そのころ、
イスラエルには王がなく、
めいめいが
自分の目に正しいと見えることを行っていた。
士師記21:25
士師記の17章、まるで、誰かのみた夢を、コーヒーを飲みながら起きたばかりのぼんやりとした頭で聞かされているようなお話し。
ミカさん、18章で拝んでいだ偶像をダン族に奪われます。
だから、ミカさんは非イスラエルな人なわけですね、っと鈍い私は自信なく解釈。
19章、夢の話しはとりとめもなく跳ぶ。
そして目の覚めるような事件の勃発、ベニアミン族のレビ人(ミカさんとは無関係、たぶん・・・)のお連れへの恐ろしい残虐行為。
20章、事件もさることながらの野蛮な裁判。
21章、ベニアミン族は責任を負わせれ大勢死にます。
士師記は終りです。
士師記を読んで思うことは、人々は真面目に真剣に、自分が正しいと思うことを一生懸命に求めていた、ということです。
私たちと同じ。
学ぶべきことは、それじゃダメだってこと。
何度くりかえしてもダメだった。
一生懸命だけじゃ、本当の答えにはたどり着かない。
一生懸命だけじゃ、本当の答えにはたどり着かない。
夕べ、コンポストの作り方について読んでいました。
ある質問者が、動物性のものを含む家庭から出る全ての生ゴミをコンポストに入れているけど、匂もひどく、白い虫がわき、大変なことになった、どうすればよいか、と寄せていました。
殺虫剤を撒いてみたけど駄目で、農薬を試したけど、白い虫は死なないとあり、「・・・・。」となりました。
士師記のイスラエルの人々を思いました。
私も、どこかで同じようなことをやっている気がします。