もし、私がほんとうに、
あやまって罪を犯したとしても、
私のあやまって犯した罪が
私のうちにとどまっているだろうか。
あなたがたがほんとうに私に向かって高ぶり、
私の受けたそしりのことで、私を責めるのなら、
いま知れ。
「神が私を迷わせ、神の網で私を取り囲まれた」ことを。
ヨブ 19:4~6
ヨブが住んでいた「ウツの地」ってどんなところかな。
詩と詩が対話するような、まるで生き物のようなヨブ記。
どちらにも生々しい魂の息のようなものを感じるけど、背景には全く命を感じません。
上手に言えないけど、まるで、荒野の真ん中であぐらをかいて座り込み、話しているような、大観衆が見守る大きな舞台の真ん中のスポットライトの中で向き合っているような。
ヨブが受けた現実的な問題に誰もふれないことがますますこの詩を詩的にしています。
この現実を受けて、人生を立て直すためにどこから手をつけようとか、お医者さんを呼ぼうとか、薬をためそうとか一切ない。
それで、(なんで「それで」かはうまく説明できないけど)私もヨブ記を一節も一句も一文字もとばすことなく、ちゃんと読むことにします。
ヨブの苦悩や苦闘にまみれる覚悟を決めました。
解決のためではなく、悩むこと、それそのものを目的にね。
やれやれ。