Wednesday, October 31, 2018

はっぴー・はろうぃん!

★祈ったとおりの、いえ、それ以上に良い秋の1日となりました。
良いお天気、そして良い交わり、私にとってこれ以上は望めないほどに良い日だった。
私の今日という日をこんな風にお造りになった神さまに、感謝で胸が一杯です。
「主は良いお方」、と、私たちクリスチャンは合言葉のように互いの顔を見るなり言い合っているけれど、その本当の意味を肌で感じた嬉しい1日だった。
★プールで祈りながら泳いで息を荒げ、ジャグジーではあ〜と落ち着きを取り戻し、スチームサウナでじっと静まり、シャワーでようやく完全に身体と心が結ばれ、あの世とこの世、天と地の両方の住人をこの身に住まわせる者の分裂状態が一つにまとまる時に与えられるインスピレーションって本当にすごい。
この身体は主の宮だけど、でも、私の魂の住処でもあるわけです。
そう考えたこと、ありますか?
あってもなくても、事実そうなのです。
主は、私たちの思いを殺してこの身を占拠することを願っているわけではない。
私と一緒に、この身に住まわってくださる。
それが、私の神さま。
義の扉は必ずある。必ず開く。
私、それ保証できます。
主の御名によって。
アーメン!

詩篇 118篇

義の門よ。私のために開け。
私はそこから入り、主に感謝しよう。
これこそ主の門。
正しい者たちはこれより入る。
詩篇 119:19,20
塀は乗り越えちゃだめ。
どんなに簡単でも。
どんなにその方が近くで便利でも。
塀を乗り越えるのは、泥棒さん。
必ず、義の門が必ず私のために開くから、待っていよう。
いつだって開いてきたから。
塀は超えない。
穴も掘らない。(!)
そして、24節、
「これは、主が設けられた日である。
この日を楽しみ喜ぼう。」
そう!今日は遠足だった!!!

Tuesday, October 30, 2018

今日の晩ご飯〜夫の卵焼き

お味噌汁も夫作
ご飯を炊いたのも夫



詩篇 116篇

私のたましいよ。
おまえの全きいこいに戻れ。
主はおまえに、良くしてくださったからだ。
まことに、あなたは私のたましいを死から、
私の目を涙から、
私の足をつまづきから、救い出されました。
私は、生ける者の地で、主の御前を歩き進もう。
詩篇 117:7,8
「私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ」と、私も、今朝、自分のたましいに言いながら、プールに向かおう。
主が良くしてくださった数々の恵みを数えながら泳ごう。
主は私に、たくさんの恵みを用意して、この新しい日を開いてくださった。
だから、今日もこの、生けるものの地で、主が遣わしてくださるその場所で、主の御前を歩き進もう。
顔を上げて。
主に顔を上げて。
どこにいても、なにをしていても、私のたましいはキリストの名によって自由だから。
それが聖書にある事実だから。

Monday, October 29, 2018

こわかわい

昨日、ジュニアカンパニーの仲間たちと
サンペドロダウンタウンのイベントに
くるみ割り人形のフライヤーを配りに行きました
さて、どれがはなでしょう
タイツに黒いスニーカーが可愛い

不思議なプレッシャー

家に着いても、なんだか家の中に入る気になれず、ずっと庭仕事をしていました。
仕事着のまま、バッグもバックドアの脇に置いて、せっせせっせと枯葉を摘み、枯葉を集めました。
古いガーデンチェアも思い切って捨てました。
寒くなって、真っ暗になって、何にも見えなくなって、やっと家の中に入りました。
家の中は誰もいなけど、最初に帰った人が寂しくないようにいつも着けている床に置いている日本のランタンを見て、11月の賛美奉仕を休まなくて良かったと思った。
価値基準の変換の下手さをなぐさめられるための変わらぬ価値基準の仕事がぜひ共必要だった。
★ランタンはエリさんの置き土産。
今では、なくてはならない我が家のお帰りライト。
裏のドアから入る人の灯火


