Thursday, November 3, 2016

ネヘミア 9章

私たちに降りかかって来たすべての事において、
あなたは正しかったのです。
あなたは誠実をもって行われたのに、
私たちは悪を行ったのです。
ネヘミア 9;33
ネヘミアと、彼に従順に従った民によって、エルサレムの城壁は再建され、民は集まって、7日間にもわたって、エズラが朗読する律法の書を聞きます。
そして、食べて、飲んで、喜び、祝い、8日め、聖めの礼拝がもたれました。
そして悔い改めの契約の祈りを奉げられました。
私の、新改訳聖書の旧約部分のほぼ半分に対する、つまり、自分達の祖先が歩んだ歴史に対する悔い改めです。
国を変えるためには、ここからやらなければならないということなのでしょう。
日本人の私たちには、耳の痛い箇所かもしれません。
国のリーダーが公に過去の失敗を包み隠さず、さらさらと読み上げ、国民全体で、「私たちは悪を行ったのです。アーメン」と言うなら、主は忘れてくださる。
歴史は残るし、傷つけた人々の子孫は消えてなくなるわけではないけれど、でも、きっと何かが変わるのだと思う。
主の癒しはどんな複雑な問題よりも大きいのだから。

Wednesday, November 2, 2016

これが教会

もうすぐ終る今日という日の、この特別に良い日に、もうひとつの喜びが、たった今舞い込んで来ました。
そしてそれは、今日一番の、私への励ましと喜び。
これほど、特別に良い日であったにも、関わらず、です。
筆者の承諾を待たずに、匿名でシェアさせてもらいます。
だから、教会ってすばらしい。
だから、教会はクリスチャンのニーズのバンクなの。

まきさん
お久しぶりです、お元気ですか?先日は美味しいお団子餅をありがとうございました😊
ホント美味しくて、大好評でしたよ〜
さて、今度ケントがウィンタービジョンのスタッフとして奉仕することになりましたね。
本当に子供たちの成長が早くてびっくりするのと同時に、霊的にもしっかり成長していることをとても嬉しく思います!
スタッフも参加費用がかかるのですが、S教会では全額サポートができるようになりました!!
サポートの案内については、会計のK姉からメールが届いていると思います。
プリントアウトして必要事項を記入の上、ケントに持たせてください。大学生となり、車の運転もして、アルバイトもこなし、本当に逞しく成長しましたね。
母親業ご苦労さまです🌟
これからも、ケントがますます神様とみんなに愛される青年となりますようお祈りしてますね。
S

私と聖霊の結論

★(夕方の記事は、ほとんど毎日、このフレーズで始まっている気がするけど)
今日もとても良い日だった。特別に。
毎日が本当に特別に良い日なのです。
だから、どうか、そう書くことを許してね。
生身の身体で生きているのだから、もちろん、葛藤はあります。
私の場合、人一倍です。
根が超不良なので、それはそれは、葛藤だらけです。
でも、聖霊が、いつも、私を、正してくれる。
半強制的に。
そしてそれに従うことは、とても気もちの良いこと。
だから、真ん中はぐちゃぐちゃでも、終りはいつも、「ああ、今日も良い日だった。今日は特別によい日だった」となるのです。
★2年ぐらい前かな。私たちの教会に、ゲスト・スピーカーとして来た牧師に、私は、根がワルだから、ってそれは言わなかったけど、「日々葛藤している」と、何かの弾みで口を滑らせたことがありました。
そしたら、彼は、「それは救われている証拠です。葛藤は聖霊の働きだから。」という意味の事と言って、私をびっくりさせたことを、ひょんっと思い出しました。
どんな風にひょんかと言うと、祈った直後にひょんと。
それで、ああ、この葛藤を罪として恥ずかしく思うのは、やめようと思って、もう一度祈ったのです。
聖霊さま、抵抗してくれてありがあとう。
あなたの行きたいところに、私を連れて行ってくださいって。
★結論は、賛美チームで「歌う」という奉仕をしばらく、見合わせることにしました。
すご~く残念だけど。
心も唇も歌いたくてたまらないのに、私の霊と身体の中でも耳だけがまだ、「NO」なのです。
それが結論。
パウロ流に言うなら、それが聖霊と私の結論。

愛さえあれば、愛はなくとも

★日曜礼拝で開いたローマ人への手紙と、毎朝開いているネヘミア記のおかげで、すごく元気です。
今朝読んだネヘミアの8章にもあるけど、結局は、律法の書、みことばによらなければ、私たちは、本当の意味で「生きる」ことができないのだと思います。
律法の書があり、解き明かす人がいて、祈りがあり、そして歌うたいがいて、聖徒の交わりがあることがクリスチャンの命綱。
それがこの地上で唯一天国の入り口とつながる空間、集り、関係である教会。
そのことを、身をもって学びつつあります。
★一信徒として教会に対して期待することと、自分を教会の一部としてニーズに応えようとすることは、すごく似ていて、紙一重。
一人の人がその両方を行ったり、来たりしてもいいと思う。
愛さえあれば。
一人の人がその両方を持って集まるのが教会だと思う。
たとえ、愛がなくとも。
たくさんある人が与えればよし。
元気な人が動けばよし。
次の日には、交代しているかもしれないのだから。

