もし人が罪を犯し、
主がするなと命じたすべてのうち一つでも行い、
後で咎を覚える場合、その咎を負わなければならない。
その人は、羊の群れからあなたが評価した傷のない雄羊を一頭とって、
罪過のためのいけにえとして祭司のところに連れて来る。
祭司は彼があやまって犯し、
しかも自分ではしらないでいた過失について、
彼のために贖いをする。
彼は赦される。
レビ記5:17,18
今朝からレビ記を読み始めました。
ささげ物の奉げ方についてのくわしい方法からはじまっています。
牛か羊。
鳥の全焼なら山鳩か家鳩。
穀物なら小麦粉。
かまどで焼くなら、菌はつかわないこと。
そして塩を欠かしてはならない。
和解のいけにえの場合は、牛か羊の雄か雌の傷のないもの。
普通のささげ物との違いを探しながら読んでみると、雌でもいいけど、全てを煙にして焼き尽くさず、一部は祭司に食べ物として食べてもらうようです。
間違って罪を犯した償いの場合は傷のない若い雄牛。
それが上に立つ人だったら傷のない雄やぎ。
立場やケースによっていろいろです。
そして5章5節、「これらの一つについて咎を覚えるときは、犯した罪を告白しなさい」。
おもしろいなっと思うのは、かまどで焼いたささげものをふくらませないことと、塩をつかわなくてはならないこと。
塩せんべいを思いうかべちゃった。