Sunday, September 25, 2016

左足の薬指の爪の誇りと使命

★もう、9月も後半というのになんだか暑い1日でした。
でも、とても良い日だった。
まぜず、うすめずのメッセージに心から感謝しながら、聞く私の心もどうぞ、末長く祝福し続けてくださいと祈りました。
★読みづらい楽譜をよみづらいままに、配っているけど、これは、どこかで誰かがちゃんと責任を持って、新しくしていく必要があるなって、思いながら、だらだらと惰性に流れております。
でも、今日、楽譜をちゃんと読む努力をしてくれている声を聞いて、これからは読みづらい楽譜をそうと知りつつ配らない努力をしようと、小さく決意しました。
ひどいと思ったものは、新しいものを探すか、きれいに直したものをスキャンして、ファイルし直そう。
今なら、それができる気がするから。
★自分が教会の一部であることは、何にも増して、本当に幸せなことと思う。
だから、例えば、私が教会の左足の薬指の爪であるとしたら、右目の人や髪の毛の人や胃の人を悲しませたり、苦しめたりしないようにしたいし、一緒にハッピーでいたいと思う。
そのためには、左足の薬指の爪の誇りをもって、脳の指令に従う足に従わなければならないことを、忘れずにいたい。
アーメン