Monday, August 1, 2016

ヨシュア記24章

もしも主に仕えることが
あなたがたの気にいらないのなら、
川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、
今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、
あなたがたが仕えるようと思うものを、
どれでも、きょう選ぶがよい。
私と私の家とは、
主に仕える。
ヨシュア記24:15
ヨシュアの最後のメッセージです。
ヨシュアは最後の最に偶像からの誘惑を強く警告しました。
カナン人の宗教って、よっぽど強い反抗的な性格か、あるいは純粋な真の神への信頼がある人でなければ、屈してしまう魔性のようなものがあった気がしてなりません。
本当にそう思います。
ずっとずっとずっと、出エジプト記から、神はこればかりをくり返しくり返し、教えているって、きっとそう。
普通に何も考えていなかったら、普通にひっぱられて、普通に信じてしまう、恐ろしい宗教。
犠牲を要求する神々。
今もまだ生きている神々。
お金に仕えさせ、魂の犠牲を求める神。
世間様に仕えさせ、自分を犠牲にさせる神。
食べ物に仕えさせ、健康を犠牲ささげさせる神。
自分を称える音楽に仕えさせ、永遠の渇きを犠牲として喜ぶ神。
恐ろしい現代の神々。
今日でヨシュア記は終りです。
なんだか、ほっとしています。