主は、私へのゆずりの地所、
また私への杯です。
あなたは、私の受ける分を、
堅く保っていてくださいます。
測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
詩篇 16:5~6
いや、そんなはずはない。
与えられたものが、最初に望んでいたものとは、違うことってよくある。
与えられたチャレンジが大きすぎたり、全然違う畑への手伝い程度の小さなものだったり。
でも、ダビデは、最後には必ず、それが主の最高の贈物であったと知りました。
この「知る」というところがミソだと思う。
あるとかないとか、事実とか偽りとか、正しいとか正しくないとか、好きとか嫌いではなく。
ヨブ記が私にそう、教えてくれました。
自分は知らないと知る。
自分にはわからないと知る。
自分にはできないと知る。
でも、主はご存じと知る。
主にはおできになると知る。
主が私にそれをさせてくださると知る。
測り綱は、私の好む所に落ちました。
それは、まことに、私へのすばらしいゆずりの地でした。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいます。
51歳になりました。