事故を目撃したのではなく、ついに経験してしまったのだと、自分では思っています。
誰も私に見向きもしなかったけれど、私は何事もなかったかのように現場を立ち去るのに違和感を覚えたほど、かなり当事者の気もちでした。
朝、神さまと一緒に石でできたリセット・ボタンを押した、その日の夕方の出来事だから、なんだか、私の新しい日々への大きな警告のように思えてなりません。
今朝エゼキエルで読んだ、「終りがくる。その終りがくる。あなたを起こしに、今、やってくる。」が、エゼキエルや彼の置かれていた状況と関係なく、生々しく私の心に迫ってくるのです。
明日はないものと思って、しっかりと生きなければと思う。