Friday, March 31, 2017

小さな記念日

結局賢人のアルバイトの送り迎えのために、はなと遠出ということもできず、かといって、家にこもって、家事に励むということもなく、なんとも、中途半端な一日でした。
いっそ、賢人に車をどうぞと渡して、家にこもって家事でもすればよかったと思います。
それじゃ、はながかわいそうって思ったのだけど、彼女は、実はもう、「ママどっか行こう」と一生懸命に言っていないことに、今日、はっと気づいた。
親の忙しい日々って、本当にある日突然、ぷつんと終わるのよね。
終わっていたことに気づくっていうかね。
でも、私には、やりたいことが山のようにあるので、さらっと、受けとめ、どんどん先に進みます。
ふたりめだし、女の子だし、はなだし。
賢人の時のようなドラマチックなショックを感じているほど、自分中心でもなくなったと思っている。
私なりにね。

ドリスの「積極的シンプルライフ」

ベッドにごろんと横になって、本を読みながら、うたた寝をしてしまいました。
起きた時、寝るまで読んでいた本のことばを、すぐに思い出しました。
1回の洗濯は粉洗剤をスプーンで1杯だけ
どんなことをするときにも、クリスチャンは、「それは科学的に可能だろうか」とか「採算が取れるのだろうか」ということの是非を、優先して考えるべきではありません。
「人類のほんとうに幸せにつながるかどうか」、「自然環境を破壊していないかどうか」といったことを検討することから始めるべきです。
笑ってしまったのはこのフレーズ。
簡素な生活をしてゆくうえで、私たちがさっぱりつかっていない資源は、私たちの頭脳かもしれません。
そして、アルミニウムについての衝撃の事実。
科学肥料の代わりに堆肥を
アルミニウムは分解されるのに長時間かかります。
ゴミとして捨てたり、車の窓からポイと投げた空缶は、千年近くもそのまま残っています。
アルミホイルは薄いけれども、空き缶同様、錆ず、腐食もしません。
使用済みのアルミホイルは土壌の表面を覆い、土の水分や呼吸を遮断してしまいます。
雨水の吸収、地下水の流れ、湖沼に影響を及ぼし、小さいながらも気候に変化をもたらし、また、付近の農地の土壌改良を妨げる原因にもなります。
茶渋は地面に落ちたライムとソーダでこする
ロールパンをあたためるときは、蓋つきのキャセロールを使うように提案しています。
でも、そのそのキャセロールが温まるまでのガスという資源は、どうなるのさ、手をあげて質問したい私。
立派なくるまに乗っているからといって、立派な人であるとはかぎりません。
私もそう思う。
最後のページに、こんな祈りの詩がありました。
アルミホイルやラップのかわりにお弁当箱を
心に響く詩です。
主よ、なぜ多くの人が飢えているのに、
私は食べているのでしょう。
なんの益のために、
私に食事をあたえてくださっているのですか。
私は何をお返しすればようのですか。
そろそろ、働くために食べること初めてもよいのではないでしょうか、ということを、やさしく、でも、はっきりと教えてくれる1冊です。

ぶらぶら寄り道

賢人をアルバイトに車で送って行ったあと
港の近くをぶらぶら寄り道
 かわいいけどすごく高いライト
でも、確実に売れている
行く度に、違うのがぶら下がっているから
高価だけど、素朴でかわいいデザインだから
私の家にぴったりと思うのだけど、だめ?
 昔の薬屋みたいな、私書箱みたいな引き出し
これは売れていなくて、うれしい・・・
これが私のものになったら、
私、全部の引き出しを使う自信がある
 この和風なみずやダンスも、
売れていなくてなぜがほっとする
(買うつもりぜんぜないのに)
 買いたい本に出会ったことのない無人の古本屋
でも、来ると満足して、座って、全体を眺める私
いいやつで賞の ごほうびのバウチャーで
ハンバーガーを買って帰りました

マラキ 2章

あなたがたは、
あなたがたの霊に注意せよ。
マラキ 2:15
いよいよ旧約聖書の最後の書物、マラキです。
「あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。」
ひとつの霊、共有する霊、人と人、人と神をつなぐ霊、その霊に注意せよ、そういう意味だと思います。
自分の内に聖なる霊が生きていることは、何にも変え難くうれしくて、安心なことだけど、その霊の人格?ん?神格って、私固有のものではなく、全てのクリスチャンが宿す霊と共有のひとつの神格をもつ、みたまさまと自覚できたら、私の態度はもっと注意深くなれると思う。
私の霊は、誰かの内からも私を感じている。
私の霊は、誰かの内でその人のために悲しんでいる。
そんな風に考えることができから、私の失敗はもっと減るかもしれない。

