me,it is my solo." と本人たちはかなり醜いのに、周囲の人々の忍耐とやさしさに包まれていました。
レジでも、すごい長い列だったのに、私たちの周囲の人は誰もイライラしていなくて、私だけが、少しでも流れが止まると、背伸びして何が起きているのか知ろうとしていた。
「何をニコニコおしゃべりしているのかしら、おばあちゃんの病気の具合の話かならいいけど、ロースト・ビーフの焼き方の話とかだったら、ゆるさんぞ」とか心の中で毒づいていたのに、私とはなを守ってくれたのは、幸いな全き道を行く人々でした。
ターキーは買えなかったけど、そのやさしさしくて温かな微笑みがうれしかった。
神に愛されている幸いで全く道を行く人々の微笑みに心から感謝しました。

Friday, December 23, 2016

作戦変更

凄まじい、あっそれはちょっと大げさね、大変な、グロサリー・ストアの混雑から無事に守られて戻ってきました。
我が家で一番大きなお鍋が
ごろんと一羽のチキンでいっぱいいっぱい
でも、ざんね~ん。
冷凍の七面鳥は2軒のVONSで売り切れでした。
2件とも、「さっきまであったのに」と言われちゃった。
生のが一つだけ残っていたけど、我が家のオーブンでは背中をこすりそうな特大、49ドル。
冷蔵庫に入れるのも苦労しそうなサイズです。
(30缶入りのビールの箱出せば、話は別だけど、それはできない、ここでも大変な罪人の私)
それであっさり計画を変更し、ハムとかローストビーフにするための特大のポークやビーフはごろごろとあったけど、それには目もくれず、2個組みのチキンを買って帰りました。
今夜は、そのひとつを使ってスープです。
2時間ほど煮たら、ちょと冷まして骨をはずして、野菜を入れます。
クリスマスは、もうひとつのチキンをローストして、サイドは野菜と貝の鍋にでもしよう。
お鍋、新調したことだしね。

朝寝坊のつぶやき

★毎日、確実に起床時間が遅くなっています。
それは、それはおそろしいほどに。
堕落への階段でしょうか。
突然目覚めた購買意欲といい、ちょと気をつけよう。
と、言いつつ、今日は七面鳥を買いに行きます。
感謝祭では、Trader Joe's の Yang Turkey というのを始めて買ってみたら、脂が少なく、味も薄くて、ちょっと物足りなかったので、やっぱり、VONSの普通の大きなのにする予定。
賢人はさんまも好きだけど、ターキーも大好き。
しばらく、いろんな方法で食べさせても全然文句を言わないほどなので、大きいのにしよう。
★クリスマスが日曜日って7年ぶり。
でも、クリスマス当日に教会で賛美の奉仕をするのは初めてです。
これはどういうことかっていうと、リハーサルのために8時すぎには家を出なくてはいけなくて、その前にターキーをオーブンに入れて火を点けるだけの状態にしておかなくてはならなくて、だから、クリスマスツリーの下のプレゼントを開けてる場合ではなくって、つまり、礼拝が終わって家に戻るまでは、家族のクリスマスを始められないということ。
しかも、元旦も日曜日で、この日もピアノ弾きます。
お雑煮を昼過ぎに食べようか、それとも私以外の3人で、朝、食べてもらおうかと、これはちょっと悩むところ。
お雑煮って、三つ葉とかお餅とか長く鍋に入れられないものもあるし、3人でそれをちゃんとやってくれる気が全然しないのよね。
いつもはゆっくりはじまる11時の礼拝がありがたいけど、この2回ばかりは、よその早朝礼拝にでも行ってすませたかったと思う罪深い私。
★それこもこれも朝寝坊という堕落の精神の産物ね。
よし、では、シャキンと気持ちを切りかえてお買い物に行ってきます。
神さま、私たち家族にふさわしい、おいしい、ターキー与えてください。
アーメン

