Sunday, January 31, 2021

便利屋さん来たる


父が、玄関から居間の間のすべらせて開ける戸がカタカタと動きが悪くなったのをとても気にしていたのだけど、ついに、今日、我が家に便利屋さんと称するハンディマンを呼びました。
この家では、父自身がハンディマンだったので、これは、一大事です。
2件に連絡をしたのだけど、2件とも、なんとも、心細く頼りにならない対応。
「電話で言われてん、見らんとわからんけん、後で行くわ」って、あんたここアメリカの田舎じゃあるまいし、後っていつよと、思ったけれど、2件とも同じ反応だったので、これが日本の便利屋さんの流儀と信じて、気長に待つことにしました。
で、最初に来た人に、おうちにあがって、見てもらいました。
黙って、がたがたっと戸を外し、ドライバーある?
と言います。
このヒト、本当にハンディマンなのかなあ、ドライバーも持ってないなんて。
次はなんと、カンナある?だって。
ああ、どうしよう、ライセンスの提示を求めるべきだったかもしれない悪い予感。
トラックにライセンス番号書いてあるか、そっと見てこようかしらん。
でも、父は黙って、倉庫に行き、かんなを持ってきてあげました。
彼は、戸の下をしゅっしゅとカンナでけずって、「これで、いけるわ」。
戸を何度か開け閉めして、「な」と言って、代金も取らずに帰って行きました・・・。
そして、2件目の人からは、何の音沙汰もなし。

2月です!


主は私にかかわるすべてのことを成し遂げてくださいます。
主よ、あなたの恵みはとこしえにあります。
詩篇 138:8

気づいたら、1月が終わっていました。
早いもので、私がこの家に戻ってきてから、もうすぐ2ヶ月になります。
こんなに長く、はなと離れているのは初めてです。
夫とは出会う前の28年間は離れっぱなしだったし、賢人はUCIに入って以来、お正月が終わるとアーバインに行ったっきり、イースターまで帰ってきません。
でも、はなとはあの子が生まれて以来、ずっと一緒だったから。
でも、今、私の側にはいつも母がいます。
ずっと一緒です。
毎日、一緒にお昼ごはんを食べて、毎日、一緒にお夕飯の支度をしています。
母は野菜を洗ったり切ったり、お洗濯を干したり畳んだり、お庭で枯れ葉を集めたり小さな草を見つけてぬいたり、一日中くるくるとよく動くようになりました。
私がこの家に帰ってきた最初の1週間とは見違えるほどに元気です。
その頃、まだ父は病院にいて、私は癌の転移と手術のキャンセルの知らせと母の様子にすっかり打ちのめされ、「神さま、私、もうだめ、どうか助けてください」とまともに祈ることもできず、泣きながら夜を明かしました。
あれから、あそこから、ずいぶん、遠くまで歩いてきたような気がします。親子3人で。
あの頃は、まだ、車の運転にも、外に出て普通の日本人の大人の事務的な要件をこなすことにも全く自信がなく、得意の文章を駆使して、いつもEメールばかりを書いていた。
でも、今は、受話器を持って、説明してみようと思える。
車のキーを持って、どこにでも行って、何だってやってみようと思える。
「主は私にかかわる全てのことを成し遂げてくださいます。」
心からアーメンです。

愛しすぎたくない、おおいた


父が気に入る椅子を手に入れて、とてもうれしい、充実した1日となりました。
重い病気の父と一緒に病院以外の所にでかけることは、なんだか、生まれたばかりの赤ちゃんとでかけるような緊張があります。
でも父と私の前の道はどんどん障害物が取り除けられ、スムーズに動くことができました。
いつも、「大分医大病院は、スタッフがたくさんいて、わかりやすくて、親切ですごい!」と思っていたけど、すごいのは、病院じゃなくて、大分市民なのかもしれません。
ん?じゃなくて、父を愛する神さま?
いずれにしても感謝なことです。