Thursday, March 30, 2017

いいやつで賞

先週、はながCharacter Award っていう賞をもらうと学校から連絡をもらった。
今週、インターネットでニュースを見たえりさんに「Kind and Polite の賞をおめでとう」って、テキストでお祝いメッセージをもらった。
今、どっちかっていうと、えりさんの表現を喜ぶ私。
それを私なりに、日本語にするなら、いいやつで賞。
たしかに、はなって、いいやつなの。
お気楽で、ようりょくよくて、努力が苦手。
あきれるほどめげないし、それでいて、すごい人見知りでシャイ。
でも、お友だちの気もちに敏感で、公平で、捨て身なやさしさがあるのよね。
うれしい。心から。
だってそれこそ、本当にに価値あること。
大切なこと。

どんどん小さく、どんどん私らしく

木曜日の仕事が終わるとすっかり週末な気分なところにむけて、明日は学校がお休みなもんだから、超リラックス・モードな我が家の夕暮れ。
ごちゃっとした家の中で、まあいいわ、どうにかなるでしょってくつろぐ私。
でもいいの。
今日は、本当にいい気分だから。
お天気もいいし、明日、まとめて洗いましょう。片付けましょう。
苦手だけど、がんばっていた仕事がひとつ終わりました。
本当に好きなこと、得意なことだけが、私の手の平に残されてゆく。
神さまは、私の仕事にとても関心を持っていて、その内容のひとつひとつを、今さらに吟味してくださっている。
喜んで夢中になれることに向かって、どんどんふるわれ、どんどん小さくなってゆく。
どんどん私らしくなってゆく。
さて、そろそろ来月のリズム・ワークショップの準備をはじめなくちゃ。

ゼカリア書 4章

すると彼は、私に答えてこう言った。
「これは、ゼルハベルへの主のことばだ。
『権力によらず、能力によらず、
わたしの霊によって』
と万軍の主は仰せられる。
ゼカリア書 4:2
金でできている燭台の意味です。
それって、上部には、鉢があり、その鉢の上には七つのともしび皿があり、それぞれに七つの管がついていて、そのそばに二本のオリーブの木がある、とあります。
もしかして、こんなの?、と思いながら、検索したら、出てきました。
やっぱりこんなのだ。
この前行った、ユダヤ人博物館でいろんな素材、いろんなモチーフのこの燭台をみました。
子ども部屋用から、クリスマス用(ユダヤ人は祝わないけど)、礼拝用、エトセトラ。
そうか、これは、「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」の象徴なんだ~、って、でもどこが?と思う私。素朴にね。

Wednesday, March 29, 2017

悪巧み

昼間にひとりでYに行って泳ぐという大冒険をしそこなったもんだから、是非ともそれを実行したいフラストレーションに包まれています。(プールは月曜までメンテナンスのためにクローズ)
雪山で遊んで
雪で冷やしたビールを飲む夢がかなったのは
ほんの1年前だった
(なんの根拠もないけど)もしかしたら、あと3ヶ月で、この、「人生の夏休み的一年」が終わってしまうかもしれません。
それまでに、思いつく限りのやってみたかった悪いことを全部やっておきたい。
そのひとつが、まず、こそっと昼間、ひとりでYで泳ぐこと。
それから、夫と子どもたちが一生懸命にがんばっている間に、お友だちとランチすること、映画を観ること。(問題は、私には専業主婦の友だちがいないこと)
そんでもって、目的もなく、ショッピングモールを歩くこと、気晴らしショッピングをすること。(問題は、とりあえず、今ほしいものが何もないこと)
極めつけは韓国スタイルのスパに行って、ひとりでランチを食べること。(問題はひとりでチップを計算したことがないこと)
考えただけでもドキドキします。

いのったもんがちの法則

最近、とても仲の良いお友だちが祈りたいのに祈れない時があると相談してくれたので、「そりゃそうだよ、だって、ここは敵のフィールドだもん」って言ったら、目から鱗のように喜んくれたので、シェアします。
その祈りが重要であれば、あるほど、サタンは祈らせまいとあのテこのテで妨害してきます。
眠いとか、時間がないとか、人が見ているとか、電話が鳴ってるとか、おなかがすいてるとか、寝ているはずの赤ちゃんが呼んでいる気がするとか、なんだかわけのわからない圧迫を感じるとか。
でも、祈りって、勝ちを宣言することだから、「天のまします我らの父よ」と始めた瞬間から、敵のフィールドにこちらの立ち位置を確保し、「願わくは御名をあがめさせたえ」と祈りすすめる中で陣地はどんどん広がります。
もしかしたら、「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」と祈り終わる頃には、敵はあきらめて、祈れない獲物を捜しに逃げ出しているかもしれません。
これは、多くのクリスチャンが証明している天国的法則です。
だまされたと思っておためしあれ。

