★毎日が、飛ぶように過ぎてゆきます。
そして、気づくといつも、バレエスクールのラウンジで放心している私。
座って落ち着くべき場所が、車の運転席以外にも見つかってうれしいやら、いつもここで我に返る自分がおかしいやら。
毎日が飛ぶように過ぎるって、使い古されて月並みな言い回しだけど、なるほどね~っと思います。
幼稚園で働いていた頃もそう感じたけど、それは、「飛ばされる」のであって、「飛ぶ」とはちょっと違いました。
★「飛ばされる」ではなく、「飛ぶ」日々の中では、見えるものや、感じることも、とても主体的です。
「見せられる」のでも、「感じさせらる」のでもなく、自ら、全て選んでそうしているということか実感させられます。
どこで何をしていようと、人は全てを自分で選んでいるっていう聖書の原理原則を、味わっているわけです。
★昔よく、「修道院の尼さんはいいな、神さまとか聖書とか天国のことさえ、考えていればいんだもん」って思ったけど、それはそれで、結構大変なことかもしれないと思うようになりました。
「飛ばされる」方が「飛ぶ」より、気分的に、無責任でいられるのと同じです。
まあ、ぶっちゃけたハナシ平たく言うと、実は、「飛ぶ」方が、この世のことが’よ~く見えたり、聞こえたりして、選ぶのが大変ってことです まる