Thursday, July 23, 2015

イエスを十字架につけたもの

人は心に信じて義と認められ、
口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。
「彼に信頼する者は失望させられることがない」
ローマ10:9,10
神の愛は、自分自身で、自分の手で受けとる他ありません。
もしあなたが、この神の愛を、イエスの命を自分のものにするなら、あなたはかつてないやり方で人を愛するようになるでしょう。
Ⅰヨハネの3章の16節にはこうあります。
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。
それによって私たちに愛がわかったのです。」
わかるということは、これまでの失敗も、一生懸命にやろうとして、でもできなかったことも、無駄にしてしまった時間も、全てが赦され、慰められ、そして癒されるということです。
全てが、良いものと変えられるということです。
もし、あなたが今まで、一度もそんなふうに考えてみたことがないなら、今がその時です。
もし、ずっと前にそれを信じていたことを思い出すことができるなら、今が悔い改めの時です。
使徒の働きの3章19節です。
「あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。」
The Love Dare より
ノンクリスチャンは、ここで、きっと「悔い改める?」と素朴に思うことでしょう。
ここが一番難しいところです。
先週の、日曜礼拝のメッセージの中で、「福音を伝えることと、福音を信じさせることは違う」と牧師が言っていたので、それを信じて書いてみるけど、イエスを十字架に架けたのは、実は私です。
クリスチャンとは、それぞれが、ただ単純にその事実を個人的に受け入れた人々のことです。
クリスチャンとは、それゆえに赦されることを、心から願って、悔い改めた人々のことです。
そして、教会とは、悔い改めたアナニアと、悔い改めようとするサウロの集まりにほかなりません。

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