私たちが滅びうせなかったのは、
主の恵みによる。
主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
哀歌 3:22,23
エレミアのエルサレムに対する愛は、エレミアの信仰そのものであったのだと思います。
ここで、がくっときてほしくないんだけど、エレミア書って私には難しすぎて、よくわからなかった。
でも、とにかくエレミアは本気で信じて、本気で従い、そして本気で闘った愛の人だったということと、そして、エレミアに言葉を授けた主は、淫らに堕落するエルサレムなら、いっそ火という愛で燃やすことを選んだように思えてなりません。
そして哀歌は、結婚をしなかった人が書いたとは思えないほど、それはそれは深くて複雑な男性的な愛の詩。
毎日、与えられる新しい朝にたいして、歌うことのできる普遍的な信仰の告白は、哀歌のここから、きていたことを、今朝知りました。
私が、滅びうせないのは、主の恵みによる。
主には堪忍袋がなく、よって、緒(お)も切れません。
切れたように見えても、実は切れていないのです。
その証拠がこの新しい朝。
恵みの朝。
りんごの木も元気です。