詩篇 108篇

神よ。
私の心はゆるぎません。
私は歌い、私のたましいもまた、ほめ歌を歌いましょう。
詩篇 109:1
昨日の礼拝で、賛美チームの奉仕者アレンジ係の淳子さんに、11月の奉仕はお休みさせて
もらうというとてもとても伝えにくいお話をしようとして、結局、その話は口に出さず、来月は2回、奉仕することにして帰ってきました。
ハッピー・ディールです。
12月に、幼稚園で賛美歌のピアノ伴奏をすることになっていて、その準備と伴奏作り録音という仕事が結構な量あるので、さすがに、ちょっと控えようかなっと思ったのだけど、聖霊が私の心を変えてくれました、あ、じゃなくて整えてくれました。
子どもに賛美歌を教えるのは、私ではないので、教える先生方との綿密な打ち合わせが必要なとても神経を使う大切な仕事です。
でも、いえ、だからこそ、教会での賛美奉仕を休むまいっとギリギリ土壇場で思いを変えました。
とはいえ、どうなることやら。
あはは(笑い事ではないんだけどね)。

Sunday, October 28, 2018

詩篇 107篇

主は荒野を水のある沢に、
砂漠の地を水のわき上がる所に変え、
そこに飢えた者を住まわせる。
彼らは住むべきまちを堅く建て、
畑に種をまき、ぶどう畑を作り、
豊かな実りを得る。
詩篇 107:33~36
川が荒野になり、水のわき上がる所が渇き、肥沃な地を不毛に変えられた時、天を仰ぎ見て、「主よ」と叫ぶなら、それも祝福。
でも、もし、渇きの理由を探して内側を見つめるなら、きっと、荒野を沢に変えられる主は働かれないと思う。
その「内側」で輝く希望となりたい。
あれもこれも主の聖なる光で包んでいただくための、主の目印になりたい。
★記事の内容にふさわしくない写真をお許しください。
昨日、はなが作ったかぼちゃのランタンです



Saturday, October 27, 2018

短い週末

運動会で半日出勤
あれこれ反省会してやっと始まった短い週末
まずは、はなといつものあそこでいつものあれ飲んで乾杯
短くても平気
量より質
きちんと、りら〜っくす


詩篇 105篇

主に歌え。
主にほめ歌を歌え。
そのすべての奇しいみわざに思いを潜めよ。
主の聖なる名を誇りとせよ。
主を慕い求める者の心を喜ばせよ。
主とその御力を尋ねもとめよ。
絶えず御顔を慕い求めよ。
詩篇 105:2~4
主の奇しいみわざだらけの私の人生、私の日々。

主の奇しきみわざを、それが起こるように、もしかして誰かが祈っていると考えてみたことはありますか?
私は、今、考えてみています。



Friday, October 26, 2018

ビデオ観て寝よ

すっごいすっごい、いろんなことがあり、頭も心もパンパンの金曜日の夜です。
誰かと喋って空気抜きたいけど、日頃の行い悪すぎて友だちいないから、ビデオ観て寝よ。
Netflixばんざい。

詩篇 104篇

主は季節のために月を造られました。
太陽はその沈むところを知っています。
あなたがやみを定められると、夜になります。
夜にはあらゆり獣が動きます。
若い獅子はおのれのえじきのためにほえたけり、
神におのれの食物を求めます。
日が上ると彼らは退いて、
自分のねぐらに横になります。
人はおのれの仕事に出て行き、
夕暮れまでその働きにつきます。
詩篇 104:20~23
神さまのいつもの静かな秩序の中で迎える新しい朝です。
昨日はなんだか心身ともにぐったりと疲れ、おかげでいつもの125%ぐらい集中して眠ることができました。
3秒もかからず眠りに落ち、深く深く眠りそして、起きたらたくさん眠って大満足な土曜日の朝みたいのような爽快さです。
私が深く眠っている間に何か大事件が起きることもなく、世界がいつも通り、静かでやさしいことがうれしい朝です。
お天気が自分で選べないことは4歳の人たちも知っている。
だから、「静かでやさしい」がうれしい。
これが神さまの恵み。
突風、つむじ風、嵐、なんでもお造りになれる神さまが、毎朝私にくださる「静かでやさしい」が、今朝は、心からうれしい。
★写真は昨日のジャズのクラス
グループに分かれて創作したのを発表しているところ