大人になろうとする子どものために~人間関係

不信者と、
つり合わぬくびきを
一緒につけてはいけません。
正義と不法とに、
どんなつながりがあるでしょう。
光と暗やみとに、
どんな交わりがあるでしょう。
Ⅱコリント 6:14,15
賢人の主であられる天の神さま、彼に信仰を同じくするたくさんの友を感謝します。
彼に教会と兄弟たちを、本当にありがとうございます。
主よ、どうかこれからも、彼をそのような兄弟の愛の中で、あなたの弟子としてあなた御自身が育ててください。
そして、彼に悪い影響を与える人の入るすきのないほどに、あなたへの思いで彼の心を満たしてください。
彼を霊において決して鈍くさせず、良い顔で近づく悪い動機の人の霊に聡くいることができますように。
ただ、福音を渡して、自分の霊を悲しませる交わりに身を任せることのないように、彼をお守りください。
そして、どうぞ、賢人が妹のはなと助け合って、生きていくことができるよう、彼女との関係を大いにしてください。
深い愛でふたりを堅く結び、あなたの約束の中で生きることを互いに励まし、教え、助け合ってゆくことができますように。
そして、主よ、どうぞ、賢人が赦すこと自分の生き方とすることができますように。
苦い思いを抱えたまま、自分を苦しめることが、決してありませんように。
もし、彼の中に、誰かに対する恨みや怒りが、たとえ一滴でもあるなら、どうぞ、それを彼に気づかせ、罪として告白し、手放すことができるように、彼にそれを見せてください。

ハガイ書 1章

あなたがたは、多くの種を蒔いたが
少ししか刈りいれず、
食べたが飽き足らず、
飲んだが酔えず、
着物を着たが暖まらない。
かせぐ者がかせいでも、
穴のいあた袋に入れるだけだ。
ハガイ 1:6
神殿の再建をあきらめ、そんな夢をみたことすら忘れ、そして、自分の小さな家を建ててみたけど、やっぱりそれでは満足できなかったユダヤ人。
捕囚から帰ってきても、しばらくは、放心した抜け殻のように生きていたことは、想像に難しくありません。
そんな魂の渇きって、神さまからの贈物だと、最近、思えるようになってきました。
ここは天国ではないってことを感じながらすごすって、実はそんなに悪くない。
満たす方に心にむけるのが日曜日だけでは足りない方が、幸せ。

Tuesday, March 28, 2017

おばさんの春

ものすごくひさしぶりに、自分の服を買いました。
えっと、たぶん、、、(何か数字らしきものを書きたいけど、思い出せない)仕事用のジーンズを2本でいくらとかでティリーズで買ったのが最後だったと思う。
いつも、同じジーンズと靴を新調しているから、何も考えず、試着もなしで、ぱぱぱといつものお米やいつもの醤油を買う感じのお買い物だけど、今日は、ちょっとじっくり見てブラウスを一枚、靴下を一組新調しました。
そでのないブラウスなんて、5歳の時以来かもしれない。(気持ち的にね)
でも、いいの。春だし。充分におばさんだし。
そろそろ似合わないくても好きなのものを着るという冒険をしてみようかなって。
夜シャワーしたら、足にワセリンを塗って、靴下をはいてベッドに入ります。
もう何年も同じのを色違いで5組ぐらいぐるぐると回していて、あちこち穴があいて、でも誰に見せるわけではないからと、それを重ねてはいたりしていたのが、先週、その色違いの重ねばきが突然に悲しみの極みにまで達し、ついに新調。
えっへん。
春らしい、フリルつきです。
これは、袖なしブラウス以上の大冒険。
でも、いいの。
春だし。充分におばさんだし、好きなもの履いて寝るんだ!

ゼパニア書 3章

彼らは海辺で羊を飼い、
日が暮れると、アシュケロンの家々で横になる。
彼らの神、主が、彼らを訪れ、
彼らの繁栄を元どおりにするからだ。
ゼパニア 3:7
後、3ヶ月ほどではなの5年生、賢人のカレッジ2年目、幼稚園を退職した後の私の最初の1年が終ります。
子どもたちは、いつもとそれほど変わらない学年だった。
学校も昨年と同じ。
生活のリズムやスケジュールもほぼ同じ。
でも、私は、毎月、毎月変化した。
あれこれ新しいこともあるけど、どれもゴールは同じだから、生活そのものがシンプルになったと思う。
もっともっとシンプルにできると思う。
「彼らは海辺で羊を飼い、日が暮れるとアシュケロンの家々で横になる」
取る神、与える神のふるいの上で、私はどんどん小さくなる。