もうすぐ、借りているWifi の返却日です。
2ヶ月の約束で、その分しか払っていません。
どうしようかな。
延長しようか、それとも、こちらで電話が買ってしまおうか。
電話番号ごと・・・。
どんどん根付くことは、果たして本当に良いことなのかな。
トランジットがやたらめんどくさい私。
この前まで、この国でやっていく自信がなくてめげていたのに、今ではLAに帰れなくなっちゃうかもしれない不安が始まっています。

父とニトリへ

リクライニングチェアを買いにニトリへ
展示棚から勝手にチェアをひっぱり出し、
通路で並んで座り心地を確認する父と私↑
父が座っている方に決定
父、組み立て中↑
完成しました!
座り心地も寝心地も抜群
小さいからサンペドロの我が家のリビングルームにもぴったりなんだけど・・・

Saturday, January 30, 2021

大すき、おちょやん

その日、ユダは救われ
イスラエルは安らかに住む
その王の名は、「主は私たちの正義」と呼ばれる。
エレミア 23:6

「困難が私を悩まし、サタンが私を攻撃し、天国に達するまでには多くの経験を経なければならないといっても、それは神の恵みの契約によって、私のためになされているのである。
キリストはすべてを成就された。
彼は十字架の上で『すべては終わった』と言われた。
もし全てが成就されているなら、私は彼にあって完全であり、言葉につくせない輝きに満ちた喜びにあふれることができる」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
人は色んなことを、簡単に口にします。
私は、人の、どんなことばも、わりと真剣に受けとめます。
私個人に言ってくれたり、書いてくれたことは特にそうです。
小さい頃からずっと。
でも、それは時々、とてもつらく、悲しくなることです。
でも、私は、何度、つらく、悲しい思いをしても、やっぱり、いつも真剣に人の話を聞きます。
どうしても変わることができないのです。
でも、良いこともあります。
イエスさまが、「すべて終わった」と言えば、それをそのことばの通りに信じることができました。
イエスさまは完成された。
道はある。
私のための道は、イエスによって、イエスの御名と、尊い命がけの贖いによって、すでに、ある。
アーメン
★世の中には聞かない方が良いことや読まない方が良いことがたくさんあると気づいたのは、24年前、賢人がおなかにいる時でした。
以来、テレビのリモコンをを触らなくなったのに、今、再び、テレビを見ています。
大すきな番組はNHKの連続ミニドラマ「おちょやん」。(ミニというのも一回15分!でも、その1回も見る時間がもったいない人のために、5日分を土曜日に15分で見せてくれて、これが、かなりすっきりとさわやかな見心地な出来具合なのです)
時々、主人公の女の子が大声で、きっぱり、私が、言いたいこと、全部言ってくれて、すごくすっきりするのよね〜

今日の晩ご飯〜和風シーフードスパゲティときんぴらごぼう


父の出血はどうやら、おさまったよう。
神さまに心から感謝です。
土曜日なのに、勤務して、指示をくれた、お顔も知らないお医者さんにも感謝で胸がいっぱい。
気分が良くなった父は、ぱちっと目を覚まし、大切なことを思い出しかのように、大きな声で「まきさん、明日は買い物に行こう」ときっぱり。
「はい。行こう、行こう、行きましょう。」と私も元気にお返事。
テレビの前にゴロンと横になってしまうと、起き上がるのが大変になってきたので、小さめのリクライニングチェアが欲しいのだそうです。
うん、うん、それはいい。
ということで、明日は父のお供のお買い物です。
母は、考える課題よりも、やることの課題の方が好きなようで、私がお願いすると何でも喜んでやってくれます。
それで私は、母の尊厳とか考えて決める自由を守ろうとする意地を少しづつ手放し中。
手放すものの中でもかなり高度でハードなチャレンジだと思う。
私、根っからの幼稚園の先生なのよね、きっと。
具体的な指示ではなくて、目標の達成や、問題解決のために、真剣に考えたくなる動機を与えようとする習性があるのです。
でも、それは自己満足のための努力あって、神さまと母にとっては大きなありがた迷惑かもと反省。
方向を変える努力中。
 

