★ピアノ輸入の夢が絶たれ、泥のような悲しみの中でパジャマ姿でカーテンを閉め切って、バッハのフランス組曲の譜読みをしておりました。
泥のような悲しみの中で弾くのにぴったりのフラット系の短調の連続。
バッハの作品の中でも比較的複雑じゃない、っていうかわりと簡単な曲集なので、練習という別の問題を背負うことなく、じっくり悲しみに浸ることができました。
そうこうしていると、教会から日曜日の礼拝の説教で取り上げられるみことばが Eメールで送られてきたので、聖書を開いて、祈りながら、賛美曲を選ぶという作業に取り組むうち、悲しみはどんどん後ろに小さくなってゆきました。
★この仕事をしていると必ずといっていいほど、すごく好きと思える賛美歌と出会ってしまいまいます。
今日もそうでした。
でも、残念ながら、インターネットの中で音楽をみつけることができず、今週は使えなかったけど、いつか必ず礼拝でやりたい。
選曲者は楽譜と音楽を添えて、チームのメンバーに送るきまりがあるのです。
「なければこさえる」が私が幼稚園で学んだ尊い鉄則のひとつ。
こさえるために、午後はバッハに代って、その曲を延々と弾きつ歌いつしておりました。
★ピアノから鍵盤をはずすのはピアノがかわいそうって朝書いたけど、本当にかわいそうなのは象かもしれない。
その象が牙のために捕らえられたことで、象や、その子どもや、家族や、群れはどれほど悲しかっただろうって思うと、二重の象殺しを私はするべきでないって思った。
そして、私があのピアノの中で最も愛着があるのが鍵盤であることを知りました。
鍵盤をはずして輸入しても、それは顔のないお人形と同じなのです。
汗で黄ばんだ鍵盤。
私がプレッシャーと冷や汗の中で叩いてもなお、いつもさらさらと乾いて、私の指を励ましてくれた鍵盤。