Monday, December 26, 2016

詩篇 120篇

苦しみのうちに、
私が主に呼ばわると、
主は私に答えられた。
主よ。私を偽りのくちびる、
欺きの舌から、救い出してください。
詩篇 120:1,2
昨日の礼拝で、アドベントの真ん中の蝋燭に火が灯りました。
5本目の蝋燭に火が灯るのを始めて見ました。
これも、次は7年後ということになります。
メッセージはイザヤの9章からでした。
2節、やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
6節、ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
イザヤへの救いの預言の箇所です。
牧師は、ヨブもダビデも、神が、世界を贖い、人類を救うために、人として生まれるということのアイディアもイメージも全くなかったと、メッセージの中で語りました。
なるほど・・・。
私は、そんな風に考えたことがありませんでした。
確かにヨブ記や詩篇の中を命がけで生き抜いた人は、神が身体を持つなど、想像もしていなかったに違いありません。
オムツをつけた神、学ぶ神、笑う神、歌う神、洗礼を受ける神、髭にパンくずをつけて喋る神、罵倒される神、唾は吐きかけられる神、十字架につけられる神。
それを全く想像できなかったダビデが、でも必死に世界の誘惑から守られるようにと神に叫び、神もそれに答えるやりとりが、新しい契約の中に生きる私たちを励まさないはずがありません。
詩篇の持つ力はそこにあると思いました。