天は神の栄光を語り告げ、
大空は御子のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話しを伝え、
夜は夜へ、知識を示す。
話しもなく、ことばもなく、
その声も聞かれない。
詩篇19:1~3
人は、生まれた時から、神を知っている。
講壇から、牧師がこのように話すのを初めてききました。
神は人をご自分に向けて造られたので、人は神を見るまで、決して本当の意味では憩えないことを、クリスチャンたちはみんな知っている。
でも、クリスチャン生活が長くなればなるほど、その記憶が薄れてゆくように思っていた。
生まれた時に、何を知らなかったはよく覚えていても、何を知っていたかは、後から知ったこととまざって、よくわからくなるものかもしれません。
そして、聖書を研究すれなするほど、後から知ったことが、最初から知っていたことよりも大切にことのように思える気もします。
ローマ人への手紙から、「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきり認めらるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」が読み上げられました。
私は、声に出して「アーメン」と言った。
私は、神を知らない子に出会ったことがありません。
人は生まれた時から、神を知っている。
毎週のことだけど、オーガニックなメッセージに心が満たされて、神さまに感謝せずにはいられません。