Tuesday, October 29, 2013

Trick or Treat !

ぱらぱらマンガのようにあっというまにめくられまくる私の毎日。
でも今日は、一瞬だけスローモーションのように(なんという矛盾したバカっぽい表現)ばっちり、じっくり、ほんわか、濃厚にいろんなことを感じて幸せだった。
幼稚園のお庭で、秋の空の下、少し西に傾きかけたおひさまを浴びながら、おなかをかかえて笑った。
変身した子どもたちと、子どもたちの成長を喜ぶママたちと共に。
そして私もママたちに負けないくらいうれしかった。
勇気を出して大きな声で英語言って、ひとつひとつ受け取ったかけがえのないプレゼント。
魔法の言葉は「Trick or Treat!」
受け取ったプレゼントは「だいじょうぶ、そのまんまのあなたが大好き!」
私は、いつもママたちからたくさんのことを教えられる。
むかしむかし、ピアノの先生だった頃、ママたちはみんな私よりも年上だった。
そして、たくさんのことを教てくれた。
今、ママたちはみんな年下。
でも、たくさんのことを教えてもらっている。

Sunday, October 27, 2013

私の選択

おはよう。
どんな週末をおすごしですか?
私は、スー・オーガスティンの言葉のことを心の中でずっと思っています。
『埋もれている夢を掘り出す21日間』の読書日記もいよいよ真ん中までやってきました。
そして、ひとりでさらっと読んだだけでは、読み取れなかったたくさんの大切なことを学び直しています。
じっくりと読み進めながらながら、何度も何度もジョエル・オースティンの言葉がリアルに甦ってくるようでした。(本は数年前に兄にあげて、今は手元にありません。なんとかもう一度手に入れようと努力しましたが、廃盤になってしまっていて、後は古本を探すほかないのです。)
それは確かこんな言葉。
―想像できないこと、心に描けないことは、絶対に現実にならない
―人が手に入れるものの大きさは、その人の期待の大きさに比例する
―できないことではなく、できることを語る
―人は絶え間なく考えている物事を磁石のように引き寄せる
―人は考えたことを感じる
―人生における成功や失敗の多くは、まず私たちの心の中で始まる
―目に見えないところで、神が私たちのために働いてくださっている
―私が自分のやるべきことをすれば、神も自らなさるべきことをなさる
―言葉は種 声に出して言うことで、言葉は潜在意識に撒かれ、独自に成長して、根を張り、実をつける
―苦い根は苦い実をつける
―古いものを捨てないかぎり、新しいものはやってこない
―ダビデに習って、顔を洗い、前進する
―神は必ず私の人生に正義をもたらしてくださる
―報復のために無駄なエネルギーはつかわない
―顔を上げて、未来を信じる
―もらう側ではなく、与える側になる
―種を蒔けば、必ず収穫がもたらされる
―神に近づく一番の方法は、傷ついている人に近づくこと
―正しい考え方をすれば、嵐の中でも平穏でいられる
―勇気をもって正しいことをする
そんなたくさんの言葉・・・。
そして、本当に大切なこと、私が今すぐ、たった今から取り組むべき自分自身の問題から、もう、どうにもこうにも、目を背けることができなくなっているのです。
だから、勇気をもってハレルヤって言いながら、深みに漕ぎ出します。

埋もれている夢を掘り出す21日間 Day12 Oh Courage, Where Are Thou?

強くあれ。雄々しくあれ。
恐れてはならない。おののいてはならない。
あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、
あなたとともにあるからである。
ヨシュア1:9
この地上で感じる安心感は、すべて虚像に過ぎません。
絶対に安心、という状態は、世に存在しません。
神様とその愛以外、確実なものなどないのです。
ですから、勇気を持つということは、安心だと思えなくても行動を起こすことなのです。
勇気は一歩踏み出してリスクを冒すと成長します。
不思議なことに、現状を抜け出し、思い切って何かをするたびに、前よりも楽にできるようになっていくのです。
それは、リスクを冒すことがあなたに自信を与え、自尊心を高め、たとえ失敗やつまづき、過ちがあったとしても、「それでもこれができた」という目に見える確証を与えてくれるからです。
過去を手放し、慣れ親しんだ現状を抜け出して、不安だらけの未知の世界に進んでいくことにはかなりのリスクが伴います。
人を赦し、痛みを放棄し、恨みを捨て去るには勇気が必要です。
それは、前向きにリスクを冒せる人になり、過去の傷を抱えたまま生きるまやかしの安心感を捨てることから始まるのです。
もう二度と試練に苦しまなくてももいいという安全な隠れ場は、この地上にはありません。
私たちは本能的に確実さを求めますが、百パーセントの安全など幻想に過ぎません。
多くの人が、自分は変らないままで人生が良くなっていくことを願いますが、そんなことは絶対に起こりません。
人生を変えるためには、あなた自身が変らなければならないのです。
日常のありきたりから抜け出しましょう。
何の変哲もない生活に満足することを拒否してください。
何のリスクも冒さないなら、奇跡は望むべくもありません。
人生は息をのむほどの発見の旅路なのだと知ってください。
スー・オーガスティン
私も自分を変えようと思います。
いつでも、変れるって思って、ずっと後回しにしていたことがあるのです。
でも、今、変えなきゃ。
たった今。
 
 
 