Thursday, October 25, 2018

詩篇 103篇

わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、
あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちの穴から贖い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
詩篇 103:1~5
今朝、このダビデの詩に心からアーメンと言います。
忙しいという言葉を一生懸命に避けて生きているけれど、でも、もしその言葉を使って、文章を作れと神さまに言われたら、(絶対そんなこと言われないと思うけど)恵みを数えるのに忙しい人になりたい。
たとえ、つまづくようなことがあっても、つまづきながらも、恵みを数え続け、転んだその先で、かわいいタンポポのような恵みを見つけ、綿毛をふう〜ってしながら、立ち上がるような人になりたい。
心を亡くすと書いて忙しいでしょ、だったら、私、ただ恵みを数えるのに心を亡くす人になりたい。
★苦し紛れの夕べのディナー
でもなかなかいけたので、ちょっとご説明
右上のご飯とドライカレーとサラダをさっくりさっくり混ぜて食べます
カレーをチリ系で辛目に作り、サラダはサワークリームベース
タコボールのカレー版を目指してみて、うまくいった!


Wednesday, October 24, 2018

うっしっしな水曜日

今日は、ピアノの自宅レッスンがひとつキャンセルになったので、明日のタスクだった掃除機とモップがけを済ませてしまいました。
だから、とってもいい気分。
あった!
よかった・・・
ちなみに水曜日の今日の家事は水回りってことで、今朝、トイレのお掃除をし、亀と魚の水槽の水を交換しました。
木曜日の家事は木をイメージして、床の掃除と家具磨きなのです。
毎週、毎日、全てはできないから、ちょこっとちょことです。
例えば、火曜日は火の回りや電化製品を掃除する日。
オーブンを磨いたり、冷蔵庫の中の掃除をしたり、マイクロウェーブをきれいにしたり、炊飯器の中と外を乾拭きしたり、何かひとつだけ。
何しろ、お弁当を作った後でセットするエスプレッソマシーンがごぼごぼいうまでのほんの数分の家事時間だから。
私のピアノレッスンはひとつ30分なので、ひとつがキャンセルになるだけですごい量の家事ができちゃうというわけですよ。
キッチンとリビングルームと私たちのベッドルームの掃除機とモップがけが一度に終わってしまいました。
うっしっし。
気になるやり残しをまとめでザザ〜と流す土曜日が運動会で出勤だけど、これで心おきなく仕事できるわん。


詩篇 101篇

私は、全き道に心を留めます。
いつ、あなたは私のところに来てくださいますか。
私は、正しい心で、自分の家を歩みます。
私の目の前に卑しいことをおきません。
私は曲がったわざを憎みます。
それは私にまといつきません。
詩篇 101:2~4
そう宣言することで、自分を励ましているかのような、ダビデの歌。
その気もち、とってもよくわかります。
悪は、高ぶりは、誘惑は、不安は、小さな小さな隙間を見つけてするりと心の中に忍び込み、そして、にわかに足場を確保するとどんどん居場所を広げ、いつしか、心を丸ごと占拠してしまいます。
最近思うこと。
調子に乗ってはいけない。
私は、全く主のものだなんて、安心してはいけない。
ここは天国じゃないから、それはそんなに簡単なことじゃない。
私たちは、まだまだプロセスにいる。
ダビデもこの歌の中で歌っている。
「いつ、あなたは私のところに来てくださいますか」
ダビデにわからなかったことが、私にわかるわけないし。
この頃の、私と聖霊の合言葉、「調子にのるな」「まだまだプロセス」
あっちこっちに書いて貼っときたいわ。
★水筒を幼稚園に置いてきてしまい、賢人のを黙って拝借。
でもなんだか、調子でない。
あの私の水筒が私のセキュリティーになっていたとは・・・。