詩篇 118篇

これは、主が設けられた日である。
この日を楽しみ喜ぼう。
詩篇 118:24
私たちにできることは、
一生懸命に生きること
一生懸命に楽しむこと
それだけ

Thursday, December 22, 2016

みつからないハーモニー、アンティークテーブルとサンマ

★午後はずっとピアノの前に座っていました。
チャーリー・ブラウンの『Happiness is Warm Blanket 』の最後の方のシーンで、ものすごく好きなピアノの音があったのが、ずっとどうしても気になっていて、今日はそれを鍵盤の上で一生懸命に探していました。
メロディーどころかフレーズすら思い出せないのに、その和音の響きだけがすごく印象的で、ずっと心の中にあります。
結局見つけられませんでした。
すごくすごくいい音だった。
でもなんの音かわかりません。
ビデオも、いつの間にかYou Tube では見られなくなっていました。
その映画は全体的に音楽がとても素敵だった。
★そして、ふっと、思って、車の鍵を握って、超・衝動買いをしてきました。
ずっとずっと気になっていたテーブル。
1900年のテーブル。
ピアノの前に座り疲れて、立ち上がった瞬間、「あれを買わねば!」と思い立ち、わらわらと買いに走りました。
ほっ。売れてなかった。うれしい。
しかも、何も言っていなのに、黙って値札から20%を引いてくれた。
半年ぐらい、ずっと見てて、でも売れなかったのはこの家に来るため?
そんなこともないかもしれないけど、神さまがとっておいてくださった。
★今日はお昼に豚汁を大なべに一杯作ったので、晩ごはんは、これに魚を焼いて、大根おろしを添えて出すつもり。
賢人が好きなサンマです。

詩篇 116篇

まことに、
あなたは私のたましいを死から、
私の目を涙から、
私の足をつまずきから救い出されました。
私は、生ける者の地で、
主の御前を進もう。
詩篇 116:8,9
神さまの憐れみって、どんな時に、一番よくわかるでしょうか。
神さまに愛されている実感って、どんな時に、一番伝わってくるでしょうか。
いろいろあると思います。
たくさんの証があると思います。
私はね、書くのちょっと恥ずかしいけど、でももう『おはようスポルジョン』の読者にはバレバレの周知の事実と思うのであえてきっぱり書くなら、それは何を隠そう、罪を犯した後。
どうしても、ぴったりとこない気分や、不安、御心との矛盾の中で苦しむ時、私は、自分の間違っていることに気づいて、それを正さなければ・・・、すごく面倒だけど、と考えはじめます。
そこにすっとやってくる神さまの助けと後押しの果てに、私は救い出され、神さまの平安と臨在の内に引き戻され、「ああ、神さま、ありがとう」と思うのです。
全く、私は罪人の頭そのものです。
最近、気に入って Follow しているTwitter に、クリスチャン・ホームで育った子のつぶやきがあって、「アーメン」思いながら楽しく読んでいます。
彼のTweet に「劇的な証に憧れる」とか「聖餐式の餐という字が書けないとか」あって、飲んでるものを吹きそうほど、まるで、それ私。
戦争とか天災とか病気とか政治的な葛藤とか、そういう中からのドラマチックな証なんか、なんもないくせに、でも、気もち、めっちゃダビデで詩篇読んでいることを、実はちょっと恥ずかしいと思っているのです。

Wednesday, December 21, 2016

私の冬休み・初日

★今年最後のピアノ・レッスンも終り、チェロのビデオをいろいろ観たり聴いたりしながら、あれこれ片付けることができました。
一番うれしいのは、支払いが終わったこと。
今年中に払うべきものは全て終了。
金曜日にやろうと思っていたけど、冬休みだし、クリスマスが来るし、と思ってがんばちゃった。
後は自動的に落ちてゆくものを残すばかり。
そのためのバランスもチェックしました。
ふう~、ありがたい。
感謝で一杯です。
★ビデオを観ながら、手作業を進めながら、思いついたこと、考えたこと、ひらめいたことを一杯メモしました。
そこらへんの紙きれになぐり書き。
それを夕方かき集めて、手帳に整理しようと思うけど、謎の文字と言葉は専門家の解き明かしが必要なほどに形象的、抽象的。
なんだこれ?、な紙はそれでも捨てられず、手帳にはさんで謎は深まるばかり。
Pin to Save のようにはいかない、私の頭の整理箱。
★一番新しいお友だちは、コ・ワーカー。
そして、ピアノの生徒のお母さん。
彼女がこの家に来ると、必ず、何かしら、私にとてもポジティブなインスピレーションを置いて行ってくれる。与えてくれる。
なんだろう、この祝福。
すごく不思議で新鮮な祝福