Saturday, October 26, 2013

埋もれている夢を掘り出す21日間 Day11 Unpacking Your Emotional Baggage

しかし、神である主は、私を助ける。
それゆえ、私は侮辱されなかった。
しれゆえ、私は顔を火打石のようにし、
恥を見てはならないと知った。
イザヤ50:7
あなたは、感情に支配されるようには生まれついていません。
ただ気をつけないと、感情はあなたの人生を支配し、悲しくつらい過去に必要以上に浸らせてしまうのです。
どんな感情であれ、そう感じる時間は、実は自分で決められることを知っていましたか。
私たちの感情に影響を与える三つの領域があります。
これらはコントロール可能で、未来の祝福の扉を開くことも、反対に私たちの心の傷や苦痛、困難などに向けさせておくこともできます。
あなたの思考―何を考え、何を思っていますか?
思いがそれほど重要な理由の一つは、感情はすべて〝思考〟から始まるからです。
ある状況が起こると、私たちはそれに対して意見を持ち、何が起こっているのか即座に判断しはじめます。
人間の思考はとてもリアルで、しかも強力です。
思考パターンを変える力強い方法の一つは、神様がどんな方で、何をしてくださったか、神様が自分について聖書の中でなんて言っておられるのかを黙想することです。
黙想するとは、何を思うかを選択し、どんな考えに集中するかを決め、それに心を向けることです。
あなたのことば―どんなことを言っていますか?
あなたのことばは、あなたの思考や黙想してきたのこの軌跡なのです。
あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。
ことばには信じられないほどの威力があることを忘れないでください。
自分のことばを「種」ととらえ、こうなってほしいと願うことを植えていくのです。
あなたの心持ち―どんな気分ですか?
思考やことばは態度となり、そして態度は、どんな心持ちになるかを大きく左右します。
感情のお荷物を全部ほどくためには、思考とことばを聖書のことばに合わせてください。
そうすれば健やかな気分や前向きな態度が生まれ、あなたを損なう感情が崩れていくのがわかるでしょう。
涙は贈り物です。 
泣きたいことがるまら、どうぞ涙の流れるにまかせてください。
過去を手放すときに、感情的になって涙が出るのは、私たちの身体を洗い流して浄化し、病気から守り、人生のバランスを取り戻そうとしてくれているのです。
泣くときは、うめいたり、ため息をついたり、わんわん大泣きをしてください。
このような本能的なうめきは身体の声、また祈りの一種でもあり、心の痛みを驚くほど和らげてくれます。
神様があなたにくださった複雑さや深さを理解したときに初めて、自分の感情の構造の美しさを理解し、価値あるものとして受け入れられるようになるでしょう。
スー・オーガスティン
今週、私も実は泣きました。
クルマの中で運転をしながら。
それから、聴いていた音楽をとめて、静かに祈りはじめたのです。
金曜日の夕方、賢人のピアノの先生のお宅へ向う、途中でした。



埋もれている夢を掘り出す21日間 Day10 Resilency

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、
あなたがたをキリストにあって
その永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が
あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、
堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。
Ⅰペテロ5:10
逆境の中で信仰が試されるとき、あなたは自分をどう見ますか。
被害者でしょうか、柔軟に変化できる人でしょうか―それを決めるのはあなた自身です。
危機は、常に二つの選択肢を差し出します。
自分が自分でなくなるほど無理をして、そのままでいるのか、勇気を深く掘り起こし、それまで意識していなかった内なる力を活用するのか。
外側の筋肉が伸張すれば、内側の筋肉が収縮するのと同じように、信頼すべき時と慎重になるべき時があります。
弾力を高め、対応力を強め、逆境を味方につけてしまう方法
1 失敗を練習する
自分の弱さや欠点を自覚すると弾力性は高まる
2 小さなリスクがある挑戦をする
挑戦するものを求め、新しいやり方を探す
3 被害者意識を振り払う
自分を哀れに思い、失ったものを嘆くのにある程度の時間を割いたら、その後は前向きに進む
4 説明の仕方を見直す
すべては一時的なことで、不変ではない
5 自分の視点を取り戻す
状況から一歩身を引き、物事の全体像を見るようにする
6 柔軟になる
引っ張られたとき、柔軟性が足りなかったり、譲歩することを知らなければ、いずれ折れてしまう
7 古い感情をよみがえらせない
なぜ自分はこうなのかという理由をだでもが見つけますが、だからといって、このままでいいという理由にはなりません
8 最悪を最善に変える
新しい現実をまず評価しようと決める
その後で、それに順応するための大胆な方法を探す
9 感情をコントロールすることを学ぶ
激しい怒りや不安にかられて突っ走ったり、相手を罵倒して関係を断ち切ったりしない―むしろ、関係を保ち、可能性のドアを開いたままにしておく
10 しなやかな考え方を身につける
過去にとらわれない自由な発想が必要
11 前向きな思考を選ぶ
その時点では全く見えていない可能性についてイメージする
12 ユーモアを見つける
自分自身や自分の失敗を笑える人たちいは、いつも楽しいことを見つける
13 強力なサポート・ネットワークを作る
お互いを避難所として人々は生きる
14 宿命でなく信仰に頼る
私たちの人生は、宿命や運や偶然に左右されているのではなく、神様の御手の中にある
15 与える人になる
私個人というレベルを越えて、より大きな問題とのつながりが深まるにつれ、あなたは柔軟になってゆく。
スー・オーガスティン
柔軟になろう。そう、柔軟は得意。
きっと乗り越えられる。もっともっと幸せになれるはず。
今日は土曜日。まだ4時半。
それがなによりの証拠。
もう、幸せ。すでに幸せ。