Tuesday, October 23, 2018

詩篇 94篇

まことに、主は、ご自分の民を見放さず、
ご自分のものである民を、お見捨てになりません。
さばきは再び義に戻り、
心の直ぐな人はみな、これに従うでしょう。
詩篇 94: 14&15
18節、もしも私が、「私の足はよろけています」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。
私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばせてくださいますように。
主の恵みにささえられ、主の慰めに喜ぶとは、まさに、この週末の私でした。
全く、良いタイミングで賢人が帰ってきてくれたものだわ、と思いそうになったけれど、それも、神さまの私への憐れみです。
だって、特に用事があったわけでも何でもないのだもの。
ただ3度3度の食事を一緒にして、お買い物に行っただけだから。
この家を、私の日本の家のようにしたいです。
いつもそこにあって、いつも私を迎えてくれる。
いつも温かくて、いつもやさしい。
いつもわかってくれて、いつも慰めてくれる。
いつも愛され、いつも愛している場所。
地上の砦。


Monday, October 22, 2018

2:1

賢人の一ヶ月ぶりの帰省中、私は合計10合のごはんを炊きました。
それは、夫とはなと私の3人暮らしの一週間分以上の量。
でも、すっかりきれいに平らげられた。
昨夜は、ポキ・ボウルを作ったら、戦いみたいな食べっぷりで、ああ、こうだったこうだった、と思い出しました。
それで、戦いにならないようにたっぷりめに作る習慣がついてしまったのです。
そして、再び、ノーマルな3人暮らし・・・。
比率として、(賢人がいる日といない日の比率ね)4対3ではなく、2対1な感じであることがつかめてきました。
賢人が二人分を食べ、はなは半分夫も半分そして私が1
4:2=2:1
今度は感謝祭のお休みに帰るって言うからちょうどひと月後ということになります。
山のようにお買い物をして、持たせました。
しっかり食べて、しっかり楽しんでちょうだいな。
★あの子ったら、一ヶ月前に私がアーバインであの子の食材を買う時に使った布袋を大切に使っていて、今回もそれ持参で帰ってきたの・・・。
涙出そうだった。
ジップロックバックも割り箸も決して捨てずに洗って使う子なのです。
全部私の真似。
そんな事、教えた事ないもん。

詩篇 90篇

いと高き方の隠れ場に住む者は、
全能者の陰に宿る。
私は主に申し上げよう。
「わが避け所、わがとりで、
私の信頼するわが神」と。
詩篇 91:1&2
千人が、あなたのかたわらに、万人があなたの右手に倒れても、それはあなたに近かない。(7節)
わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。
まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。(10節)
それはあなたが私の避けどころである主を、いと高き方を、あなたの住まいと下からである。(9節)
昨夜のアーバインに戻って行った、賢人に、今朝の私はこのみ言葉を送りたい。
賢人のアーバインでの毎週の礼拝は、ライドのミニストリーの人のおかげで守ることができています。
サウスベイの教会であの子のために祈ってくれている兄弟たち、そして、このミニストリーで働く若者達に感謝で一杯です。
あの子は、サムエルが宮に捧げられ、宮で育ったように、教会で育ち、教会で生きる子なのだと、静かに実感しています。
車には、一台3人の学生が乗り、ライドは数台あるようです。
神さまのネットワークシステムの完璧さを褒め称えずにはいられない。


