Wednesday, November 2, 2016

愛さえあれば、愛はなくとも

★日曜礼拝で開いたローマ人への手紙と、毎朝開いているネヘミア記のおかげで、すごく元気です。
今朝読んだネヘミアの8章にもあるけど、結局は、律法の書、みことばによらなければ、私たちは、本当の意味で「生きる」ことができないのだと思います。
律法の書があり、解き明かす人がいて、祈りがあり、そして歌うたいがいて、聖徒の交わりがあることがクリスチャンの命綱。
それがこの地上で唯一天国の入り口とつながる空間、集り、関係である教会。
そのことを、身をもって学びつつあります。
★一信徒として教会に対して期待することと、自分を教会の一部としてニーズに応えようとすることは、すごく似ていて、紙一重。
一人の人がその両方を行ったり、来たりしてもいいと思う。
愛さえあれば。
一人の人がその両方を持って集まるのが教会だと思う。
たとえ、愛がなくとも。
たくさんある人が与えればよし。
元気な人が動けばよし。
次の日には、交代しているかもしれないのだから。