Friday, October 25, 2013

はっぴーえんど

どんな1週間でしたか?
私は離婚を決意し踏みとどまり、転職を決意し思い直し、結局、終わりよければ全てよし、ハッピーエンドな金曜日です。
今週一番つらかったことは水曜日、夫に、お弁当を丸ごと捨てられたこと。
捨てられたお弁当の横にカップうどんの容器も捨ててあって、私が作ったお弁当はカップのうどん以下かいと思って悲しかった・・・。
今週一番うれしかったことは、金曜日、賢人が海の近く、サーフィンのメッカの街のUC系の大学に行きたいと言ってくれたこと。
彼の成績でも、行けるかもしれない感じの学校だった。
それで、賢人に言った。
「ママは毎日いろんなことがあるの。
うれしいことばかりじゃなくて、それはそれはいろんなことがね。
賢人が大学に行きたいと言ってくれたことは、この半年ぐらいの間で一番うれしいことかもしれない。
いいよ、サーフィンのためでもなんでも。
行きたいところに行ってやりたいことを、やりたいだけやってちょうだい。
父さんと母さんは年中喧嘩をしているけど、大丈夫。
賢人がいなくても、別れたりしない・・・たぶんね。」って。
幼稚園のシゴトは、体力的にも時間的にもわりがあわずつらく厳しいシゴトと夫は思っている。
そして、そう思わせてはいけないと思って、家の仕事もがんばってきた。
でも、結局それがあだとなっている気がする。
金曜日の夜です。
ダメな子になってゆっくりしよう。


お化け屋敷2013②

前回は6歳のKくん、今回は3歳のRちゃん
大きな蜘蛛さんをいいこいいこしている私のすぐ横まで
マスクをつけて音もなく忍び寄っていた体操のM先生、ああ~こわかった



Thursday, October 24, 2013

私の問題

あまりにもあわただしくて、何も書けないまま、ああ、もう今日は木曜日。
シンジラレナイ・・・。
はなが、ママと一緒にごはんを食べたいと言って甘えるようになりました。
隣に座って、一緒に同じものを食べたいから帰ってくるまで待っていて、帰っても私が手を洗ったり電話のメッセージを聞いたり緊急なことに対処して、落ち着くまでそばでうろうろしながら待っています。
これは、けっこーせつない。
それで、削ることのできる時間はどこだと探してみました。
でも、どこにも見つかりません。
睡眠6時間朝ごはん抜き、シゴトは家に持って帰らない、個人的な電話もEメールもお返事のみ、お買い物は週2回だけリストを作って最小限、そして週日の個人の時間は(運転中を除いて)一切なし。
私は、もしかしたら、十戒の「偶像を拝んではならない」を侵しているのだろうか。
異常事態に対処する軸が偶像を中心に据えられ、聖書的、神中心の解決策を見つけられないのだろうかと考えてみています。

Tuesday, October 22, 2013

お化け屋敷2013

今週の私たちの幼稚園はお化け屋敷
このお化け屋敷の合間に親御さんと面談をする私
今週はカンファレンス・ウィークでもある、はちゃめちゃな私の1週間

Sunday, October 20, 2013

やっぱりいろいろだった私の週末


どんな週末でしたか?
私はのんびりしようって思っていたのに、なんだかやっぱりいろいろいろいろやっちゃった。
まず、土曜日。
賢人がSATの練習のテストを受けるのに、クルマで連れて行ってって言う。
「週末だしいいじゃん、シゴト休みでしょ」って。
こうして、専業主婦の方々は、どこまでもどこまでも無制限に忙しくなってゆくのですね・・・。
そして、私も「はいはい」とスッピンでビーサンをひっかけてパジャマでテレビを見ていたはなのみつあみの髪の毛引っ張りながらクルマのキーと財布だけを持って、クルマに乗り込みます。
賢人を落として、さあ、とっとと帰って、朝ののんびりの続きをしようと思いきや、かわいいガレージ・セールの看板にひっかかって、GPSに住所を入れて、楽しい朝のショッピング。
大体土曜日にガレージ・セールするってクリスチャン。
そんでもって、趣味が似ていたりすのよね。
いろいろ買っちゃた。
カントリー調のアンティークなキッチンウェアとA&Fのジーンズやシャツ。
すっかりお昼近くになって、洗濯機を2回まわしながら、お掃除をしていたら、あっという間に賢人の迎えの時間。
午後は賢人がめずらしくピアノを聴いてというので、練習につきあっていたら、すっかり日も暮れておりました。
そして日曜日の今日はハンティントン・ビーチでの超早朝の賢人のサーフィン。
そして、レドンド・ビーチでのピアノの発表会のリハーサル。
それから、1週間分の食材の買出し。
全然、のんびりじゃないけど、でもなぜか、すっごくリフレッシュした感じ。
そうそう、今日、父と、そして母と久しぶりにスカイプでおしゃべりしました。
毎週、教会に行っているようです。
そして、教会のイベントにも参加して、教会生活を心から楽しんでいるようでした。

父は70歳以上の高齢者の方々と別府におでかけして、てんぷら刺身定食を一緒に食べて、温泉にはいって、楽しいおしゃべりのひとときをすごしたそうです。
クリスチャンの心から笑顔は一体なんだろうって言っていた。
それから、お兄ちゃんは予定どうり、10月5日に入院して、一杯検査を受けて、そしてやっぱり喉にガンがあって、それで放射線治療を受けるようです。
でも、父も、母も、とても楽観視しているようでした。
放射線治療は、確かに大変な治療だけど、時間をかけて少しづつ進めるので大丈夫。
たまたま、お兄ちゃんは、福岡に、貸すためのお家を買った直後で、しかもそのお家は借り手が見つかっていなかったので、お兄ちゃんの愛する伴侶はそのマンションから病院に通っている。
それが最新の情報です。
父も、母もみなさんのお祈りを感じているようでした。
たくさんの人が祈ってくれているから、大丈夫ってって、そう言っていた。
本当にありがとう。続けてお祈りくださいませ。





Saturday, October 19, 2013

埋もれている夢を掘り出す21日間~Day9 From Problems To Pearls

愛する者たち。
あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、
何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、
むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。
Ⅰペテロ1:12,13