Monday, March 27, 2017

魂のメンテナンスのすすめ

★2週間もご無沙汰しちゃうと、いろいろ、情報ももらいそこなちゃうようです。
本日、プールはクローズでした。(たぶん、メンテナンスのため)
でも、来ちゃったし、水着になっちゃったし、はなのお迎えまで、時間もあるし、ってこ
とで、サウナにいりびたり、たっぷりと祈ってきました。
サウナの中って、車の中みたいに楽に祈ることはできないから、かえって、深く祈ることができる気がします。
動く車窓もなければ、音楽もなく、ほどよくつかう無意識の神経も運動もなく、だから、次から次に祈れない代わりに、ひとつの祈りが深く、そして深く。
★唐突に聞こえるかもしれないけど、クリスチャンにとってキリストの守りを信じることや、誰かをキリストの愛で愛することって、何をするよりも幸福感とか、平安とか、臨在を感じることのできることだと思う。
何をいまささらって言わずに聞いてほしいのだけど、私たちは、救われても、日々渇き、そしてさらに渇き続けるから、だから、時々、Yのプールのように、誰にも会わずに、主にメンテナンスされる必要があると思う。
それを我慢して、がんばり続けていると、いつしか、そのがんばりは、なんだか、違うがんばり、ひとりぼっちで苦しくて怒りが動力のような、そんながんばりとなってしまう。(これ、私の先週の心の状態)
★昔、とってもお世話になった人がいて、そのことをすっかり忘れていて、私、無神経になにもお世話にならなかったかのように振舞っていた。
でも、よ~く考えてみたら、今の私は、そこから始まっていた。
これを、神の計画の成就と言わず、なんと言うと、自分に激しくつっこみます。
私のように、のっぴきならない者に、目をとめてくれる人がイエスの他にもいるって、実はとってもすごいこと。

我が家に天使がやって来た

★月曜日の朝一番、一仕事終えて帰ってきました。
先週とうってかわって、とっても明るい気分のスタートです。
バイブル・スタディーは、たっぷり悩んだ甲斐ありの、なかなかの手ごたえでした。
神さまの備えが、私のハイキングような人生のあちこちに隠されていて、それを祈りながら探しながら、見つけたと喜び、うけなかったとがっくりき、そして、また気を取り直して歩きます。
気を取り直せたのも、昨日の天使のおかげね。
そうそう、実は、夕べ我が家天使が現れたのです。
賢人はバイブル・スタディーでいなくて、はなはもう寝ていたので、夫が唯一の目撃証人。
主の使いって、わりとふつーだった。(羽なかったし、はだかの2歳児みたいでもなかった)
★先々週は風邪、先週はお兄ちゃんの骨折と入院と手術のために力がわかず、2週間も泳いでいないので、これから、ひとりでYに行ってきます。
昼間、ひとりでYに行くの、実ははじめて。
そんな優雅な主婦みたいなこと、かっこ悪くてできないって思っていたわけじゃないけど、なんだか抵抗があったのは事実。
でも、今日は、もう、一仕事してきたことだし、それは自分なりにうまくいきそうな気がするので、特別ご褒美ね。

ハバクク書 2章

彫刻師の刻んだ彫像や鋳造、
いつわりを教える者が、
なんの役に立とう。
物言わぬ偽りの神々を造って、
これを造った者が、
それにたよったところで、何の役に立とう。
ハバクク書 2:18
クリスチャンが、最も、惑わされやすい偶像は、もしかしたら、ミニストリーかもしれません。
ミニストリーのために、不本意にも兄弟や姉妹を傷つけたり、知らず知らずのうち家族を犠牲にしてまうことって、なくはない話だと思う。
きっと私たちは、お金や仕事や趣味や習慣にはとても用心深いけど、ミニストリーを、なんだか天国的通行許可のように感じてしまうふしがあるのだと思う。
聖書を読むこと、祈ること、そして、愛すること。
傷つけないように、気をつけながら、でも、与えられたパッションを胸に、あそこに行こう。ここにも行こう。
あれをしよう。これもしよう。

Sunday, March 26, 2017

レゴの人たちと寝る子

★父と母とスカイプで話しました。
少し、疲れて見えたけど、それでも、はなが登場すると笑顔がこぼれ、「わんちゃんのお散歩、気をつけてね」なんて、おじいちゃんおばあちゃんらしい心配までしてくれた。
お兄ちゃんは、病院のベッドでテレビを時々観ていると言っていました。
私が、ふ~ん、って言ったら、度々の入院生活の中で、テレビを観る姿を始めてみたのだそうです。
お相撲かなっと母。
私があげたipad も開いていないみたいだけど、本当に、なにもかもに、すっかり関心をなくしていたのね。
父と母が病室を訪れると身を起こそうとするようになったとも言っていた。
私、本当に何も知らず、それがすごい変化であることを、後で知って、でも、とってもうれしい。
★賢人のベッドの枕もとにスケボーの雑誌や学校の教科書と共に小さなレゴの人が一杯いるのを発見。
それもひとり、ふたりではなく、スターウォーズの人たちがごちゃら~といっぱい。
ちなみにあと2ヶ月で20歳になります。
父と母は、お兄ちゃんががテレビでお相撲でも観ていたのかしらと、喜んでいる。
それで私、レゴの人をつまんで笑っちゃった。
マタイもザアカイもサマリアの女も、お兄ちゃんも賢人も、私も母も、父も夫も、はなも、みんな同じ。
同じ問題を抱えて、それでも一生懸命に生きている。