ネへミア記 9章

きょうは、
私たちの主のために聖別された日である。
悲しんではならない。
あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。
ネヘミア 8:10
昔から、へブル人に敵対してた民族たち、モアブ人、エモリ人、アラブ人などのここぞとばかりの意地悪な妨害に屈することなく、城壁の再建を果たしたネヘミア。
昼、夜を徹しての、武装した仕事で、工事は無事に終了します。
そして8章、民は水の門の広場に集まり、エズラによって朗読されら律法の書を聞きます。
涙を流す人々に、ネヘミアは、泣いてはならないという。
食べて、飲んで、喜びなさいと。
私も、ここにいてエズラの読み上げる律法を一緒に聞いてみている気持ちを想像してみました。
私も泣くのだと思います。
律法の書による信仰の改革が個人の心の中で起きました。
このことの意味はとてつもなく大きいと思う。
それは、単に「罪の悔い改めへの招き」ではない、超・新鮮な、超・斬新な解き明かしであったはず。
人々の涙は、神のことばへの飢えと渇きに、神の癒しが触れた、その涙・・・。



Tuesday, November 1, 2016

ハロウィーン・ナイト 3

興奮の一夜が明けて思うこと。
はなと一緒に歩いてよかった。
はなは生まれて10回めのハロウィーンを迎えました。
そして5年生の今年、初めて、一緒に楽しむことができました。
仕事があってもなくても、私はこのイベントとは、一線を引いてきた。
ここで、何も、聖書の言葉を持ち出して、ハロウィーンを否定する気は毛頭ありません。
私の霊がそれを嫌うという、ただそれだけの理由です。
でも、はなには無邪気に楽しんでほしかったので、小さい時は夫と、そしてここ数年はキャサリンの家族と、昨年は賢人に付き添いを頼みました。
賢人に集まったキャンディーの10パーセントを報酬として分けるという条件で。
昨日のはなは、本当に大興奮でうれしそうだった。
黒猫の顔のバケツに入らなくなったキャンディーを、私の毛糸のカーディガンのポケットにぱんぱんに分けて、ジーンズのポケットにも押しこんで、「ママ、へんな人みたい」と、ケラケラと体を曲げて笑っていた。
私、かなりいつも何振り構わず、へんだからそんなの全然普通なのにさ。
そして、本当に恐い家からは、キャンディーをもらいませんでした。
写真に撮したすごい家もはなは素通り。
立ち止まって写真を撮る私に「マ・マ~」(1個目のマにアクセント)と呆れていた。
でね、思ったの。
ああ、この子の中に聖霊がいる。
確かにいる。
絶対いるって。
追記:昨夜も、山のようにもらったキャンディーの10パーセントぐらいを賢人に恵んであげておりました。美しい兄弟に愛にうるうるしましたというのは嘘だけど。



ネヘミア記 2章

すると、王は私に言った。
「では、あなたは何を願うのか。」
そこで私は、天の父に祈ってから、王に答えた。
「王さま、もしもよろしくて、
このしもべをいれてくださいますなら、
私をユダの地、
私の先祖の墓のある町へ送って、
それを再建させてください。」
ネヘミア 2;4,5 
この一息の祈りが、きっと全ての結果の重要な要素、そう思うのですが・・・。
なかなか、私には難しい。
ネヘミアも、まさか、王さまを目の前に、「えくすきゅーず・みい。」と言ってから、目を閉じて30分も祈ったりはしなかったと思う。
祈る人は、みな、息をするように祈るもの。
吸うごとに、吐くごとに。
祈る人は、みな、歩くように祈るもの。
右足出すごとに、左足をだすごとに。
私もそう、なりたいです。
「おはようございます。今日もあなたの臨在と平安を第一とできますように」
「ああ、コーヒーがおいしい。ありがとう神さま」
「さて、はなを学校に送って行きます。車の運転の安全をお守りください」
平和な朝はこんな風にできても、家に戻って、はなが忘れて行った宿題を机の上に見つけた日にゃあ、もう、ぐちゃぐちゃ。
クルマの鍵をにぎって、「オフィスに届けようか、それとも、戒めとしようか、いや、あの子は絶対に気にしない。せっかく今日まで一度も遅れずに提出できたのに・・・・。それは本当の愛?もしかして私の見栄というものかもしれないな~」と始まる、悲しい葛藤です。
「葛藤」を祈るサインとする前に、「!」の段階で祈れるようになりたいものです。