Sunday, October 21, 2018

私の子

賢人は学校もあれこれ忙しいけれど、クラブ活動が楽しくて充実しているって言っている。
フィルムのクラブ、ライティングのクラブ、そのクラブの中に小さなグループがあって、そのグループでの活動がとても楽しいのだそうです。
キャンパスに住んでいるって、学校での1日がとても長く、あれこれ盛りだくさんなのだろうな。
今は、まだアルバイト探しも始めていない、サンペドロでの仕事も完全には辞めてはいなくて、長い休みのたびにそこで働くつもりと言っています。
まさか、今日もあそこにバイトに行くつもり?っと叫びそうになったけれど、まあ、そういうこともあるという心づもりができました。
あの子は、夢に向かってコツコツと小さなピースを積み始めました。
帰省中、私が大好きなルパン3世を日本語で観ていました。
「カリオストロの城」
クールな泥棒のお話。
ありとあらゆるものを盗みまくったルパンがこの映画で盗むのは女の子の心。
私、あの子のセンスの中に自分がいるってすごく思う。
がんばれ、賢人。
日本人の心を盗む、福音の映画を書いて。

こましゃくれまくり2


Before & After

髪を切りました
こちら、Before
 こちら、After
やっと普通の真面目な中学生になれた感じ
超ロングの頃は、なんだったのだろう
そうだ、ヤンキー・ねーちゃんだ!


今日のランチ〜天ぷらとそば

今週末は、朝、昼、晩、朝、昼、晩
全ておうちごはん。
ToGoや外食の大好きな賢人が
珍しくあまりのってこなかったので。
こんなのでも、
あの子にとっては家庭の味なのかな・・・。

今日の朝ごはん〜抹茶とあったかサンド





戦闘ずき

賢人が、私のラップトップに、Netflix なるものを開けるようにしてくれました。
夫も賢人もはなも、そこから観ることができる映画やテレビをそれぞれ色んなディバイスを使って、満喫しまくっていたけど、私は電子機器のいらないリラックスが好きだから知らん顔して、毎朝せっせとプールに通い、そして夜は紙でできた本を開いていました。
昨日、テレビで映画の一覧をくるくる動かすはなの横で、懐かしいYnng Gunを見つけてしまい、「それ観たい!」とはなに観せてもらいました。
大満足で、テレビの使用権をはなに戻そうとしたら、賢人が、「母さんのノートでも観られるようにしておく?」と聞いてくれたので思わず、「イエス!」と言ってしまった。
ああ、そして、その後、部屋にこもって、観る観る観まくる。
戦いものあれこれ。
西部劇、チャンバラ、ジャッキーチェーン、Troy(興奮のあまり、カテゴリーの品目名がぐちゃぐちゃ、つまり古今東西南北の戦いもの)
幼稚園では、「バンバンしません!」「戦いません!」「長い棒、拾いません!」「そのおてていけません!(ガンの手)」って散々言っておきながら、聖書開いてダビデを応援しているかのごとく、拳を握りしめて一緒に戦ってしまいました。

詩篇 86章

主よ。
あなたの道を私に教えてください。
私はあなたの真理のうちを歩みます。
私の心を一つにしてください。
御名を恐れるように。
詩篇 86:11
もし、毎朝、たった一つのことしか、祈れないとしたら・・・、主によって、祈りを3秒にまとめよと命令されたら、私はこの祈りを祈りたい。
不安は、やっていることと、やるべきことがちぐはぐなときにやってくる気もち。
そして心配は、神さまへの信頼が小さくなったときにやってくる気もち。
神さまが私たちをそのように、そう感じることができるように造ってくださったと思う。
共に、神さまがくださった大切な気もちだから、そんな気分の自分にがっかりせずに、「私の心を一つにしてください」と祈りたいです。
私、本当にこの人生が好き。家族が好き。教会が好き。幼稚園が好き。神さまが大すき。
「恵みとまことは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。
まことは地から生えいで、義は天から見おろしています。
まことに、主は良いものを下さるので、私たちの国はその産物を生じます。
義は、主の御前に先立って行き、主の足跡を道とします。」85:10~13
アーメン