Friday, January 29, 2021

本当に早い宅急便屋さんと今日の父と母


朝、佐川急便が電話屋さんからのアダプターが届きびっくり仰天。
早い!
さっそく古いのを外して繋いでみたらちゃんと電話が使えるようになりました。
佐川急便から届いたバックには古いアダプターを入れて送り返す袋とスリップがついていたので、さっそく電話をすると、同じ朝のうちに取りに来て全てが終わりました。
父の方は、血の混じった尿がたくさん出て、すごく心配になり、父は大丈夫と言ったけれど、病院に電話をしました、
熱がなければ、お水をたくさん飲んで安静にしていてという指示をもらってちょっと気分が良くなり、今日はずっと側で様子を見ています。
一緒にテレビを見て、座ったり、立ったりする時に手を貸すことぐらいしかできないけれど、側にいられてよかった。
こんなニュースは遠くでは絶対に聞きたくないナンバー1です。
母は、今日はスパゲティを作ってくれました。
私の大すきな和風シーフード。
ガーリックがたっぷり入っていて、おいしそうです。
明日の礼拝は休もうかな。
図書館に本を返して、新しいのを借りたいから行きたいけど(その動機がちょっと問題)、朝の父の顔を見てから決めます。

 

超高齢社会


ひさしぶりに、眠れぬ夜、心配事をかき集めて裏返して並べ、しんけんすいじゃくをするような夜をすごしました。
心細くて、不安で、寂しかったので、なんとか気を紛らわせようと思って、テレビをつけてみました。(このお部屋には、お兄ちゃんの置き土産のテレビがあるのです)
養老孟司という解剖学者(でもこのヒト、昔は大脳生理学者という肩書だった、ぜったい・・・)がまるという名の飼い猫と一緒に出てきて、色々とつぶやいていました。
養老孟司も猫のまるも、とても年を取っていた。
そしてその後は、フランスの「芸術家の家」という老人ホームのドキュメンタリー。
かつては才能や惜しまぬ努力や喜びに満ちた美しい土の器たちの孤独で悲しげな残照にフォーカスした、見事なフィルムだった。
13,4年前に製作されたオリジナルは、ね。(10才の女の子が出てきて、1997年生まれと言っていたから、おそらくそのくらい前に作られたのだと思う)
でも、現代の森公美子という人が出てきて、日本の老人ホームもこうなってほしいとか、建物や設備が美して素晴らしいとか、知的な創作活動ができて羨ましいとか、食事が美味しそうだとか、自由だとか、本当にとんちんかんちんなことをペラペラと喋りまくって、台無しにしていた。
そうじゃないんだけど。
人の最後は、いえ、人は最後まで、そういうものでは満足できないのだけどと思いながら、チャンネルをいじり、ヨーロッパの風景を電車で見ながら、いつのまにか眠りについていました。
日本はどこもかしこも、深夜のテレビの中でさえ、高齢者だらけです。
この前図書館から借りた本の中にこんな数字を見つけました。
高齢者が7~14%の社会を高齢化社会、14~21% で高齢社会、 21%こ超えると超高齢社会と呼び、国民の4人に1人が高齢者の日本は世界でまれにみるスピードでこの超高齢社会を迎えた国なのだそうです。

帆をひろげよ、追風をのがすな


パルサム樹の林の上から、
行進の音が聞こえたら、
そのとき、あなたは、攻め上れ。
2サムエル 5:24

「主にある友よ、あなたにも、“パルサムの木の上に行進の音が聞こえる」時がある。
あなたは祈りに特別の力を感じ、神の御霊があなたに喜びと楽しみを与え、聖書があなたの心をひき、約束が実現され、あなたが神の御顔の光の中を歩み、あなたの個人礼拝において特別の自由を感じ、キリストとの交わりがこれまでになく密接な時がある。
あなたの帆をひろげよ。
追風を見のがすようなことをするな。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
スポルジョン先生、私は、まさに、その行進の音を聞きました。
私は確かに聞いたのです。
だから、飛行機に乗ってここに帰って来ました。
全ての困難はモーセの前の紅海のように、ヨシュアの前のヨルダン川のように、右と、左に、分かれました。
神さまが分けてくださいました。
そして、今、帆を広げようとしています。
追い風がやってくるのがわかるから。
神が与える命に日を加えるのではなく、神の与える日に命をそそぐように生きることができますように。
父と母の時間という土の器を毎日、精一杯にいのちという神の贈り物で満たすように生きることができますように。

