昨日の日曜礼拝の中での信仰の3つのステージについての話しを思い出しています。
私の長年の友だちが、信じがたい試練の中にいます。
私には数少ない年下の友。
私は彼女をずっと自分の妹のように思ってきました。
幼稚園で働いていた頃は、行きの車の中で、よく彼女のことを祈っていました。
信仰者としてマチュァな彼女だからこその闘い、2つめのステージにあげられたと、今朝、Ⅱサムエルを読んで思いました。
もうひとりの、ちょっとだけ年上の友が、こう言った。
「それでも、主を褒めたたえることができるかのチャレンジね」
まさにそう。
それでも、主を褒めたたえることができるか。
私は、恐いけど、「どうぞ、彼女の痛みを、少し、私にもわけてください」と祈ります。