★(夕方の記事は、ほとんど毎日、このフレーズで始まっている気がするけど)
今日もとても良い日だった。特別に。
毎日が本当に特別に良い日なのです。
だから、どうか、そう書くことを許してね。
生身の身体で生きているのだから、もちろん、葛藤はあります。
私の場合、人一倍です。
根が超不良なので、それはそれは、葛藤だらけです。
でも、聖霊が、いつも、私を、正してくれる。
半強制的に。
そしてそれに従うことは、とても気もちの良いこと。
だから、真ん中はぐちゃぐちゃでも、終りはいつも、「ああ、今日も良い日だった。今日は特別によい日だった」となるのです。
★2年ぐらい前かな。私たちの教会に、ゲスト・スピーカーとして来た牧師に、私は、根がワルだから、ってそれは言わなかったけど、「日々葛藤している」と、何かの弾みで口を滑らせたことがありました。
そしたら、彼は、「それは救われている証拠です。葛藤は聖霊の働きだから。」という意味の事と言って、私をびっくりさせたことを、ひょんっと思い出しました。
どんな風にひょんかと言うと、祈った直後にひょんと。
それで、ああ、この葛藤を罪として恥ずかしく思うのは、やめようと思って、もう一度祈ったのです。
聖霊さま、抵抗してくれてありがあとう。
あなたの行きたいところに、私を連れて行ってくださいって。
★結論は、賛美チームで「歌う」という奉仕をしばらく、見合わせることにしました。
すご~く残念だけど。
心も唇も歌いたくてたまらないのに、私の霊と身体の中でも耳だけがまだ、「NO」なのです。
それが結論。
パウロ流に言うなら、それが聖霊と私の結論。