おやすみなさい

日本に来て以来、毎晩欠かさずにしていること
それは「おやすみなさい」のあいさつ
「今日もありがとう」、
「おつかれさまでした」、
「ゆっくり寝てね」、
「あたたかくしてね」、
「痛みがなくなるようにお祈りしているから」、
「朝までぐっすくりね」、
「明日は、雪らしいよ」、
お互いに色々いっぱい言い合います
絶対に後悔したくないから毎日をちゃんと終わらせるんだ・・・

本日もTAKEでした まる


今日も、めちゃめちゃチャレンジな1日でした。
父の治療に立ち合い、色々、難しくて、慣れるまで大変な試練に、めげそうだったけど、でも、父はもっと大変なのに私がめげてる場合ではないと、奮い立ち、なんとか、のりこえることができました。
今の父と私はふたりっきりのチーム。
だから、お互い支え合って、なんとか立っているしかないのです。
家の固定の電話の通話ができなくなってしまいました。
父に頼まれ、新しい電話機を買いに走り、設置したけれど、問題はそこではなく、電話会社のテクニカルサポーターと父の携帯電話で話しながら色んなテストをし、結局モデムのアダプターを交換することになりました。
新しいアダプターは宅急便で早急に送ってくれるそうです。
それでつないでもだめなら、技術者をよこしてくれるとのこと。
返品できない新品の電話も見つめて、ちょっと悲しくなりました。
アメリカだったら返せるのにな・・・。
でも、結局、今日も、たくさんの人たちに助けられ、無事に暮れようとしている。
GIVERになりたいのに、TAKEばかりしている私です・・・。
★写真は、出かけに、お部屋の小さな鏡に映して撮りました
マスクとくびかざり、見えるかな
このかわいさに、今日、1日、とても励まされました

Thursday, January 28, 2021

Sora Tori とHOMME BLUE CAFE

朝のデボーションのお供は Sora Tori さんのピアノ
そして、この頃、よく聴くのがこの「冬のしらべ」
昨日、由布院で「冬のしらべ」のマスクバージョンを見つけたので買いました
この20年以上ずっとファンの、手作り一点もののお店
帰国のたびに通っては、少しづつ買い集めてきました
昨日はネックレスを3つ、ブレスレットを4つ買いました
手前の大きな(と言っても横幅1.5センチほど)のハートのネックレスは
なんとお店からのプレゼント
お財布を置いてきてしまって、走って電話ボックスの前の石のベンチに戻り、
無事にお財布を手に戻ってきた私へのお祝い
一生の宝ものにしたいです

朝ごとに 1・29


私たちは、見えるものにではなく、
見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり、
見えないものはいつまでも続くからです。
1コリント 4:18

「信者の輝いた目は、死の川を横切り、悲しみの川を徒歩して、天の都の建てられている光の丘に達する。
天上の喜びは、地上のかなしみをつぐなって余りあるものである。
わたしの恐怖よ、退け。
この世は束の間である。まもなくそれを通過する。
うたがいよ、退け。
死は狭き流れにすぎぬ。
すぐにそれを横切るのだ。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
お医者さんに絶対に聞くまい、と心に決めていることがあります。
お医者さんにはわからないから。
父にもわからない。
だから、私は知らなくていい。
神さまが知っているからそれでいい。
この先、もし父が入院することになったら、そしたら、スポルジョンのこのメッセージを声に出して読んであげようと思って、「1、29」とメモしました。

ついに「あそこ」へ

電車のおさんぽ
秋の災害で線路が壊れていて不通な「あそこ」
代行バスを乗り継ぎ
ついに来た
由布院!
お財布を置き忘れたりして色々あったけど、
でも、色んな人とふれあえた良いお散歩
小さな遠足
1人旅
となりました
めでたし・めでたし

こんなことがありました

朝ぬき、昼ぬきの自分時間で小旅行
色々あったけど、全てよし、
あったかほかほかコロッケをかじりながら書いたテキスト
神さま、あるがとう
今日もとっても良い日でした まる

Wednesday, January 27, 2021

今日こそGiverに!


