Friday, July 17, 2015

パウロの3年

異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために、
御子を私のうちに啓示することをよしとされたとき、
私はすぐに、人に相談せず、
先輩の使徒たちに会うためにエルサレムに上らず、
アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました。
それから三年後に、私はケバをたずね・・・
ガラテヤ1:16~18
筋金入りのユダヤ教原理主義者であり、キリスト教迫害者であったパウロ、そして完全に生まれ変わった人間キリスト狂男・パウロの真実な祈りに生かされている私のこの夏休み、彼の祈りの力強さの源であり、彼の生涯の中心的出来事を、ガラテヤ書の中に読みふけっておりました。
そして、彼のこの3年という月日に目を留めています。
彼は学ぶためではなく、剥ぎ取られるために3年を要したと聖書には書いてはいません。
でも、もしかしたらそうなのかもしれないと思いながら読みました。
憎しみと疑いと恐れに満ちた目で私を見据えて挑戦的に、あなたは本当に恐ろしい人だと言った人がいます。
私はそのように人に恨まれていることに少なからず驚きました。
けれど、私の痛みがそう信じている彼女に注がれていることにもっと驚きました。
パウロが3年の月日をかけて主にのみ従うことを学んだその後、全世界から受け入れられ聖なる人になれたとは私は絶対に思わない。
真実は、絶対にそのようなきれいごとではないと思う。
でも、誰に何を言われようとも大丈夫なパウロが生まれたのも、これ事実。
そして、パウロがそれを神によって教えられた場所があった。
それがアラビヤという荒野。
人にではなく、神に仕えるというただその一点のみを知るだけのために、人はあらゆるこの世の荒野に導かれる。
私は、学ぶためにだけではなく、捨てるために荒野に導かれ、そして、そこに留まれるだけのマナを天から受けているのかもしれない。
私は、すでに得たのでもなく、
すでに完全にされているのでもありません。
ただ捕らえようとして、追求しているのです。
そしてそれを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。
ピリピ3:12

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