それゆえ神は、
この方を高く上げて、
すべての名にまさる名をお与えになりました。
それは、イエスの御名によって、
天にあるもの、地にある者、地の下にあるすべてが、
ひざをかがめ、すべての口が、
「イエス・キリストは主である」と告白して、
父なる神がほめたたえられるためです。
ピリピ 2:9~11
「神はいない」と言う人にどのように、自分の信仰を証するか、というメッセージでした。
私は、「神はいない」と言う人に会ったことがないので、そんな時、自分がどう反応するかまだ知りません。
でも、ちょっとだけ、心構えができました。
「神はいない」という人には、「神はいる」ではなく、「私は神に愛されている」でよいのだというメッセージに「座布団一枚!」と心の中で膝を打った私です。
でも、問題は、違う神を信じている人。
そして、どんな宗教も結局最後は同じ場所に通じていると信じている人。
私は、そんな人にはよく出会ってきました。
そんな時、私は相手の話を最後までじっくりに聞いてしまって、すごく疲れて、「だいじょうぶ、まにあってる、わたし、くりすちゃんだし、じつは・・・」と子どもみたいな一本調子の全部ひらがなで答え、証するどころか、後ずさりでその場を去っちゃう情けないクリスチャンなのです。
伝道されなかっただけでも、えらい、なんて自分を慰めてきたけど、でもだめよね、そんなの、そろそろ・・・。