それは、すべての人を、
キリストにある成人として立たせるためです。
コロサイ 1:28

「あなたはキリストにあって全き者である。」今朝のスポルジョンのことば。
そして、毎日、並行して読んでいるジョエルさんのことばは、
Don't live a self-centered life.
Love is not love until you give it away.
Don't through life as a taker, become a giver.
キリストの弟子という意識のカケラもなく、いつまでももらわれてきたばかりの小さな養子のように、いただくばかりの私。
スポルジョンのことばもジョエルさんのことばも耳の痛むメッセージです。
昨日は、大分市役所へ。
書類に書きこぼれがあったようで、連絡があり、いつでもどうぞと数日前に言われていたので、がんばりました。
それから、12月の帰国早々に行ったクリニックに、国民健康保険証を持って、診察代の払い戻しを受け取りに行ってきました。
薬局に父のお使い、ガソリンの給油、そして最後に食材を買って帰りました。
どこに行っても、本当に、もらってばかりだった。
ガソリンスタンドでは、間違えてフルサービスという所に入ってしまったのだけど、間違えてよかった。
ガソリンの給油口の蓋の開くレバーの場所もわからず、「えっと、どこだっけ」と探していたら、ドアを開けて助けてくれた。
どこに行っても、何をしていても、「人の助けないことのない」Takerな私。
★写真はご近所さんにいただき、昨日、さっそく食べてみた湯豆腐セット
なんと、湯までがセットに入っていて、それは温泉の湯
ごちそうさまでした(っね、Taker でしょ・・・)

Tuesday, January 26, 2021

今日も一生懸命にがんばります


私たちは、みなこの方の満ち満ちた豊かさの中から、
恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
ヨハネ 1:16

「泉は不断に、自由に、豊富に湧き出ている。
主にある友よ、来れ。
来てあなたの欠乏を満たせ。
大いに求めるなら、大いに受けるだろう。」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
風の音を聴きながら、夜中に、何度か目が覚めました。
聴きながら眠り、聴きながら目覚め。
でも、この頃は、不安に襲われることなく、そのまま、すっと再び眠ることができるようになりました。
赤ちゃんを生んだことはありますか。
あるして、覚えていますか。
命のかけがえのなさとはかなさの間で、心配ばかりしていたあの頃。
「生きているかな」「熱はないかな」と、安らかに寝ている赤ちゃんを触って起こして泣かしてしまったりしたあの感じ。
でも、やがて赤ちゃんが3ヶ月を迎える頃にはおさまったマタニティブルー。
必ず、夜明けは来ます。
どんなに心配しても。
どんな夜明けを迎えるかは、夜の過ごし方にかかっている。
だから、今日も一生懸命に生きます。
全力で愛します。
 

Monday, January 25, 2021

父の約束


空の鳥を見なさい。
種蒔きもせず、刈り入れもせず、
倉に納めることもしません。
けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。
あなたがたは鳥よりも、すぐれたものではありませんか。
マタイ 6:26

「父、ここに名誉の愛がある。
子に対する父の愛はどんなに大きいことであろう。
友情からはできないことを、単なるあわれみからではできないことを、父の心と手は、その子供のためになしとげる。
父という言葉の奥には天がある。
そこには、私が求めることのできるすべてのものがある。」
今朝のスポルジョンのメッッセージを読んで、はっとします。
昨日の記事に、日本で出会った周囲の人の特別な親切を「あわれみによって」と書いたけれど、そうじゃないかもしれない。
神さまは人々の親切をもって、私をなんとか前にすすめてくれている。
それは、必要不可欠なサポート。
神さまが、私に出した条件。
天の父の約束。
そんな風に考えてみています。
少しづつだけど、ここで、自分のやるべきこと、やりたいことができるようになってきました。
どこかの地点で、神さまと契約を交わしたような気がするのです。
LA の家族や家やお庭、仕事、教会生活、その他の私の大切なものを一旦、明け渡すけど、ちゃんと私を日本に導いてね、じゃないと、私、できないからね、って。

電車のお散歩

今の私の、ひそかな楽しみ
電車で知らない駅で降りて、てくてくおさんぽ



近くても、遠くても、かなり楽しい大人の遊び

IN

Before
After




 

がんばるモード・ON!