知ってる痛みも知らない痛みも

わたしは正しい人を招くためではなく、
罪人を招くために来たのです。
マタイ 9:13
マタイやザアカイやサマリアの女を羨ましいと思うのは、大間違いだと思う。
マタイやザアカイやサマリアの女を憐れむのは、もっと大間違いだと思う。
私は、明日をも知れず、はかなく、風になびきながら生きているから、今日の自分の平安を誇ることなく、誰かのために一緒に悲しむ人になりたい。
そうすれば、明日の私の悲しみに、誰かが一緒に悲しんでくれるかもしれないから。
私たちは、みな、ほとんど同じ問題を抱えて生きる。
ちっぽけなもの。

ナホム書 3章

寒い日には城壁でたむろし、
日が出ると飛び去り、
だれも、どこへ行くか行く先を知らない。
ナホム 3:17
「だれも、どこへ行くか行く先を知らない。」
本当に知らない。
私も知らない。
だれも知らない。
お兄ちゃんの病気のことを、誰かの胸の中で、泣きながら、話したいとずっと思っていたけど、最近、それをきっぱりとあきらめることができました。
その代わりに、会ったこともない人々からの無言の祈りが私を支えてくれている。
人は、自分がどこに行くかも知らないから、誰かのことなんてもっと知らない。
ただ、誰かの痛む心を、一緒に痛める友になりたい。
はなのパスポートが切れているから、申請しといて、って夫が言います。
申請しといてって、渡航の予定もないのに、無駄でしょうって、思ったけど、そうじゃない。
人はだれも、自分がどこに行くか行く先を知らない。

Saturday, March 25, 2017

険しいお散歩

ちょっと、犬の散歩
 でもかなり、険しい散歩
 「険しいお散歩のことを冒険っていうのよ」
って幼稚園の先生は言います
 はな隊長だいじょうぶ?
ここ、どこ?
 戻ってきたらポプラに緑の葉がついていた
春は、もうここ

大きなケーキ

いっただきま~す
ふう~

重くなった 限界だった だけど希望はあった

たまごシェーカー(たぶんね)から始まる歌
たまごシェカーを持って、お兄ちゃんの病室を訪ね、
彼を車椅子にのせ、お庭に連れ出し、歌ってあげたい
ひえきった 大地に 日が昇る
霜とけ 光が 地に染み込む
硬かった この土 
柔らかくなって いのちにあふれる
主の光 春の日のように
凍った 心 溶かし いのち与える
その温もり 霜が降り 覆っても
すべて溶かして 益にしてくださる
今日まで 待ってた 温かい日を
やさしく 香りをのせ  吹く風
いままで 凍えてたけど
この風が吹いたら、命にあふれる
鳥の声 風吹き 木が歌う
あなたを求め、叫んで、讃える
何もなかった
心に降った 雪 溶けず 積もった
重くなった
限界だった
だけど希望はあった
去年のように 雪がとけて 春の風吹くのを
待ち続けた
他にはない
唯一の救いを
主の光 春の日ように
凍った心 溶かし いのちあたえる

Beauty and the Beast vs. ゴジラ

★今朝の「大人になろうとする子どものために」の結婚のための祈りは、全く、ストーミーとは違う祈りになってしまいました。
ストーミーの祈りは、とても力強くて、祈る人自身が励まされる祈りだから、大人になろうとする子ども、すでに大人になった子どものために祈るための励ましを必要としている人は、是非、本を読んでみてください。
「わが子をいつまでも愛する祈り」ストーミー・オーマティアンです。
私、もし日本にいて、母の側にいることができたら、この8つの祈りを、そのままの文章で、毎日、お兄ちゃんのために祈りたいぐらい。
妹の祈りなんかより、母親の祈りの方が、よっぽど真実でパワーがあると思う。(母は母の御霊の祈りを奉げているから、あんたは自分の心配をせよと、神さまに怒られそうだから、それはしないけど)
★昨日、はなは、すっかり「美女と野獣」に感動して帰ってきました。
「すごくかわいそうで、でも、最後はとてもハッピー。ママにも絶対観てほしい。」だって。
私、あれから、結局、ゴジラ、観たのよね。
「54年のゴジラもなかなか悪くなかったよ」と言いかけて、でも、言わなかった。
絶対にわかってもらえないと思ったから。
2006年生まれだし。
賢人だったら、わかってくれると思う。
1997年生まれだから。(4桁の数字の1と2の違いは大きい。我ら1000年代生まれの仲間たち)
1954年という時代に、こんな映画を作ることができたことに、まず、感動しちゃった。
白黒という妙に想像力を掻き立てる映像を、じっと目をこらして見つめていて、はっと、思う、模型?
そっか~、模型よね、もちろん。
いやいや、これ、模型ちがうでしょう~。
ひとりでつっこみ、ひとりでぼけながら、楽しい夜をすごしました。
★さて、今日はなにを観ようなかな~あじゃなくて、しようかな~。

