Saturday, February 25, 2017

エゼキエル 18章

ー神である主の御告げー
悔い改めて、
あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。
不義に引き込まれることがないようにせよ。
あなたは犯したすべてのそむきの罪を
あなたがたの中から放り出せ。
こうして、
新しい心と新しい霊を得よ。
イスラエルの家よ。
なぜ、
あなたがたは死のうとするのか。
わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。
―神である主の御告げ―
だから、悔い改めて、生きよ。
大すきなみことばです。
神さまはの心は、常に「生きよ」と、生に向かって、命の向かって、私を励ます。
どんな時も。
そして、私が命に向かっている時は、それがどんな状況であっても、神さまの霊は私とひとつでいてくださる。
これを、クリスチャンは「平安」とよんでいるのだと思うけど、それは、この世がいう「安全」とは違うけど、でも「安全」以上のものだと思う。
「安全」には守るべき条件があるけど、でも「平安」は何かあるのかよくわからないし、何をさせられるのかわからないこともあるけど、でもそれは、キリスト・イエスの名において、完璧に平らで安らかな心。