主は主の御声に聞き従うことほどに、
全焼のいけにえや、その他のいけにえを
喜ばれるだろうか。
見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、
耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
まことに、そむくことは占いの罪、
従わないことは偶像礼拝の罪だ。
Ⅰサムエル15:22,23
アモン人に対する輝かしい勝利によって、新しい「王国」に対する民の疑念を拭うことのできたサウルだったけど、有頂天になってしまったのね。
わかる、わかる。
なんでもできるような気がしてきたのだと思う。
サムエルに警告されていたにも関わらず、祭司だけが許されてた犠牲を自分自身でささげてしまったり、軍を食べずに戦わせようとしたり、アマレクのすべてを聖絶せよという主の命令を無視して、自分の判断で、生かしておいたり、取っておいたり。
そういう判断が自分でも正しくできそうな気がするのが、力を与えられてしまった人間への悲しい誘惑だと思います。
「人類に大きな被害を与えてしまった人っていうのは、みんな人類に貢献しようと思っていた」というような台詞を漫画のスヌーピーで読んだことがあります。
大きさは違っても似たようなことが、私にも心あたりがあります。
神さまの大きさの前に、赦されないほどの大きな罪はないという事実がせめてものなぐさめ、明日への希望ね。