それでミリヤムは、7日間、宿営の外に締め出された。
民はミリヤムが連れ戻されるまで、旅立たなかった。
民数記12章
11章、モーセの率いる民から不平が始まります。
4節の「また彼らのうちに混じっていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人ももた大声で泣いて、言った。」がとても気になります。
エジプトから、もしかして、エジプト人を連れてきたのでしょうか。
妻がエジプト人という人もいるのかもしれません。
それとも非イスラエル人という意味なのかな。
ともかく、不満はそのような混ざり者によって起こされ、簡単に伝染してしまいました。
モーセは、ひとりでは民の重荷は負いきれないと主に懇願し、主は、モーセの他に70人の長老たちにモーセの霊を分け与えました。
霊を与えられた長老たちは、主のことばがわかるようになり、預言ができるようになります。
欲望にかられ肉を所望した民は、肉をたらふく食べたものの、結局疫病に打たれ、その地に埋められます。
思えば、12章で70人ものあかの他人にモーセの霊が分けられたがおもしろくなかったのかもね。
それに怒りを燃やしたのは、モーセではなく、主でした。
私のとらえ方による、神の言い分はこうです。
「ちょっと待った。モーセは預言者以上の者だ。彼は自分のパートナーであるのに、そのモーセに張り合おうなど、あたががたの価値基準はいったいどうなっているんだ。」
なかなかいいでしょ。
私が聖書小説を書くなら、ここは絶対こう訳します。
そして、姉のミリアムはらい病に打たれ、けれど7日めに癒されます。
そして、無事にイスラエルの民たちと共に元気に(これ私の願いね)旅立ちます。
私にはここで聖書から目を上げて考えなければならないことがあると思う。
ここは、自分をミリアムに重ねなければ、なんの意味ももたないところ。
決してモーセの立場で、神の立場で読んではいけない。
彼女は赤ちゃんモーセを入れた籠が無事に誰かの元に届くのを影で見ていた子。
モーセを見つけて拾ってくれたパロの娘に、へブル人の乳母を紹介しましょうと言って、本当の母親を連れてきた子。
彼女はエジプトから脱出する民を、タンバリンと歌声と詩で励ました人。
いつだって、モーセのために、モーセが仕える神のために、一生懸命だったのです。