大人になろうとする子どものために~結婚

しかし、主の恵みは、
とこしえから、とこしえまで、
主を恐れる者の上にある。
主の義はその子らの子に及び、
主の契約を守る者、
その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。
詩篇 107:17,18
恵み深い、天におられる、賢人の父よ、どうぞ、賢人のために、あなたが選んでくださっている、彼にとって、将来、誰よりも大切な人となる人を、主よ、どうか、今日もお守りください。
彼女が、その日のために、その日を楽しみに、今日という日をあなたと共に、彼女の現在のミッションのために一生懸命に生きることができますように。
彼女にふさわしい者となるために、主よ、どうぞ、今日も、賢人を、あなた御自身で訓練してください。
私たち、夫婦は、決して、彼のよい模範では、ありませんでした。
でも、あなたに赦され、あなたに癒され、それでも、そうありたいと願っています。
だから、どうか、私たちの失敗を、彼が決して、私たちから受けつぐことがありませんように。
傷つくことを恐れず、一途に愛する愛で、2人が無事に出会い、幸せな結婚をし、小さな教会のような、キリストのホームを築き上げてゆくことができますように。
キリストの御名によって、祈ります。
アーメン

ミカ書 7章

もう一度、私たちをあわれみ、
私たちの咎を踏みつけて、
すべての罪を海の深みに投げ入れてください。
昔、私たちの先祖に誓われたように、
真実のヤコブに、
いつくしみをアブラハムに与えてください。
ミカ書 7:19,20
「もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。」アーメン
聖書は、誰がどんな状況の中で読んでも、そこには、神さまからの、カスタマイズされた語りかけがあるとは、思うけど、私、毎朝、本当に、「ああ、全てのみことばの中で、私が、今朝、受け取るべきものはこれだった」と思います。
私は、いつも、とても、仕事に恵まれてきたと思う。
18節は、こうあるけど、まさに私の気もちは、「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしもを喜ばれるからです。」です。
そして、これからも、恵もうとされておられると思う。
もう、すでにそうだもの。
でも、もっとなのなのかな。
夕べ、父から、また、写真が届きました。
母が、お兄ちゃんの指の爪を切っています。
母は、「もっとですか」とは言わずに、ただ、お兄ちゃんの爪だけを、見つめている。
弟子の足を洗うイエスさまのことを思い出しました。

Friday, March 24, 2017

映画の日

★お兄ちゃんが階段から落ちて、腕を複雑に骨折してしまったことは、とてもショックだったけど、でも違う科の、知らない看護婦さんに、お兄ちゃんの閉じこもった様子を気にしてもられるようになったことは、とても良いことの始まりのような気がしてなりません。
お医者さんは、病気を見つめるけど、看護婦さんって、人をみつめるから、気づいてもらえたのね。
「変な人」、じゃなくて、「何かが変」って。
お兄ちゃんに必要なのは、病気の治癒ではなく、神さまとの関係の回復、魂の癒しだと私は信じています。
お兄ちゃんだけじゃない。
誰もがそう。
私もそうだし。
冷えて固まったお兄ちゃんの心が、やさしい春の日差しの中で、少しづつとける様子を思い浮かべなから、祈り続けています。
★今日は、はなが学校の帰りに、そのまま、例の3人組で、映画「美女と野獣」を観に行っているので、迎えの必要もなく、大洗濯と庭仕事を終えた後、すっかり自由な気分で、ビデオを観てすごしました。(賢人の録画のリストから)
まずはOCEAN'S ELEVEN 。
私、ドロボーものや脱走もの、それから、遭難もしくは漂流系には目がなく、中でも、これは、ドロボーものの中ではルパンの「カリオストロの城」に次いで、大すきな映画。
そして、Lethal Weapon 2。
真面目な黒人とラフな白人、スーツの黒人とシャツとジーンズの白人、家のある黒人とない白人のコンビってどっかで、見た気がする。
どこだっけ、どこだっけ、なんだっけ、なんだっけ、と考えていて、思い出した。
マイアミ・バイスだ。
それから、スター・ウォーズのエピソード6
R2D2の話し方ってはるき(私の一番若い男友達、2歳)そっくり。
ブルース・リーもあったから、ついでに、観ちゃった。
彼みたいな俳優ってそれっきりね、そういえば。
あの人、俳優じゃなくて、もしかして、あれが地だったのかもしれない。
いつも、悲しそうだった。
無事に天国にたどりついて、笑っていたらいいな。
ゴジラってのもあって、すごく観たかったけど、時間ぎれ。
★明日は、土曜日なのね。
今週はお兄ちゃんのことで、夜中でも、電話やEメールを音で気づけるように、電話を枕の下に押し込んで寝ていたから、ちょっと寝不足気味。
今夜は電話の音を消して、明日はたっぷりと朝寝しよう。

