Saturday, September 11, 2021

私のパート

ヨセフは実を結ぶ若枝、
泉のほとりの実を結ぶ若枝、
その枝は垣を越える。
弓を射る者は彼を激しく攻め、
彼を射て悩ました。
しかし、彼の弓はたるむことなく、
彼の腕はすばやい。
これはヤコブの全能者の手により、
それはイスラエルの岩なる牧者による。
創世記 49:22-24

ヨセフの勝利の鍵は、もちろん、神さまの守りと導きにあったわけだけど、でも彼は彼のパートを真剣に果たしたことが、本当はとても重要なことであったと思う。
奴隷となっても胸をはり、顔を上げ、真っ直ぐに前を向いて、神の子として生き抜いたヨセフ。
神がおられる。神だけがおられる。
神が支払われる。神だけが支払われる。
絶対的全能者の中だけで感じることができたヨセフ。
葛藤や恨みに苦しむ姿は聖書の中にはありません。
ただ、最後に、一瞬、弟のベンだけを得ようとしたけれど、これも、思いとどまりました。
絶対的全能者がいる。
そりゃいるよね。いるでしょ〜とも。
でも、その中で、それだけをたよりに、それだけを信じて、それだけから養われ、励まされて生きるってどんなことなのだろう。
私にはできないけれど、でも、私にもできることがある。
それは、絶対的全能者がいるということを頭でわかること。
それで、頭で判断すること。
心が何を感じようと、身体がどうしたがろうとも。
絶対的な全能者が私と共におられる。
アーメン
 

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