Wednesday, October 26, 2016

こんばんはルイス

C.S.ルイスはお好きですか
私は『おはようスポルジョン』なんてタイトルにしてるくせに、実は相当な『こんばんはルイス』です。
でもなんだかゴロが悪いし、暗いし、何より説教者としてのブランド的には C.H.スポルジョンの方が有名だし、クリスチャンも読みたい気もちになってくれるかなっと思って。
えっと、今日は、誰にもリクエストされていないけど、そんな C,S.ルイス語録を作ってみようと思います。
じゃじゃん!
テーマは「高ぶり」です
●キリスト教の教師たちによると、本質的、究極的な悪徳は傲慢です。
不貞、怒り、貪欲、飲酒その他にしても、傲慢に比べれば蚊が刺した程度の害しかおよぼしません。
悪魔が悪魔となったのも、傲慢を通じてでした。
●人は富や知性、美貌を誇るといいますが、じつは相対的に他人より富んでいること、他人より賢いこと、他人より美しいことを誇っているのです。
傲慢の本質は他人との比較です。
●誰が見ても傲慢な人々が、神を信じていると自称し、自分でも信心深いと思いこんでいることがあります。
これはどういうことでしょう。
それは自分の頭でこしらえあげた神を拝んでいるということではないでしょうか。
●他の、それほど悪質でない悪徳は、私たちの動物的な性質を通じて働くのですが、傲慢は直接に’地獄からきます。
それは純粋に霊的な悪徳です。
したがってはるかに陰湿で、はなはだしく危険なのです。
●多くの人が臆病心や情欲や短気を、自分の人間としての尊厳を傷つけると考えることで、つまり自尊心によって、克服してきました。
悪魔はそれを見てほくそ笑むでしょう。
悪魔はあなたがどんな貞潔な、勇敢な、自制心に富んだ人間になろうとも、あなたのうちに自尊心という独裁者を確立することさえできれば満足でしょう。 
●私のうちには二つのものがあって、私の努力の目標である真の自己と争っています。
二つのものとは、動物的自己と悪魔的自己です。
悪魔的自己の方が動物的自己よりいっそう悪質ですから、教会の礼拝に規則正しく出席してきる冷ややかな、独善的な気取り屋が、売春婦より地獄に近いということになるのです。
しかし、もちろん、そのどちらの自己にもならないに越したことはありません。
●結局のところ、二種類の人間しかいない。
神にむかって、「どうか御心のままに」という人々と、神から究極的に、「おまえの心のままにするがよい」と言われる人々と。
地獄にいる者はみな、みずから地獄を選んだのだ。
人間が自分で選んだのでなかったら、地獄など、存在するわけがない。
喜びを真剣に、また一貫して求める魂は、けっして失望しない。
求める者は見出し、門を叩く者は扉を開けてもらえるのだ。
「高ぶり」の分析において、ルイスの右に出る者なし
おそるべしルイス、するどすぎ