公文式ドリル

気もちのよい、金曜日の朝です。
月曜日の新しい仕事の準備が頓挫状態だったことは、少しづつ書いてきたと思うけど、今朝、なんとか、本当に突破できたと思えました。
やれやれ。
仕事の頓挫ではなく仕事の準備の頓挫だったことが、今になって、私らしくて笑っちゃう。
しかも、月曜の午後から、次ぎの月曜日の朝のことで気をもんじゃって。
なかなか思い通りに進まないことがあるのは良いことだと知りつつ、答えがみつからないとだんだん焦る私。
焦りまくって、イライラする私。
それをよくご存じの神さまは、こういうチャレンジを私の人生から取り除くことは、決してないのだと思います。
公文式のように、似たような問題が、次から次にです。
しかも、微妙に徐々難しくなってきている・・・。
でもピアノのレパートリーが増えているような喜びが、必ず、後と追うようについてきてくれます。
(今、新たに目の前に公文式ドリルが、ぺらっと1枚じゃなくて、箱で届いちゃったような気分の、ある選択肢があるのだけど、箱を開けるべきか間違い小包みだったことにして、送り返すか、ちょっと考え中。
送り返した先が天国だったら、すごくやだな。
これ、贈ったのに、何で開けなかったの?ってイエスさまに言われたら、どうしようか、とか。
罪人その1の私は、いろいろ考えるわけですよ、はい・・・。)
まあ、でも今日は、ちょっと一息つきましょう。
お兄ちゃんのことを祈りながら、庭仕事でもします。

良い知らせ

夕べ、父から届いた Eメールに、ある看護婦さんが、お兄ちゃんの様子に何かを感じてくれて、父や母に、これまでのいきさつを聞いてくれたとありました。
「昌澄にいろいろ話かけてその返事を聞き出そうと一生懸命でした。
今までのいきさつと、長い闘病生活で心身ともに消耗していることを話しました。
対応策はいろいろあるのでやってみます、とのことでした。」
例によって、とても短いメッセージだけど、今の私には、十分すぎる恵みの知らせです。
私は、それを、祈っていたから。
大きな大学病院だから、身体のことは喉のことも神経のことも、今回の骨折に関しても、いつも万全の手当てと看護をもらえている様子だったけど、お兄ちゃんの抜け殻のような身体ではなく、その真ん中で小さく氷りついている魂に、気づいてほしいって、ずっと思って、そして祈り続けていたから。
もしかしたら、本当に見つけてもらえるかもしれない。
どうか、一緒に、祈り続けてください。
よろしくお願いします。

ミカ書 6章

人よ。
何が良いことなのか。
主は何をあなたに求めておられるのか。
それは、ただ公儀を行い、誠実を愛し、
へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。
ミカ書 6:8
聖書には、私の抱えるどんな問題や、疑問や、挑戦などよりも、大きくて強くて正しい力と愛と知恵が満ちています。

毎朝、そう思いながら、期待しつつ、聖書を開くけど、今朝は、心からそのことに感謝し、心一杯アーメンと思いました。
「人よ。何が良いことなのか。
それは、ただ公儀を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」
そうだった。
何も難しいことじゃない。
ただ、へりくだって、主とともに歩むことだった。

Thursday, March 23, 2017

喜びと痛み

私の腕には、自分が良いと思って集めたものが一杯です。
でも、主が与えようとされておられるものを受けるには、それを、全て、いったん、どこかに置かなくてては、受け取れません。
抱えたまま、小出しにしながら歩き続けるか、(それはとても幸せ)全て置いて、さらに新しい何かを受け取るか、(それはもしかしたらもっと幸せ)それが問題。
「海からの手紙」でアンが、仕事を減らして、自分のために生きることを勧めるのを読んで、心からアーメンと思ったのは、去年の夏だった。
そして、辞める決心して、それは、おおいに主に祝福されていると思っていた。
だから、きっとここが、祈りどころ。