毎日がやさしく、静かに、それでいて、濃く、過ぎてゆきます。
今日もとても良い日でした。
昨日から準備しておいた、分別済みのたくさんの燃えるゴミを出してすっきり。
朝のお散歩では、心ゆくまでぶつぶつとたっぷりお祈りすることができました。
おいしいお昼ご飯を親子3人で仲良く囲み、午後は、その日のメイン活動にぐぐっと集中。
なんと、今日は、ついに、開いてベッドの下に置いていたスーツケースの中身をクローゼットに収めました。
トランジットにたっぷり6週間かかりました。
黙ってじっと見守ってくれてたLAと東京と大分の姉妹たちのお祈りのサポートに心から感謝です。
そして、今日まで、不思議なほど、どこまでも、とことん親切で優しかったこの国の人々に心から感謝している。
教会の牧師家族から信徒のみなさん、ご近所さん、マーケットのキャッシャー、駅員さん、郵便局の人、Eメールに応えてくれた各地の役場の職員たち、ピアノ屋さん、地元の市役所の窓口の人、図書館の司書、そして大きな大学病院のお医者さんに至まで、本当に、みんなみんな、私がここでがんばる勇気がわくようにと、とことん親切だった。
全ての親切が神さまの私への憐みであったと信じています。
強くなるのが、もったいなくなごりおしいほどに、甘やかしてもらいました。

Sunday, January 24, 2021

あたまでっかち

毎日のように書いていました
書かないと減らないので
で、今日ついに水筒そのものに書いてしまった
どんどんなんでもありになる、壊れゆく私の美意識
毎日書いていたのに、何度書いても下が書ききれず、あたまでっかち

忘れられる悲しみ


私は、主の恵みと、主の奇しいみわざをほめ歌おう
主が私たちに報いてくださったすべての事について
そのあわれみと豊かな恵みによって報いてくださった
イスラエルの家への豊かないつくしみについて
イザヤ 63:9

「イエスが、あなたを助けられなかったことがあるだろうか。
神があなたのためになさったことを忘れるな。」
今朝のスポルジョンのことばです。
毎日、母のために、母の思い出のためにお祈りをしています。
生きる限り、最後の日まで、良い思い出を大切に楽しんでほしいから。
忘れられてしまうことの悲しさを知りました。
毎日、少しづつ、思い知っています。
昨日は、朝、母が食卓のテーブルにインスタント食品の麻婆豆腐の素を置いていたので、私は母がそれを食べたいのだと思い、ちょうど、お豆腐もひき肉もグリーンオニオンもあったのでランチに作りました。
ごはんも炊いて、私は、電車に乗って礼拝に行きました。
帰ってきて、「マーボー豆腐どうだった?おいしかった?」と聞いても、「えっと、だうだったかしら・・・」と困り顔。
3人分作ったのに、私の分は残っていません。
忘れられてしまう悲しみはイエスさまの悲しみの分け前だから、私は、気にしないようになりました。
でも、やっぱり悲しいです。
★写真はえりさんから届いたもの
この写真をぐぐっとクローズドアップして「でらもだ!」気づいてしまった私
はなとよく歩きました
また、いつか、必ず、行ける日が来ると信じています

ポキ・大成功

アボガドとオニオンスライスととグリーンオニオンを入れ、
味はいつものごま油とポン酢、そして大分のカボス
最後にわさびを、ちょんとのっけます
おいしく食べてもらえて大成功


図書館デビュー

ついにやってきました!



これが今日借りた本
神さま、ありがとう!