Saturday, October 20, 2018

こましゃくれまくり


こ、こわい



だ、だれ



帰ってきました




一ヶ月ぶり

詩篇 85篇

まことに、あなたの大庭にいる1日は
千日にまさります。
私は悪の天幕に住むよりは
むしろ神の宮の門口に立ちたいです。
詩篇 85:10
詩篇をたっぷり10篇読みました。
音楽を聴くみたいに。
74篇も大すきだった。
「昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。
あなたは月と太陽とを備えられました。
あなたは地のすべての境を定め、夏と冬とを造られました。
主よ。どうか、心にとめてください。
敵がそしり、愚かな民が御名を侮っていることを。
あなたの山鳩のいのちを獣に引き渡さないでください。」
詩篇は、私に、人が霊であることを、くり返し、くり返し、思い起こさせてくれます。
人に肉がなければ良いのに、とは思いません。
だって、人生は楽しいもの。
主がくださる良いもので満ちている。
おいしい野菜や果物を食べることができるのは身体のおかげ。
走ること、跳ぶこと、泳ぐことができるのも身体のおかげ。
音楽を聴くこと、本を読むこと、耳がなくっちゃ、目がなくっちゃ、できない楽しみ。
でも、人は身体以上の存在であることを、詩篇は私に歌い続けてくれる。
私を主の喜びから引き離そうとするものは、現実的な実体のある霊以外の何者でもないから、私の、それに打ち勝とうという努力も志も、意思さえその前には何の役にも立たません。
ただ、「キリストは勝利された」という世界で一番ありがたく単純な事実を思い起こすしかないのです。
ゆえに・・・、心を治める必要すらなし。
なぜなら、その心だって、主のものであるはずだから。
だって、人生は楽しいことでいっぱいだもの。
主がくださった良いもので満ちている。
闘いはすでにキリストが勝利してくださっているのだから、主がこの手の平にのせてくださった良いものを主のために大切になせばいい。
★賢人は映画に、はなはバレエに出会った、それはとても「この世界的世界」だけど、でも、私はふたりをとても幸せな子たちだと思う。
神さまからの贈り物だと思う。





Friday, October 19, 2018

恵みの秋

色んなことがあったけれど、主は、いつも、どの瞬間にも、共にいてくださった。
主は、私の一週間の全てを知っている。
私の失望も私の希望も、私の悲しみも私の喜びも、私のエラーも私のヒットも。
だから、ハッピー・フライデー・ナイトです。
たとえ、がっかりすることがあったとしても、そのおかげでより良い方向を目指す気もちが盛り上がるから、だから、それも恵み。
全てを益にしてくださるっていう神さまのお約束は本当です。





詩篇 73篇

私の心が苦しみ、
私の内なる思いが突き刺された時、
私は、愚かで、わきまえもなく、
あなたの前で獣のようでした。
しかし私は絶えずあなたとともにいました。
あなたは私の右の手をしっかりとつかまえられました。
詩篇 73:21~23
ほかに何もなくなったとしても、神さまからしっかりとつかまえられているという安心感さえあれば、人は必ず、再び立ち上がり、歩き始めることができると思う。
今朝も、まだ、天才の「ふなまち唄」が心の中に響いている。

Thursday, October 18, 2018

矢野顕子のふなまち唄な夜

どよんと終わったから、
晴れ晴れしたくて
矢野顕子
しかもふなまち唄
うまいな、ピアノ
歌も
すごい、この人やっぱ、天才だ

詩篇 71篇

私の住まいの岩となり、
強いとりでとなって、私を救ってください。
あなたこそ私の巌、私のとりでです。
詩篇 71:3
今はどんな時期なのだろうと、考えてみています。
畑作りとか種まきとか草むしりとか害虫とりとか刈り込みとか。
あるいは、おすわりとかハイハイとかよちよち歩きとか離乳食とか。
そういうことを考えるの初めてだけど、これは年を取ったら証拠ね、きっと。
どの辺にいるのかな、ゴールはどこだろう、何を目指せば良いのだろうなんて、若い人はあまり考えないでしょ、私も、つい2,3ヶ月前までは考えもしなかったもの。
果てしなく、長い道のりが、まだまだ自分の前に続いていると思っている時はその日、その週、その月、その季節、せいぜい、一年ぐらいのことで頭がパンパンだし、それ以上のことは知りたくもなかった。
今朝、賛美チームの姉妹の一人から、ご主人のお母さんが危篤で、夜中の飛行機に飛び乗りましたというEメールが届いていました。
私たちの人生のステージは、まっすぐにどんどん成長してゆくというプロセスから、少し違う小道(大路かもしれないけれど)に複雑に入り込もうとしている気がします。
主よ、私の住まいの岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください。
あなたこそ私の巌、私のとりでです。
アーメン

