神よ。水はあなたを見たのです。
水はあなたを見て、わななきました。
わたつみもまた、震え上がりました。
雲は水を注ぎ出し、雷雲は雷をとどろかし、
あなたの矢もまた、ひらめき飛びました。
あなたの雷の声は、いぐさ車のように鳴り、
いなずまは世界を照らし、
地は震え、揺れ動きました。
詩篇 77:16~18
はなをバス停まで、送って行ってきました。
はなが、「ママ見た?」というのできょろきょろしたら、私の息が白くなっていたというのです。
どうりで寒いはず。
今日もタイツと靴下とブーツとマフラーです。
昨日、あふれんばかりの思い、ネイチャーな、「人」の神に関する自覚についての文章を一生懸命に書いたら、なんだか、力がぬけて、今日は、世界がとても静かでやさしくて穏やかで、そして寒いけど温かい。
たくさんの人が読んでくれました。
私が何かを真剣に書くと、いつもきまって、たくさんの人がそれを読みに来てくれます。
ことの始まりは、ひとつの小さな祈りだった。
ある一人の私の大切な人のための祈り。
洗濯物を干しながら、でも心をこめて祈ったら、1分後にその祈った人からテキストが届きました。
かれこれ、数週間も音沙汰がなかったのに。
「相談したいことがあるの」とあったので、「電話をどうぞ」とテキストバックしました。
そこから始まった霊的アドベンチャーは、かなり濃くて重いものでした。
そして、何よりも彼女の心に、平安が戻ってきた。
そして、最後はくすくす笑いが、あはは笑いになり、ついにゲラゲラと笑って、お互いの心の隠し扉の中に住まわせているかもしれない、見知らぬ神々について笑いながら神の光を乞い、一件落着となりました。
ふう~。
誰かに話して、風が流れ、光が差すなら、それはすごく幸せなこと。
誰かに風や光として選ばれることは、もっと幸せなこと。