痛みと喜び

人生って、不思議。
人と人との出会いや別れや再会ってもっと不思議。
でも、天国では不思議でもなんでもなく、神さまは計画どおり、全てを支配し、全てを用いておられるのかもしれません。
私は、究極的には、っていうか、実のところ普通に考えても、自分がどこから来て、どこに行こうとしているのか、わかりもしない、ただの被造物にすぎません。
今日、または、明日、私に何が起きても、起きなくても、それは主のご計画で、私は、それを受け入れるという信仰だけを、主は私に求めておられるのだと思います。
私は、自分の好きなこと、やりたいこと、上手にできることを、知っていると、自分では思っています。
それを知るために、主は私に十分な時間と機会と経験をくださったから。
そして、今、もしかしたら、私は刈り取られようとしているのかもしれない。
主によって。
主のために。

時計草

昨日、学校の帰りにはなが裏道にすごく不思議なお花を見つけました。
まるで時計のような形。
私は、「それはね、時計草っていうのよ、ママが今、勝手につけちゃったんだけどさ、名前。ほら、はなびらが数字、そしてその真ん中の不思議なホースが針ね、ほら秒針まであるでしょ」なんて、知ったかぶりをして説明をして、帰って、花図鑑を調べたら、本当に時計草という名前だった・・・・。
じっくり読むと挿し木ができると書いてあります。
挿し木って、なんだっけって、今度は言葉の辞典でしらべると、切って、水に数時間差したたものを、土に植えて根を育てる増やし方。
それで、さっそくはながバレエに行っている間に、ハサミを持って、裏道から摘んできました。
裏道に自生しているそのツル科の植物は、その通りのあちこちにつぼみをたくさんふくらませていました。
どちらかというと、ナチュラルっていうより、ワイルド系な私の庭にも、根付いてほしいな。

ヨナ書 3章

「立って、
あの大きな町ニネベに行き、
わたしがあなたに告げたことばを伝えよ。」
ヨナは、主のことばのとおりに、
立ってニネベに行った。
ヨナ書 3:2,3
主が何を言ったか、ではなく、主が自分に話した、ということが、重要なのだと思う。
内容は、それは、いつだって、もちろん、正しい。
それは、私にとって、最善であり、最良なのでしょう。
絶対。
圧倒的に。
疑う余地なく。
だって、神さまだもの。
でも、主が自分に語られたと信じるとか、受けとめるとか、従う、ということに、実は本当の難しがあるとおもう。

Wednesday, March 22, 2017

がんばっています

★「キリスト教保育ハンドブック」という小さな本、たぶん、はなと一緒に帰国した2010年に買った本のおかげで、今、もりもり元気を回復中。
私の地上の夢を文章にすると、まさにこうかもしれない的なわくわく感に包まれています。
どうか続けてお祈りください
★でも、慎重にね。
だって、もう、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしている場合ではない、アン・リンドバーグの言葉を借りるなら、朝の人ではなく、人生の正午をすぎた大人ですから。
★今日も父から、写真と短いメールが届きました。
お兄ちゃん、重い病気の人なのに、髪の毛薄くもなく、白くもなく、背中もまっすぐで、うれしい。
横で、母が、かわいいチェックのシャツを着て、世話を焼いている。
がんばれお兄ちゃん、がんばれお母さん、がんばれお父さん。
私もがんばります!

荒野でお寿司のオアシスそして発見

★朝は、礼拝賛美の選曲、午後は、本当は月曜にやっておくべき、次ぎのバイブル・スタディの準備をしてすごしました。
共に、ちょっと苦しかったけど、でも最後はちゃんと突破口を見つけ、なんとかなりそう。
まだ、全部は終わっていないけど、明日、もう一度、フレッシュな頭と心でその突破口に潜入することにして、今日はもうお終いにしました。
★夫が、昼間、ランチと休憩に、お寿司を買って帰ってくれました。
お兄ちゃんのことで、すっかりしょげていた私への彼のやさしい心づかいです。
ところがどっこい、私は、ちょうど目を三角にして(たんぶんね)ノンクリスチャンの頃に学んだ本や集めたトラクトを出すだけ出して、広げて、その真ん中でスタック状態だったから、グッド・タイミングで、クール・ダウンできました。
★夫とぽつぱつとたわいない話をしながらお寿司を食べ、「ごちそうさま」と言って、資料と本で散らかった荒野に戻って、ふっと取り上げた新品の本がありました。
日本で買って、開くこともなく、秘密の書庫にしまいっぱなしになっていたのね。
タイトルがいかにも、私がお蔵入りさせそうな、挫折感しか感じない、「キリスト教保育ハンドブック」。
なんの期待もなく、ぱらっと開いて、ああ、これだって思えた。
でも、聖書のことばが、私が望むほどには出てきません。
私は、バイブル・スタディのために呼ばれているから、それじゃ困るんだよね・・・。
聖書的文章と聖書の言葉を結ぶという作業が、果たして私に可能かどうかを、一生懸命に考え中。