人生にはトラブルはつきものです。
この世では多くの試練や悲しみがある、とイエス・キリストは警告しました。
問題が完全になくなることはないのです。
問題のない人生を待ち続けているなんて、なんというエネルギーや努力の無駄遣いでしょう。
問題が起こって驚くのではなく、いつでも立ち向かえるように覚悟しておきましょう。
私たちは、次の三つのうちのいずれか―問題に取り組んでいる真っ最中、問題をなんとか切り抜けた、次の難題に向っている―にいます。
人生に問題が山積みになると、奇跡を願うことは最後の最後になりがちです。
けれども、奇跡は問題のさなか、それも、信じて待ち望む人に起きやすいものです。
私たちは最悪の事態を想定しがちですし、大体その通りになります。
旧約聖書の中でヨブが「恐れていたことが、とうとう起こったのだ」と言ったように、人生はなぜか、私たちが予期することを与えます。
ですから目をしっかりと開き、日々の期待をこめて、素晴らしいことが起こるのを求めましょう。
いつも最善を期待するなら、どれほどのことが起こるかに驚くことでしょう。
揺ぎない期待を持ち続け、問題に対する答えがどのように与えられるのか、しっかりと見ていてください。
すべての奇跡のもとである神様を見上げ、信仰を深めていくことです。
全能の神様を信じることを選べば、疑いを打ち破る驚異的な力が人生に流れ込んでくるでしょう。
信仰は、問題志向ではなく、解決志向になることで深めていくことができます。
問題ではなく答えを探すようにしてください。
心を向けて期待していることが起こる可能性は高いからです。
スー・オーガスティン
私は強度の緊急中毒だから、手におえそうもないチャレンジや、せきたてる何かをあまり問題とは思わないのだけど、それでも、ああこれは困ったどうしようということはこれまでに、何度かありました。
でも、それは事故とか災害とか病気とか失業とか家族との死別とか、そんなに大きな出来事ではありません。
だから、私はいつも、心のどこかで、マジなオトナの問題がやってきたら、対処できるのだろうかと自分を疑っています。
信仰―今まで、いろいろエラそうなことをいろいろ書いてきた私だけど、まだたぶん、本当の意味でこれを試されたことはないのです・・・。 
 


Happy Saturday

おはよう。
Happy Saturdayです。
朝、5時に目が覚めたら、すでに夫は仕事に出かけていていないし、今日は賢人はSATの練習を受けに学校に行くので、サーフィンはなしだし、朝の静かな時間を無限に楽しめるこの幸せ。
それで、昨日書いた記事をじっくりと読んで、そして、一部言葉を変え、言葉を取り除き、言葉を加え、写真を沿えました。
すっごくよくなったので(ねっ、おめでたいヒトでしょ)是非、もう一度読んでください。
私は自分が誰よりもネガティブな選択によって、どんどん狭い世界に閉じこもってゆく代表選手であったことを知って、変る決心をしました。
今朝の5時に目が覚めたその瞬間、私の環境や取り巻く周囲の人たちの様子を、私という限られた『感じる生き物』が全てを正しく知ることはできないという、すっごくあたりまえのことにはたと気づいたのです。
そしてそしてそして、そうここが重要、全てを正しく知る必要なんか全然なくって、ただただ大切なことはあきらめないこと。
それは今回はあるひとつの人間関係とExcelだけど、日々のたくさんの贈り物の前で、私は新しい選択ができるかもしれない。
長い行列、渋滞、間違った請求書、わからない子どもの気持ち、エトセトラ。
そんな、毎日フツーに遭遇するいろいろな出来事を、贈り物と思うことを選んでみよう・・・。
できるかできないかは別として、それが私の今朝の小さな決心。
☆今日は、ひさしぶりの完全な休日です。
お弁当も送り迎えもなし。
関係ないモノがじわじわと不法占拠するリビングルーム、埃がつもったベッドルーム、油っぽいキッチン、にごった水の中で健気に生きている金魚と亀の水槽などをきれいにしよう。
それからお風呂にはいって、いろんな楽しいことをします。
『埋もれている夢を掘り出す21日間』の読書日記をひとつ書いて、それから夫が録画してくれている日本語のテレビ、リーガル・ハイ。
明日も、そして来週からの仕事もやることが一杯なので、今日はどこにも出かけずにおうちでのんびりです。

Friday, October 18, 2013

再出発~選択はいつも私のうちに

毎日が飛ぶように、びゅんびゅんと過ぎてゆきます。
過ぎるのは、かさかさした枯葉のような時間ではなく、生きている実感と足跡のある人生の一部。
それはとても幸せなこと。
スー・オーガスティンに影響されて、新しいことに挑戦しています。
あはは、それはExcel。
枠や箱が必要な時はWordの中でTableを出したりText Boxを積み木のように積み、そんなんじゃ間に合わない時には、だれかが作ってくれて送ってくれた何かをコピーして中身をいじくって使いまわし、計算が必要な時には電卓を使い、かなり不自由に、無駄に、原始的に、そして、いい加減に生きてきた私。
もっと広く、もっと深く、もっと自由に人生を楽しむためには、うっ、Excelが使いこなせる人にならなければっと一大決心。
何かをお願いすると必ずネガティブな一言、強烈かつまっさかさまに「もういいです、あなたには一生、何もお願いしません」的な気持ちにさせる一言を瞬時に返してくる女性に教えてもらうことにしました。
あはは、それもまたチャレンジ。
そう考えること、そんな気持ちになるのは、私の間違った選択であったことを、スー・オーガスティンに教えられ、私は悔い改めることにしたのです。
「もういいです。あなたには一生、何もお願いしません。」と考えたのは、紛れもなく私の選択です。
世界は私を中心に周るべきと、どこかで赤ちゃんのような非現実的な期待があったことを全面的に認め、悔い改めそして、やり直す決心をしたのです。
彼女の能力と彼女の時間と彼女の助けを借りて、アフターキンダーの子どもたちの楽しい課題を自由自在に作れるようになりたいと思います。