愛についての考察


日の出の頃には雨音が小さくなり、やがてやんだので、やっぱり電車で行きました。
電車が好きなのです。
「愛」がテーマの素晴らしいメッセージだった。
私たちの内に愛はないという事実は、物事を簡単にし、人生を楽にしてくれる、そう思いながら、牧師の話に聞き入りました。
キリストにつながっていなければならない。
それはつまり、キリストにつながってさえいればよい。
メッセージの最後の部分で、鍵となる聖霊の話になったので、私は、心を込めて、父と母に豊かなる聖霊の注ぎを与えてくださいとお祈りしました。
礼拝で祈り、帰る道々で歩きながら祈り、そして、お風呂につかって祈りました。
礼拝の後は、楽しみにしていた図書館で、しばらくの間、本に囲まれるという夢のような時をすごし、駅でお買い物をして帰りました。
ポキにうってつけてのおいしそうな半端なお刺身ミックスを見つけたので、2パック買って帰りました。

Saturday, January 23, 2021

雨の日曜日


主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、
あなたを救い出されるからである。
詩篇 90:3

「あなたを愛しておられる神は、あなたを捨て去られない。
神はあなたを受け入れ、喜びを与えられる。
それは神の砕かれた骨が喜ぶためである。
天国の鳥は、狩人の網にかかって死ぬことはない。」
スポルジョンのメッセージです。
雨は夜じゅう、降り続き、まだ降っています。
今年の最初の礼拝以外、いつも礼拝は1人で、電車に乗って行っています。
でも、今日は車の方がいいかな。
運転も少し慣れてきたし。
我が家からここの駅へも、大分駅から教会へも、結構歩くのです。
歩くのは大好きだけど、雨の中は大変。
傘さして、坂道だから、滑らないように、転ばないように。
そして、帰りはいつもお買い物した荷物があるし、今日はきっと本も借りるので・・・。
もう少し、様子をみてから決めます。
★写真は高校生の私
この頃の写真があまりありません
次回は中学生となります
みんなそうなのかもしれないけど、小さな頃の写真は一杯あるのにね

成分100%憐み



朝から、ずっと、しとしと雨の1日。
特に予定はなかったので、のんびりと片付けの続きをし、そして、午後は、ぶらっと本屋さんに行ってきました。
でも、何も買わなかった。
国民健康保険証が届いたら、それを身分証明にして図書館の閲覧カードを作ろうと思っているので、ぐっとがまん・・・・、そしたら、夕方、保険証が住民コードという番号と一緒に書留で’届きました!
とってもうれしいです。
教会のすぐ目の前が市民ホールで、その1階に大きな図書館もあるので、明日、さっそく行ってみようと思います。
私が、家以外で、一番好きな場所、それが図書館かもしれない。
日本語図書館。26年ぶり。わくわく・・・。どきどき・・・。
毎日が感謝なことだらけです。
私の日々の成分はほとんどが神さまの憐みです。
いえ、きっと100パーセント。

Friday, January 22, 2021

夜もだいじょうぶ・でも今じゃない


わたしはひとりの勇士に助け与え、
民の中から選ばれた者を高く上げた。
詩篇 89:19

「キリストが民の中から選ばれたのは、私たちの欠乏を知り、私たちに同情するためであった。
誘惑、苦痛、失望、優柔不断、怠惰、貧困 ー キリストはこれらすべてを知っておられる。
なぜならキリストはすべてを体験されたからである。
あなたの道がいかに困難で、苦痛に満ちたものであろうとも、その道の上には救主の足跡が記されている」
今朝のスポルジョンのメッセージです。
イエスさまは、すべてを体験された。
とても大切な事実です。
おとといの夜、東京のお友だちと電話でおしゃべりしていて、私が、「悪いことや怖いことはいつも夜に起こる気がして、毎晩、朝が待ち遠しい、毎晩、救急車を呼ぶ恐れと闘っている」というようなことを言ったら、「だいじょうぶ、それは『だいじょうぶ』になるまで起きないから」と言われ、なるほど〜、今まで、全部、そうだった!と心の中で拍手喝采。
そして、昨日、父の担当医に、「昼でも夜でも大分医大病院の5階の東病棟の僕です。まずは僕に連絡をください。」と言われ、友のことばが神のことばであったことを、思い知りました。
今は、救急車を呼ぶ恐怖はなくなりました。
そして、彼の見せてくれたレントゲン写真や言葉を通して、「それはまだ、今じゃない」と私の前を歩くイエスさまの声が聞こえた気もしています。