Wednesday, October 17, 2018

不義ってなんだろう

今朝の記事の続きの話。
でも、「心の不義」って一体なんだろう。
今朝書いたことを実行しようと、プールを出る時に、せめて、シャワーを終えるまで、この状態、つまりかなり盲目的に一途な私、でいられますように、と一言祈り足した、次の瞬間、「まだまだプロセスだから、今をこれ以上にややこしくするような意見や希望は言わないように、今日一日、心と口を主にガードしてもらおう」と気楽に思った、その思いを、私は、「不義あり!」と反応しそうになりました。
ん?ちょと、待てよ・・・。
そうゆう、祈った後に次々と心に浮かんでしまう思いって、本当に不義なのかな。
神さまの応答って可能性ないかな。
ある気がする。
すごくする。
ぷんぷんする。

詩篇 66篇

私は、この口で神に呼ばわり、
この舌であがめた。
もしも私の心にいだく不義があるなら、
主は聞き入れてくださらない。
しかし、確かに、神は聞き入れ、
私の祈りの声を心に留められた。
ほむべきかな。神。
神は、私の祈りを退けず、
御恵みを私から取り去らなかった。
詩篇 66:17~19
丸一日、全く、心に不義を抱かないという経験をしたことがあるでしょうか。
「ある」という人の本を読んだことがあります。
確か、名前はブラザー・ローレンス。主の宮で働くカソリックの司祭さんでした。
彼のチャレンジは、少しづつ記録を伸ばしてゆく方法で達成されました。
私、とり合えず、朝、起きて、お弁当を作って、ちょっと家事をして、プールに行って、約1000を泳いで、ジャグジーで温まるぐらいまでの時間は、おおむね大丈夫。
でも、その後、スチームでぼんやりとなっているあたりから、いろんな迷いが心に忍びこみ、自分を守る方法をあれこれ思い巡らしたり、時間の節約法や切り捨てる部分を探し始め、シャワーを浴びる頃には、いろんな悪知恵が私の心を占拠し始めます。
それでも、心に不義がなかった瞬間の祈りは、届いていると信じている。
私、自分でもとてもずうずうしいと思うけど、「神は、御恵みを私から取り去らないかった。」そうきっぱりと信じます。アーメン
でも、今朝は、このみことばを握り、ブラザー・ローレンスに習って、せめて、シャワーを終えるところまで、心を聖霊を満たしておこう。
★生活必需品がミニマムだったので、賢人に色々ひとつづつ貸してあげたら、不便になったと思いそうになった話の続きです。
そのことによって生まれたスペースを恵みと考えることにして、大きすぎて、洗濯室の片隅に置いていた大鍋を私のお鍋キャビネットに入れてあげました。
鋳物だから、これからの季節、蟹を蒸したり、チキンを丸ごと茹でたり、カレーやスープを8人分ぐらい作りたい時にどの鍋で作るよりもおいしくできて、大活躍の鍋です。

Tuesday, October 16, 2018

小さな信仰者

どんなに祈っても
わからないことってある
この世界の
良い悪い
好き嫌い
やりたいやりたくない
正しい間違っている
好ましい好ましくない
ウケるウケない
その基準
聖書がカバーしていないこの世の基準
わかりたい誘惑
わかりたくない弱さ