チェリストたちのピアノ演奏

おもしろすぎ
だからなに?って言わすに黙って聴いてほしい
ピアノの持つ可能性

チェロに夢中

バッハの無伴奏組曲から火がついて
チェロに夢中な私
いろいろ良いものを見つけました
シェアします
チェロって温かいけど、主役な音色
今まで、あまりそんな風に考えたことがなかったけど
バッハの無伴奏以来、ずっとそのとりこです

心の石版に刻んだら

★おはよう。
暗い曇り空だけど、心はぱっと晴天です。
今朝、詩篇で読んだ箇所を心の石版にしっかりと刻み、新たな一歩を踏み出すことができた感じ。
のろいの衣を脱がされ、神さまに愛されている実感で、空が暗かろうが、外が寒かろうが、幸せです。
★私は、今日が本当の意味での仕事納め。対外的に。
でも、内なる自分に向かう仕事は、それが終わって初めてホントにスタートします。
準備が好き。
祈ったり、考えたり、調べたり、作ったり、組み立てたり、練習したり。
そんなことをじっくりするには、空は晴れているより、雲っている方がはかどるし、暖かいより、寒いぐらいがちょうといい。
★仕事を終え、クリスマス・カードも全て送り終え、クリスマス・ギフトも渡し終えたら、七面鳥を買って、お祝いの準備です。
バッハを聴きながら、チャーリー・ブラウンのビデオを観ながら、家族とおしゃべりしながら。
あっ、雨が降ってきました。
でも、家の中は明るくて温かで安全で平和です。
また、書きます。

詩篇 109篇

彼はまたのろうことを愛したので、
それが自分のところに返ってきました。
祝福することを喜ばなかったので、
それは彼から遠く離れました。
彼はおのれの衣のように
のろいを身にまといました
詩篇 109:17,18
これは、よく覚えておかなければならない、聖書の、天国の原理原則の詩。
誰かの何かを憎む時、恨む時、人はその人やその事への失敗や裁きを願うけれど、それは、のろいを愛するということ。
のろいを衣のように身にまとうということ。
つまり、生きる、歩く、食べる、喋るのろい、と化すこと。
うれしくないトランスフォームです。
でも、これは、本人以外の誰もが気づく変身。
生きるのろいと化した人と一緒にいると、なんだかわからなくても、妙な居心地の悪さを感じるもの。
理不尽な厳しさや、わけのわからない苛立ちは、恨む対象以外にもその闇が影響しちゃうのよね。
昨日、ゆりかさんのお庭で、「私、悪の天幕を出て、主の宮の門戸を選んだら、それができた、そしてそれは素晴らしかった。」と前後の説明なしに、きっぱりと証しました。
彼女は話しがのみこめず、「?」となっていたけど、いいの。
これは、主が私に示してくださった、私の中の闇、のろいの衣。
誰にも気づかれなかったなら、それは幸いとしか言いようがないわ。

Tuesday, December 20, 2016

お誕生日おめでとう

お誕生日、おめでとう
「家族っていいね」、とぽつりと彼
そうね、この年になって、ようやく
私もそれが’わかるようになってきた

うれしいトランスフォーム

★今日は、サンタクロースのように、あっちの家からこっちの家へと、いろんなお届け物に走り回り、最後に今日のメイン・イベントの夫のささやかなお誕生日会のご馳走の買出しをして、帰ってきました。
★まるで、サンタクロースにクッキーとミルクを用意するはなのように、ちょこっとおじゃましていい?ってテキストして伺っただけなのに、ゆりかさんたら、かわいいガーデン・ティー・パーティーでおもてなししてくれました。
すっかりくつろいでおしゃべりしちゃったわ。
とっても楽しい一日でした、ってまだ終わっていない・・・。
★賢人がバイトから8時に帰ってくるので、そしたら、4人で夫のお誕生日会をはじめます。
献立は、手巻き寿司と、シーフードと豆腐と白菜の鍋それから、チョコレートのアイスクリーム・ケーキ。
キャンドルもちゃんと用意しました。
★ちょっと前にも書いた気がするけど、私が今年与えられた主からの最大のギフトは「友だち」。
幼稚園で働いている頃はひたすらプレッシャーでしかなかったものが、今では180度の変化を遂げて、ギフトと思えることが本当に幸せ。
それは私にとって、おとめ(処女)マリアがイエスを身篭ると同じような奇跡なのです。