方針は「常に医大病院へ」


今日も、とてもとても良い日でした。
父の退院以来初めての検診にお供しました。
大学病院です。
大学病院だけど、車で10分もかからないところです。
なのに、8時すぎに家を出て、帰ってきたのは1時半ぐらいでした。
採血、検尿、レントゲン、そして、待って待って待って、(でも、空いているベッドがあったので、そこに案内され、父はお昼寝、私はイヤフォンでワーシップを聞きながら)ようやく診察。
がんばった甲斐あってとても良い気分です。
まず、父の担当の医師と直接会ってお話しできたこと。
たっぷりと時間を割いて、写真を見ながら丁寧にこれまでの経過を話してくれました。
幸い、膀胱の癌も、転移した肺の癌も、それほど大きくなっていなかったようです。
でも、膀胱の中にいつも残っている尿が増えているので、それはあまり良くなく、その治療についてふたつの提案がありました。
少し迷うような表情を見せた父に、医師は、「今すぐ決めんでもいいですよ、まだ、おしっこはそれほど悪くなっちょらんけんな」と大分の言葉で言い、2週間後にまた、行くことになりました。
最後に私は、一番気になっていた緊急の時のことについて質問しました。
アメリカでは緊急は911です。
家事も事故も911。
そして、救急車が自ら行く先を決めます。
私は、それが一番こわくて、日本の119番をダイヤルして、救急車が来て、どこか知らない所に搬送されて、そこで、父の病気についてきちんと説明できる準備をしておくことにとてもとても大きな不安と重荷がありました。
質問に対して、医師は「119番じゃなくて医大に電話してください」と言います。
私が、「昼夜、関わらずですか?」と言うと、「はい」と。
それで、「じゃ、例えば、出先で緊急事態が起こり、周囲によって119番された場合・・・」と言いかけると途中で優しく遮られ、「その時は、救急車で医大に来てください」と。
そうなんだ。
私は、医大病院の電話番号を常にすぐにわかるようにしておこうと思いました。
重荷がすっとなくなり、今夜は本当に良い気分です。
無知で幼稚な悩みだったかもしれないけど、私は、ずっとずっとず〜とそれが心配で怖かったのです。
だから、心からほっとしました。
★写真は、大学生の頃
演奏会の後の打ち上げの時の写真

Thursday, January 21, 2021

ありがとう、左側通行


人の子らよ、
ぶどうの木は森の木立ちの間にあって、
その枝が、ほかの木よりどれだけすぐれているのか。
エゼキエル 15:1

「神の助けにより、彼らは良き地に植えられ、実を結ぶに至ったのである。
主は彼らを聖所の囲いの中に生育させ、御栄のため実を結ばしめられた。
神の恵みがなかったなら、あなたがどんな者になっていたかを思え。
もしあなたに少しでも取りえがあるならば、あなたをそのようにしたのは恵みではないか。」
スポルジョンのメッセージです。
心からアーメンと思う、とても良い朝です。
このひと月の間、奮闘し続けてきたたくさんの課題が、昨日一度に実りました。
その実りは、私が努力してきた以上の、いえ、私が願っていた以上の素晴らしいものでした。
ピアノは誰にもつけられなかった良い値で引き取られ、大切に運び出されました。
苦労して得た大切な書類を握りしめるように、市役所の窓口に座ると、親切な職員によって、父と母の保険の邪魔にならないように、別の世帯にしましょうということになり、私は、晴れて無事に大分市民として同じ住所に登録されました。
やれやれと思う間もなく、「では9番の窓口に行って国民健康保険の手続きをしてください」と言われ、それが終わると、「ではお隣の窓口で国民年金に加入してください」とうながされ、言われるがままに従い、親切な確認の中で書類に記入し、全てが終わりました。
帰りは車の中で、賛美歌を聴きながら、「ありがとう、ありがとう、左側通行、ありがとう、ありがとう、左側通行」と左側通行に感謝してるのではないけど、感動でぼおっとして右側に入らないように気をつけながら、神さまに感謝しました。

やったあ!

無事に転入、できました!

 

ピアノの引越し

ピアノ引越し中





ありがとう
これからも、いっぱいいい音を出してね
グッド・ラック