詩篇 65篇

幸いなことよ。
あなたが選び、近寄せられた人、
あなたの大庭に住むその人は。
私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の
良いもので満ち足りるでしょう。
詩篇 65:4
私も、自分で、自分のこと、神さまに近寄せられた幸いな人と思っているおめでたい人です。
そして、主の大庭に住んでいると信じているずうずうしさ。
幻想かもしれないけど、何ひとつ良いものに欠けたものがなく満ちたりている気がしています。
昨日、賢人がアーバインに引っ越して以来、一度も洗ったことのなかった車をやっとの思いで洗いに行きました。
閉店寸前のカー・ウォシュに滑り込み。
小さな枯葉や鳥の糞がこびりつき、そこに泥と埃が、層をなしていて、駐車場で、車に近づくのが恥ずかしいほどでした。
運転中はどれほど汚いか見えないから平気だけど、それでも、フロントガラスを始め、全てのガラスの汚れは、危険な状態をとうに超え、いちいちワイパーでゴミを寄せなければ発車できず、いちいち窓を開けなれば左折も右折もできないほどだったのです。
6ドルを払って、洗車機に車を入れ、フロントガラスの泥が洗い流される様子にうっとりし、ブロウされながら、心からしみじみ幸せと思った。
ホースや石鹸やブラシを持つことなく、足元や服やびしょびしょにすることなく、車がきれいになりました。
フロントガラス越しに見る世界は本当にきれいだった。
神さまのお造りになった世界。
★賢人がいなくなって、不便だと勘違いしているかもしれないことは、もうひとつあって、それは、私の生活必需品がかなりミニマムだったので、あの子に、鍋をひとつ、爪切りをひとつ、と持たせた結果、色々足りない気がする不信仰者な私。
昨日、夫が自分用に爪切りを買っていた・・・。




Monday, October 15, 2018

てんこもりもり、でもニュートラル

ふう〜。やれやれ。てんこもりもりな月曜日がようやく終わりそうです。
長い1日でした。
でもやりたかったこととやらなくちゃいけなかったことが、大体片付きとっても良い気分です。
いろんなチャレンジがあるけれど、今一番難しいのは、大人の気もちの流れをわかること。
わかってもニュートラルを保つこと。
聖霊さまとの合言葉は「まだまだプロセス」、そして「調子にのるな」。
バイブとかムードとかには一切おつきあいしない主義をつらぬかなくちゃ、ニュートラルは保てないないんだな・・・。
はあ〜、がんばろ。
★写真は先週末末買った有田焼のお茶碗。
一個なんと1ドル。
4個買いました。
賢人は、今週末、帰ってくるそうです。

詩篇 63篇

私は、あなたの力と栄光を見るために、
こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。
あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、
私のくちびるは、あなたを賛美します。
詩篇 63:2&3
昨日のメッセージで、「人は人を変えることはできない、でも神にはできる。私たちはただ、証すればよい。神が自分に何をしてくれたかを、語ればよい。後は神の仕事だ。」ということばがありました。
『おはようスポルジョン』がたくさんの人に読まれていることを思い出して、神さまに感謝しました。
そして、もっともっと読まれるように、神さまに用いられるように、心から願いました。
私の願いが私の祈りとなり、私の祈りが聖霊の祈りとなり、聖霊の祈りがキリストにとりなされ、天の父なる神に届きますように。
私には、それ以上に大切なことはありません。
詩篇の作者が、「あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ」と歌うのに、自分の恵みを一人で喜ぶことをできるでしょうか。
いつも、文章が私の中にあります。
いつも、文章が私からこぼれそうです。
キリストについて、聖霊について、天の父なる神について、ほんの少ししか知らないのに、こんなに溢れています。

Sunday, October 14, 2018

証人の装束

たった今、ダラスのえりさんから、ドレスではなく、制服っぽいものを探すようにとテキストが届いた。
なるほど〜。
「清楚」のイメージから解き放たれ、やっと探すものがわかってきた。
「忠実」のイメージね。
はいはい、これこれ。
そうだったんだ〜!
証人だもんね。
教会の救いの証じゃないんだもん。
憧れてもらう必要なし。
信じてもらえればそれでいい。
だっから似合わなかったのね〜。
だったら、近所のターゲットにあるわ。
あの子に似合うもの。わんさか。