おなべの誘惑 ②

買っちゃったわ・・・
今夜はこれで湯豆腐です
夫のお誕生日に自分にプレゼントするなんて
なんて妻かしら・・・

おなべの誘惑

はなの冬休み4日目、毎日、小さなお楽しみが続いています。
今日は、夫のお誕生日。
手巻き寿司と、アイスクリームのケーキで、小さなお祝いをしようと思います。
まるで夏場のメニューかしら・・・。
湯豆腐もあれば、完璧ね。
湯豆腐といえば、とても気になっていることがあります。
クリスマス・ショッピングでみかけた鋳物の赤い鍋。
この20年で土鍋を2個も壊したので、もう買いたくないと土鍋との信頼関係をすっかり傷つけてしまって私に、すばらしすぎるデザインで私を誘惑する鍋登場。
10人カレー、10人チャウダー、10人スープに大活躍の我が家の大鍋、ダッチ・オーブンと同じ色、同じ素材だけど、サイズと形がまさに、湯豆腐や水炊き、しゃぶしゃぶやすき焼きにぴったり。
ううううううう、ほしい・・・・。
自分にクリスマスプレゼントしちゃおっかな。
この誘惑、かなり強力です。
ではでは良い日をね。
また、書きます。

詩篇 107篇

船に乗って海に出る者、大海であきないをする者、
彼らは主のみわざを見、深い海でその奇しいわざを見た。
主が命じてあらしを起こすと、
風が波を高くした。
彼らは天に上り、よみに下り、
そのたましいはみじめにも、溶け去った。
彼らは酔った人のようによろめき、
ふらついて分別が乱れた。
この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、
主は彼らを苦悩から連れ出された。
主があらしを静めると、波はないだ。
波がないだので彼らは喜んだ。
そして主は、彼らをその望む港に導かれた。
詩篇 107:23~30
つい、夕べはなと一緒に観にいった映画、『MOANA』を思い浮かべてしまいました。
映画の中でも、海がまるで生き物であるかのように、描かれていました。
27節、「彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた」。
ここが人の運命の分岐点であるような気がします。
よろめくこと、ふらつくこと、分別が乱れることは仕方なくって、誰にでもあるし、私の分別なんてほとんで乱れっぱなしだけど、でも、そんなぐちゃぐちゃな中でも、「主に叫ぼう」と力をふりしぼる時、主は必ず、応えてくださる、なんらかの形で救ってくださる、そう思います。
私が毎日、祈っていることのひとつに、「どうか今日、お兄ちゃんがあなたに向かって、叫ぶことができますように」というのがあります。
その後、「その時、主よ、どうか、あなたが素早く彼に応えてください」と続きます。
私は、決してあきらめません。
必ず届くと信じて祈っています。

Monday, December 19, 2016

良いものの話・最終回

神さまは、私に、私にとって最も良いもので私の人生を満たしてくださるという話の続き。
幼稚園を辞める時、次ぎに何をするべきかなんて何も考えていませんでした。
でも、このまま、あれもがんばった、これもがんばったと満足の内にのんびりするような気もしなかった。
夕べ、メイン・キャンパスのクワイヤーが歌うクリスマス・キャロルを聴きながら、私の音楽の最終ゴールも賛美だと思った。
決定的にそう思えた。
そして、今、私の小さな教室の小さな扉を
ノックするピアノが弾けるようになりたい人は、賛美をゴールとする人たち、小さい人も大きい人も。
これが、良きものでなくて、なんだろう。
ピアノを弾きたい。
どうして。
神さまを賛美したい。
とてもシンプルで純粋で尊いニーズ。
そんなニーズに応えられる人になりたい。
私も、一緒に学びたい。
成長したいです。