こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。
イザヤがまだ中庭を出ないうちに、
次ぎのような主のことばがあった。
「引き返して、わたしの民の君主ヒゼキヤに告げよ。
あなたの父ダビデの神、
主はこう仰せられる。
『わたしはあなたの祈りを聞いた。
あなたの涙も見た。
見よ。わたしはあなたをいやす・・・
Ⅱ列王記20:3,4,5
祈って、神の心を変えた人は実はたくさんいると思う。
涙をこらえて、「神さま、みこころであるなら、その杯、無事に飲みほせるよう助けてください」と祈る前に、エゼキヤのように泣いてみてもいいのかもしれない。
私は思います。
エゼキヤは、もし、祈りを主に聞かれなったとしたら、ダビデやイエスがそうしたように、涙を拭いて、家を整理したはず。
でも、その前に、自分の心を主の前に注いで涙を流すことは、とても良いことだと思う。
どこかで、涙の成分には毒が含まれていると読んだことがあります。
涙を流すことで、気もちが落ち着くのは、きっとそういうわけなのだと思うのです。