私をそれを人間から受けなかったし、
また教えられもしませんでした。
ただキリストの啓示によって受けたのです。
ガラテヤ1:12
自分が何者であるのかという印のようなものを、全部家に置いて、毎日荒野に出かけるということをしていた気がします。
振り返ると5年という月日が経ちました。
そして、なお未だに自分が何者であるのか印を持たないままでいます。
何が変わったのかといえば、何も変わっていません。
私は今だに、何者でもないのです。
もし、何かが変わったとしたら、謙遜を失いそうになっているということなのかもしれません。
直接、主と交わることのできる場所に居ながら、人の歓心を求めることは大変な矛盾だと思います。
いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。
いや。神に、でしょう。
あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。
もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、
私はキリストのしもべとは言えません。
ガラテヤ1:10
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