スー・オーガスティン風に書くなら、Starting Over~The Choice is Always Mine










Thursday, October 17, 2013

埋もれている夢を掘り出す21日間 Day8 Today

だれでもキリストのうちにあるなら、
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
コリント5:17
再出発の本当の難しさは、何かを終わらせなければならないことにあります。
人生のあるステージは、常に次のステージに取って代わられます。
物事は現われては消えていくのですから、私たちが精神的、感情的に健やかでいるための鍵は、それに対してどう反応するかです。
「終わり」の本当の意味は、人生がある局面から次の局面へと自然に変り、私たちが今までとは違う章の扉を開くことができるよう、前の扉が閉まるということなのです。
何よりも肝心なことは、違うやり方を試す機会が、あろ何回自分に与えられているのかわからないということです。
取り巻く状況は、すぐに変っていきます。
子どもは成長して家を出て行き、一緒にいたい人は死んでいく。
人生は一新したいと思うなら、今日始めたほうがいいのです。
イエス・キリストを救い主として知るということは、意識が変えられ、心が新しくなるということです。
あなたはもう、過去の価値観や思い込みの鎖につながれてはいないし、悔恨に縛られてもいません。
あなたは、一瞬ごとに新しくされているのです。
自分自身に、そして自分の周りに災難を予測するのはもうやめましょう。
新しい希望をもって朝を迎えてください。
お気に入りの音楽で目覚めてください。
シャワーを浴びながら歌を口ずさみましょう。
あなたが今どんな境遇に置かれていても、今この瞬間に幸せであることを選んでください。
幸せでない理由に思いを向けるのではなく、すべての良いものに目を向けてください。
人生は贈り物です。
プレゼントを受け取り、注意深く包みを開け、熱く生きてください。
ノンクリスチャンの父と母のために始めたデボーション、っていうより、読書日記なのに、一番励まされているのは、誰よりも書いている私です。
私を私に生んでくれたのは私の両親で、造られたオリジナルのままを、そっと育ててくれたのも私の両親。
私は、かなりのおめでたさで、自分を気に入っています。
でも、その私をさらに私へ近づけ、完成させてくださるのはイエス・キリストなのです。
彼は私の目指すべき私を知っておられる唯一の存在です。

なぜなら、私は彼によって、彼の目的のためにデザインされているからなのです。


Tuesday, October 15, 2013

埋もれている夢を掘り出す21日間 Day7 Reclaiming Your Inner Power

すべてのことを、
つぶやかず、疑わずに行ないなさい
ピリピ2:14
苦しかった過去を乗り越えようとして、あなたは気づかないうちに「不満」や「非難」という巧妙なワナに陥り、内なる力を放棄してしまったかもしれません。
今こそ、毒素の強いこの二つの習慣をやめ、自分が何を感じ、どう反応するか、何に目を向けていくかに対して責任を持ち、内なる力を取り戻すときです。
実行するのがどれほど難しくても、賛美と感謝をもって歩んでいくことを選び取るなら、神様は試練の中でも良い結果を引き出すと約束してくださいます。
親しい友人がある提案をしてくれました。
「大問題を神様に言うのはやめなよ。それより、スーの偉大な神様のことを、その大問題に言ってやったら?」
問題志向ではなく、問題解決志向という心構えは、身につけることができます。
解決策を探る代わりに毒のある習慣を育てるなら、遠からずその習慣はあなたを支配し、ダメにします。
不満にあなたの思いやことばを支配させるなら、過去というねかるみから身動きが取れなくなります。
不満は人生を破壊し、あなたを一人ぼっちにします。
とどのつまり、文句ばかり言う人と一緒にいたいと思う人はだれもいないのです。
もっと健康で幸せになりたのなら、それはあなた次第です。
前に進みたいなら、過去は変えられないことを認めましょう。
そして、過去の傷をすべて手放すことを選ばなければなりません。
良い態度を身につけるのも、人生や仕事、人間関係を楽しもうと決めるのもあなた次第です。
将来の目標を設定し、その実現のために必要なことは(健全な範囲内で)何でもしなければなりません。
虐待や不倫、子どもを亡くしたこと、喪失体験、貧しさや大病、事故など、あなたを襲ったものが何であれ、そこから解放されることを信じてください。
選択を通じて内なる力を取り戻せるのは、それが神様の原則とつながっているからであり、超自然的な祝福を受けるのを妨げていたのは、実は周りではなく、自分自身だったと気づくでしょう。
不満や非難のことばを口にしないとは、自分の過去、現在、そして未来を愛にあふれた神様の手の中に完全に明け渡すという決意をし、霊的な責任を果たすことなのです。
スー・オーガスティン
私に、問題を分析する人にではなく、問題を解決する人になるように教えてくれたのは、年下のノンクリスチャンの女性だった。
彼女はたぶん、私にそんなことを教えたつもりはないと思うけど、私は彼女からそれを学びました。
問題の意識は解決策とセットじゃないと、苦しいだけで意味がないのは、幼稚園の外の方がよりいっそう確かな気がします。
だから、いつでもどこでも、問題の解決に心を砕く人になりたい。
私はクリスチャンだから、そこに神さまの超自然的祝福を得て、この家庭で、教会で、幼稚園で、この世界でそれを証できる人になりたい。
 


