主の手に陥ることにしましょう。
主のあわれみは深いからです。
人の手には陥りたくありません。
Ⅱダビデ24:14
人口調査を罪とされて、神から直接の裁きを受けることを希望たダビデ。
なぜ、それが罪だったのかはわかりません。
でも、ダビデは知っていたでしょう。
そういうことってあります。
人の目には正しそうでも、主は常にその動機を見られるから。
「義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地に若草を照らすようだ。」
ダビデの最後のことばです。
ダビデがどれほどの人格者で、どれほど強い戦士であったかは、誰もが知るところです。
サウルではなく、ダビデが王国を確立したといえると思う。
でも私のダビデは、その生涯を通して、神に対する揺るがない信頼、また神の絶えざる保護に対する無限の感謝を歌った、詩人でした。
私にとってはそうです。