Friday, December 9, 2016

詩篇 46編

主は地の果てまでも戦いをやめさせ、
弓をへし折り、
槍も断ち切り、戦車を焼かれた。
「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。
わたしは国々の間であがめられ、
地の上であがめられる。」
詩篇 46:10,11
「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。」と神さまに言われたことがあるでしょうか。
私は、何度もあります。
賢人が小さかった頃、特によく言われました。
8歳と6ヶ月ではなが生まれて、私はようやく、賢人の神になりたい誘惑から解放されました。
そして、はなの神になったかというと、それは起きなかった。
はなは、生まれた時から奉げられた子だった。
私が賢人の神になろうとがんばったことの傷が、彼の内にないかを毎日探しては、自分を責めています。
今だに。
幼稚園で働いている頃、神になろうとがんばる親たちをたくさん見て、精一杯の願いと労いと愛を込めて、私が言い続けたこと。
子どもの神になりたい誘惑は一時、その夢から覚めた時、一番傷つくのは、神になりそこなったお母さん、あるいはお父さん自身だと、今ならわかるから。
「どうか神がお造りになられた子どものあるがままを、受けとめて愛してください。」
「やめよ。わたしこそ主であることを知れ。」こう神に言われる親は、神に愛されている親だと私は信じています。