Sunday, October 13, 2013

友だち

なんでも話せる友だちはいますか?
私には、います
友だちは私にうれしいことをいろいろしてくる
でも、
一番、一番うれしいことは、
ただそばにいてくれること


Saturday, October 12, 2013

埋もれている夢を掘り出す21日間 Day6 Starting Over

古いものは過ぎ去って、
見よ、すべてが新しくなりました。
Ⅱコリント5:17
苦しい思い出やつきまとう恐れ、自責の念、羞恥心や罪悪感などに圧倒されてしまうときがあったとしても、「今」に現される神様の力は、過去の出来事の制約を受けません。
本当です。
あなたも再出発できます。
実は、相手を赦した後、再出発の第一歩に最もふさわしいのは、あなた自身を赦すことなのです。
再出発と、自分を赦すことは密接につながっています。
罪をすべて告白し、神様の赦しを受け入れ、そして、自分自身を赦さなければならないのです。
自分を赦すことは、神様のとてつもない愛を信じ、驚くほどの恵みとあわれみを受けることから始まります。
全能の神様が私たちを赦してくださるのに、その神様が、赦すだけでなく、忘れてくださったことにまでしがみつくなんて、私たちは一体何様なのでしょう。
時間を戻せないといらだつのではなく、新しい結末を創り出してみてはいかがでしょうか。
神様の赦しのたぐいまれなところは、それによって新しい結末が可能になるというこです。
神様の驚くほどの恵みとあわれみは、罪の行為を記憶にとどめません。
聖書には「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される」とあります。
神様は、「もはや、彼らの罪を思い出さない」と言っておられます。
たとえ記憶に残っていたとしても、赦しは神様がくださった、手放すという力の現われです。
その出来事は、もはや私たちをコントロールしたり挫いたりする力を持たず、代わりに、心の知恵を深める経験となります。
その経験が、人に対する共感やあわれみを与えてくれるのです。
スー・オーガスティン
土曜日の日本語学校で働いていた日々のこと、辞めた日のこと、その後の苦しかった日々のことを思い出しました。
でも、もうどこにも痛みを感じることはありません。
神さまに赦され、学校に赦され、担当していた子どもたちに赦され、賢人にもはなにも赦され、そして最後に自分から赦されて、そして終わりました。
私は今、幼稚園で、キンダーエイジに日本語を教えています。
今までやってきたどの仕事と比べても、これほど、自分に合っている仕事はないかもしれません。
ピアノのレッスンも、リトミッククラスも、3歳児の担任も、4歳児の担任も、マミー&ミーも、長野まで行ってやったバイブルクラスでさえ、これほどの祝福はなかった。
自分の中から喜びと一緒にあふれ出てくるアイディアを、出口を狭く絞ってこぼれてしまわないようにしながら、このクラスをすすめています。
再出発はできます。
絶対。
誰でも。
神さまが一緒なら。
 
 
 
 


Wednesday, October 9, 2013

はっぴー・おくとおば!

はっぴー、えっとなんだろ・・・。
はっぴー・おくとおば!
雨だいすき!
秋だいすき!
季節のかわりめだいすき!
となりのクラスのたいようくんに
「どうして、今日、あめ?」って聞かれて、ちょとこまって、でもこたえた。
「ぶれっしんぐよ」
赦したらもらえた。
透明できれいな澄んだ雨。
今の私の気持ち。

もう、プチトマトはいらない

おはよう。
今朝、目が覚めたその時、夕べここに書いた『埋もれている夢を掘り出す21日間 Day5 Fogiving the Unforgivable②』 の最後の自分自身の一言を思いました。
そして、ああ、そうだったんだ、私はそれが嫌で時々妙に苦しくて、そしてそれにとても長いこと耐えていたんだなって思いました。
長い時間、遠くから聞こえ続ける騒音と同じで、音がなくなって、はじめて、本当の静けさを思い出すように、私は今朝、自分がもうそこにいないことに気づきました。
あまりにでも巧妙にカモフラージュされた鈍い痛みだったし、いつ始まったのかも思い出せないほどに長い間そんな感じだったから、そんなものは幻想と思えば思えるけど、でも、あるし。
どうして、『ある』と自覚できるかっていうと、神さまに近づこうと祈るときに、それがいつも、じゃまくさく、そこに転がっていた。
本当は全然好きじゃない、ただ場所を埋めるためにつっこまれたお弁当箱のプチトマトのようにそこにあり、そして、それはいつも食べ残され、あたりまえのように捨てていた。
入れたのは私。
食べなかったのは私。
捨てるのも私。
心の隙間に入れていたのは、赦せない思い。
でもそれは私の中の聖霊さまとは調和しない思い。
だから、いつも捨てて、でもまた、お弁当箱に隙間ができると、仕方なく、つっこんでいた。
テンポラリーでお弁当箱がぎっちりになって、崩れなくなくなるっていうただそれだけのために。
でも、もういれなくてもいいってわかった。
今朝、目が覚めたその時、自分が書いた言葉を思って、泣きそうになりながら、神さまに感謝しました。



Tuesday, October 8, 2013

埋もれている夢を掘り出す21日間 Day5 Fogiving the Unforgivable②

憤りは愚か者を殺し、
ねたみはあさはなな者を死なせる。
ヨブ記5:2
心からの赦しは、一言で言えばこういうことです。
「本当に、私はとても深く傷つきました。でもこれ以上、痛みに自分の人生をコントロールさせるようなことはしない。私は痛みを手放します。もう苦しみはいらない。前に進んでいくために。」
その方法
1、いろんな人に話さないと決意する
2、過去についてあれこれ考えるのをやめる

3、赦そうとする相手といるときは、明るく穏やかに
4、だれに対しても罪責感を与えることをしない
5、相手が後悔しているときには、その人の尊厳が復元されるためにできる限りのことをする
6、独善的な意識を捨てる
7、相手が悪いことをしたとは思っていないようにふるまう
8、生涯をかけて完全に赦す覚悟を決める
9、自分を傷つけた相手のために祈る
10、あなた自身がいやされるように求める

赦しは、私たちを弱く傷つきやすくするどころか、私たちの目を開き、力づけ、赦す側も赦される側も解放します。
困難な状況に幕を引き、どうやって報復しようか、公正さとは何か、という難題をわきに押しやり、心に本物の平安を得させます。
スー・オーガスティン
私は、能天気でおめでたい筋金入りの自惚れ屋です。
私を赦すために、誰かがこんなに苦労をしていると思うと、なんだかとても考えさせられるものがあります。
「えっ、そっち?」とあきれて、座布団やらバナナの皮やらティシュボックスやら消しゴムやら聖書やらが飛んできそうだけど、それらをよけつつ、あえて、書くなら、私は分不相応に憐れまれ、祝福されていることを喜びながらも、どこかでいつもそれゆえの妬みや恨みに耐えているような気持ちがあるのです。
そしてそれこそが、私の問題。
私の赦すべきUnforgibableなのだと思いました。


埋もれている夢を掘り出す21日間 Day5 Fogiving the Unforgivble

主があなたを赦してくださったように、
あなたがたもそうしなさい。
コロサイ3:13
だれかが私たちを不当に苦しめ、謝りもせず、悔い改めることもなく去って行けば、私たちは傷つきます。
傷は心の中でわだかまり、恨みと化します。
それは思いや行動を毒し、私たちを不機嫌でみじめな人間にしていくのです。
このような負の悪循環に終止符を打つ方法は一つしかありません。
それは赦すことです。
赦すとは、されたこと自体は不当であるにもかかわらず、赦す側の人が、痛みをあえて手放すということです。
相手を赦すとうことは、相手の行為が不適切で、どこから見ても間違っていると十分に承知した上で、償いをするのは当然だ、と思う感情を捨て去ることです。
自分の感情とエネルギーを報復に向けるか、解決に向けるか、選択は常に私たちに与えられているのです。
極めて有害なもうひとつの方法―仕返しを考えるほうが、赦すよりも魅力的で、変に力がわいてくることは私も知っています。
自分は被害者なのだと思えて、奇妙なことに、心が満足するのです。
けれど、一つだけ問題があります。
それは被害者は自由ではないということです。
赦すとは、相手の行為が引き起こした痛みを無視したり、否認したりすることではありません。
自分の受けた傷を否定することでも、正義を要求しないことでも、責任を免れることでもありません。
相手が無実だから、ましてや、自分が赦したいから赦すのでもありません。
私たちの人生が相手の行動や行為によってこれ以上コントロールされたり、影響をされないために赦しを選ぶのです。
スー・オーガスティアン
あまりにも、インパクトのある大きなテーマでたくさんの新しい情報なので、半分づつにしました。
今まで信じていた「赦し」とここにある「赦し」に大きなギャップがあるのは私も同じです。
だから、少しだけ、時間をおいて続きを書きます。
では、今日も良い日でありますように。

Monday, October 7, 2013

ぶわんとぐわん

今朝、クルマの中でいつもの祈りを、いつもの順番で祈っていて、両親のために祈っていたその瞬間、お兄ちゃんに読んでもらいたい本がぶわんと頭に浮かんで、さっそくそれを父に郵送する準備をしています。
父が母と共に、福岡の九州大学病院を訪ねる日に、一緒に持っていてもらおうと思うのです。
入院と治療は2ヶ月にもおよぶそうなので、きっと、それは神さまへの渇きに目覚める、またとない機会になるのではっと期待しつつ。
でも、その啓示を受けた直後にしんみりとした淋しさのような気持ちに襲われ、すでに祈った後だった、夫のことをもう一度祈りました。
神さま、夫の時とはいつなのでしょう。
彼には一体何がしてあげられるでしょうって。
彼はとても元気です。
彼には幸か不幸か悪い妻を娶ってしまったという不幸以外にはとりたてて何の問題も渇きもなさそうなのです。
そしたら、兄のために与えられた啓示の10倍ぐらいのインパクトのあるインスピレーションがぐわんとやってきて、思わず、握っていたハンドルから手が離れ、隣の車線にガタガタと侵入してしまったほどでした。
そして、私は、「はい、わかりました。それを今すぐ、準備します。」と神さまに答えました。
兄への贈り物はチャック・スミスの『収穫の時代』という本。
夫への贈り物は藤本満の『十戒』&『使徒信条』のメッセージをCDにして。

Sunday, October 6, 2013

秋を探しに、神さまを探しに

すばらしい1日でした。
いろんな人に会って一杯おしゃべりして、同じものを食べて、そしてまた、おしゃべり。
笑って、しゃべて、また笑って。
それから、バイバイって手をふって別れて、はなとふたり、30分ほどドライブして北の空の下に秋を探しにいきました。
終了間際、30分前の動物園にすべりこみ、私はのんびり、夕方の秋の風にふかれながら小さな子どもたちを観察。
時々、そこから四方に見える山々に思いをはせます。
登ってみたいな、あの山・・・。
そんな私を全く無視してはなは、ハムスターや、うさぎ、やぎ、かぼちゃの山、とうもろこしの海で大忙しに遊びまくっていました。
そして、1時間半ほどドライブしてサウス・ベイに戻って、お寿司をTo Go して、おうちに帰りました。
そして、ついさっき、今日撮った写真を整理していたら父から、スカイプの呼びかけがあり、今夜は母ともおしゃべりすることができました。
母は、お兄ちゃんの喉の病気が心配で心配で仕方がないにも関わらず、とても気丈に、元気に、笑って、教会でのあれこれ、今の心境、そして、神さまに一生懸命に祈っていること、神さまを信じたい気持ちを話してくれました。
大分チャペルノア教会でもらった、週報をカメラにアップにして見せてくれました。
今週の説教の聖書の箇所はマルコで、そこにピンクのマーカーでハイライトがしてありました。
教会では、メッセージの内容がよくわからないのだけど、家でもう一度、開いて読んでみて、そして、私が書いてきた文章とつながって、はっとするのだと話してくれました。
娘として、クリスチャンとして、これほどうれしいことが他にあるでしょうか。
書いてきてよかった。
書き続けてきてよかった。
やめなくてよかった。
ああ、全てはこのためだったのだと、秋の空を仰いで、ハレルヤと叫びたい気持ちです。
追記:お兄ちゃんのための祈りのグループが毎日、毎日、大きくなり続けています。
本当にありがとう。
グループが大きくなるにつれ、お兄ちゃんの喉のガンが小さくなっているような気がします。
5日に、福岡の病院に入院して以来、まだ、新しい知らせは届いていないそうですが、でもみなさんの祈りは天国に届いていると信じて、私も、父も母も、今とても幸せです。
ジッサイ私は、兄が病気になる前よりも幸せです・・・。



埋もれてりう夢を掘り出す21日間 Day4 Ready.Set.Let Go!

あなたたちは前年の穀物を食べ尽くさねうちに、
それを倉から運び出して、
新穀を倉に納めるようになる。
レビ記26:10
手放すことが苦手な人がとても多いので、現代社会では―家庭や職場、車庫に屋根裏、物置、車やカバン、財布の中に至るまで、雑然さが問題になりつつあります。
モノが片づけられないことよりも問題なのは、心が散らかっていることです。
クローゼットでも人生でも、過去をため込んでしまうのは簡単ですが、執着心は私たちの前進を妨げ、身動きできなくさせ、わくわく感や夢を損なわせてもいるのです。
試しに、今持っている具体的な何かを手放してみてください。
思いがけず、努力せずに新しいものがあなたの人生に流れこんでくることにきっと驚くことでしょう。
ある状況を手放そうと思うなら、その対象を「祝福する」ことができなければなりません。
祝福するとは、その対象を肯定し、この先どう変っていくにしても邪魔せず、協力や支持を与えることです。
スー・オーガスティン
ああ、本当にそう。
きっとそう。
私も今朝、あるひとつの人間関係を手放す決心をしました。
もっと、もっと幸せになってほしい、私もなりたい。
だからそうしよう。
神さま、どうかできるように助けてください。
アーメン
 


Saturday, October 5, 2013

埋もれている夢を掘り出す21日間 Day3 The Choice is Alway yours

これは、主が設けられた日である。
この日を楽しみ喜ぼう。
詩篇118:24
私たちの人生は、偶然に左右されているのではありません。
最終的にどうなるかを決めるのは、宿命ではなく神様であり―そして、この方に対する信仰の度合によるのです。
あなたの身に起こることは、コントロールできないかもしれませんが、あなたのうちに起こることはコントロール可能です。
人生のすべてが私たちに選択を求めてきます。
朝、どう起きるかは意志にもとづく行為で、あなた自身が選ぶものです。
その日が、良い1日になるか悪い1日になるか、それもあなたの選択次第です。
奇跡など何もないと思うか、すべてが奇跡だと思うかはあなた次第です。
困難のただ中で勝利を得るか、苦悩に崩れ落ちてしまうかはあなたが選ぶのです。
もし、あなたが被害者としてふるまい続けるなら、この先、自分の人生に責任を持つことはできなくいなるでしょう。
今いる状況の被害者だと思ってしまうと、主に二つの理由で無力になってしまいます。
一つは、幸せを外的要因に求めてしまっていること。
もう一つは、成功できないのは周りのせいだと非難していることです。
結婚したいのに独身だったり、限界を越える仕事や逃げ出したい対人関係から抜け出せなかったり、子どもたちにイライラしてしわを増やしていたり、物事がうまくいかないようなら、あなたは被害者を演じてしまっているのかもしれません。
人生をコントロールできないと感じるのも無理はありません―被害者は無力ですから。
ですが、ぜひ知っていただきたいこおがあります。
この自覚はあなたにとって、今までで一番の祝福に変るかもしれないのです。
もしあなたが自分の選択によって惨めな状況を作り出してしまったのであれば、同じように、ずっと喜ばしい状況を作り出せても不思議はありません。
あなたがこれからの人生で、すべての責任を受け入れるなら、どれほどの自由を感じられることでしょう。
スー・オーガスティン
私も、今ひとつの奇跡を信じて、祈っています。
それは、兄の喉にできたガンが、治療をする前に消えてなくなっていること。
そして兄と兄を愛する家族がみんなで主を崇めるようになること。アーメン
10月5日、今日は兄が福岡大学病院に入院をする日です。
 


Friday, October 4, 2013

はじめての仕事

はじめての仕事は、いくつになっても楽しいもの。
そしてよくわかんなくて、ドキドキするもの。
私の今学期のはじめては、作ってもらったレッスンプランでレッスンすること。
作ってもらった月案で私たちの一ヶ月をデザインすること。
生活も、言葉も、数との関わりも、創作も、教室という環境づくりも、みんな。
これは意外に骨の折れる仕事です。
なにしろ、私だから・・・。
私とちょびっとでも一緒に仕事をしたことのある人なら、「あ、それ、むりでしょ」ってもろ手を挙げてあきらめることと思います。
そしてついに最後は私にレッスンプランをくれる人は誰もいなくなった。
プラン全体の目的や意義がわからないと、頭も手も身体も1ミリも動けず、何もできず、だまったまま、目的と意義をず~うと考え続けて、ついに作ってくれた人に質問に行って、でもよくわかんなくて、気まずい。
結局、プランは自分の目的にそったものに変えられ、人間関係が1個壊れる。
でも、今年の私はこれをがんばってやってみることにしたのです。
私は、正真正銘のおばさんの域に達した本物の下り坂女なので、そういう訓練も必要と自分を律して、わかろうがわかるまいができる限り信じてやってみるという方針です。
やりたいう放題、わがまま一杯だった私だけど、やっと私も、自分を大人と認めることができるようになるかもって、大きな期待に胸を膨らませております。